【第3部 幕間】第2話 勇者
光だった。
ただ、光だけがあった。
白でもなく、
金でもなく、
形を持たぬ輝きが、
世界そのもののように広がっている。
足元は存在しているのに、
地面は無い。
空気は吸えているのに、
風は無い。
ユウキは、立っていた。
「……ここ、どこだ」
最後の記憶は、
夜のコンビニ帰り。
スマートフォンを見ながら、
ため息をついていた。
誰にも必要とされない日常。
変わらない毎日。
そして――
気付けば、ここにいた。
「迷える魂よ」
声が降りた。
柔らかく、
包み込むように。
反射的に、ユウキは振り向く。
そこに――
彼女はいた。
長く流れる金の髪。
透き通る白い肌。
神話の壁画から抜け出したような衣。
だが、その視線は――
どこか、人間らしい温度を持っていた。
「妾は、この世界を統べる者」
彼女は、微笑む。
「……神、だ」
自然と、言葉が漏れた。
彼女は小さく頷いた。
「そう呼ぶ者もおる」
ユウキの胸が、強く鳴る。
理由は分からない。
ただ――
見ているだけで、
息が浅くなる。
「ユウキよ」
名前を呼ばれた瞬間、
背筋が震えた。
「な、なんで……」
「すべての魂は、妾の前を通る」
彼女はゆっくりと近づく。
距離は、あと数歩。
だが――
不思議と、近すぎるとは思えない。
むしろ。
もっと近くにいてほしいとすら、
思ってしまう。
この人に認められたいとすら、
思ってしまった。
「お主は、選ばれた」
その言葉に、
胸の奥が熱を持つ。
『選ばれた』
一度も、
誰にも言われたことのない言葉。
「この世界は今、危機に瀕しておる」
彼女の瞳が、わずかに揺れる。
悲しみを含んだように。
「魔族が、人々を襲っておるのじゃ」
空間に、光が揺らめく。
映像が浮かぶ。
燃える村。
倒れ伏す兵士。
泣き叫ぶ子供。
ユウキは、息を呑む。
「……ひどい」
「そうじゃな」
彼女は、改めて言った。
「お主は選ばれたのじゃ……勇者に」
「……勇者?」
「そう。
この世界は救いを求めておる。
あの光景を、“ひどい”と言ったな」
「……はい」
「清き一人の人間として、力を貸してはくれぬか?」
「でも……俺には何の力も、ありません」
「では聞こう。
もし、お主に力があったなら……」
間。
「救いたいと、思うか?」
ユウキは、迷わなかった。
「……思います」
声は震えていた。
だが、それは恐怖ではない。
「守れるなら……守りたい」
彼女は、微笑む。
「勇者とは、何だと思う?」
ユウキは少し考え、そして――
「……誰かのために、戦える人」
彼女の瞳が細くなる。
満足したように。
「良い答えじゃ」
光が集まり始める。
ユウキの体を包む。
暖かい。
まるで抱きしめられているような感覚。
「だが、気を付けよ」
再び、映像が揺れる。
そこには――
人間と、魔族が並んで笑っている光景。
「この人間を、知っておるか?」
ユウキは首を振る。
「リーフ、またはイロハと名乗っておる」
映像が切り替わる。
軍を動かす姿。
魔族と食事をする姿。
兵士達を制止する姿。
「善悪を曖昧にする者は」
彼女の声が、低くなる。
「最も多くの命を奪う」
ユウキの胸に、
重たいものが落ちる。
「争いを止めたい者は、必ず現れる。
だがな――」
彼女は、ユウキのすぐ前まで来る。
吐息が触れそうな距離。
「守る覚悟を持たぬ者が掲げる平和は、
ただの幻想じゃ」
「幻想……」
「そうじゃ。
“想い”だけでは変えられぬ。
“思想”だけでは人は迷う。
“覚悟”がなければ、呪いのようなものじゃ」
ユウキの拳が、自然と握られる。
「……なら」
喉が、熱い。
「俺が……止めます」
「魔王も」
一瞬の間。
「その、リーフって人も」
彼女は、ゆっくりと目を細めた。
「頼もしいのう」
指先が、ユウキの胸に触れる。
その瞬間――
魔力が、爆ぜた。
光が奔流となって流れ込む。
炎。
氷。
雷。
風。
大地。
光。
闇。
「お主に、すべてを授けよう」
ユウキの体が浮かび上がる。
背後に、巨大な魔法陣が展開する。
「そして――」
その声が、直接脳に響く。
「妾の声を、常に聞くことを許そう」
頭の奥に、
柔らかな温度が宿る。
「迷うた時は、呼ぶがよい。
妾は、いつでも応えよう」
ユウキの視界が滲む。
なぜか、涙が溢れていた。
「……ありがとうございます」
胸の奥から、言葉が出る。
「必ず、」
拳を握りしめる。
「魔王と――」
一瞬の逡巡。
「リーフを、討ってみせます」
彼女は、満足そうに頷いた。
「期待しておるぞ」
わずかに、唇が歪む。
「ユウキ♡」
光の柱が、天へ伸びる。
足元に、巨大な転移陣が広がる。
王都。
歓声。
鐘の音。
すべてが、重なって見えた。
「行くのじゃ、勇者よ」
光が弾けた。
ユウキの姿が消える。
静寂が、戻る。
――数秒後。
女神は、ゆっくりと表情を消した。
そして。
何の感情も乗せずに、呟く。
「さて」
空間に残る、微かな残響。
「殺ってしまえ、ユウキ」
女神は、静かに目を閉じた。
その声は、
慈愛にも似ていた。
そして――
底知れぬほど、冷たかった。




