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【第3部】第26話 軍の論理

私は、孤児院の庭を静かに見渡していた。


子供達が走っている。

笑っている。


焼き小麦の香ばしい匂いが、

風に乗って漂ってくる。


数日前まで、

この場所はただの孤児院だった。


――少なくとも、表向きは。


「副官殿!」


背後から声がかかる。


振り返ると、伝令兵が息を整えながら立っていた。


「部隊長より命令書が届きました」


差し出された封を切る。


短い文面だった。

だが、その内容は軽くない。


私は視線を落とし、ゆっくりと文字をなぞる。


「……仮軍管理試験区域、指定」


思わず、小さく呟いた。


本部案件を差し置いてまで出される判断ではない。

しかも、正式指定ではなく「仮」。


つまり――

結果を見て判断するという意味だ。


紙を畳み、胸元へ戻す。


――部隊長……本気か。


視線を上げる。


その先に、イロハがいた。


いつも通り、無表情で立っている。


――いや、リーフに甘いだけかもな。

――そもそも、第八部隊は奴に借りがある。


「……リーフ」


「ん?」


「魔族は……カイムは結局どう扱う?」


リーフは、少しだけ考えたように沈黙し――


「……ペットみたいなもんだ」


横にいたカイムが、即座に睨みつけた。


「……ふざけんな」


「比喩だ」


リーフは淡々と続ける。


「接触型情報源として管理している。

 その上で――」


一拍。


「俺が魔族側の諜報も行う」


合理的だ。

あまりにも。


私は腕を組み直し、聞いた。


「……本音は?」


リーフは、ほんの一瞬だけ間を置いた。


「魔族の国の観光」


沈黙。


やがて、私は小さく息を吐いた。


「お前は……本当に軍人か」


「面白そうだから、

 首を突っ込んだって言っただろ?」


「……言ってたな」


「俺は流れ者だ」


「知っている」


「でも必要な時は俺を使え」


「使う?

 呼べ……では、ないのか?」


「肩書き上、俺はお前の部下だろ?」


リーフは肩をすくめる。


「俺もお前達を使うから、公平だ」


「……全く。厄介な部下だ」


私は、それ以上は追及しなかった。


――理屈が通る限り、軍は動く。

――そして、こいつは理屈を作る……

――いや、制度を理解しているのか。


一つ息を吐き、話題を切り替える。


「では、伝える」


私は院長へ向き直る。


「本日より、この孤児院は

 仮軍管理試験区域に指定される」


院長が、息を呑む。


「仮……軍管理……?」


「焼き小麦は軍携帯食開発案件として扱う」


淡々と説明を続ける。


「売上帳簿は軍監査対象となる――」


「警備兵が常駐する――」


「子供達の運動時間には、基礎訓練を導入する――」


院長の目が揺れた。


だが――

その奥に浮かんだのは、恐怖ではない。


安堵だった。


「……子供達が、守られるのですね」


私は、静かに頷く。


「軍は、守るためにある」


その言葉に、院長は深く頭を下げた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




俺は一人、応接室で人を待っていた。


――……コーヒーが飲みたいな。


この国には、見つけられなかった。

黒くて苦い飲み物と聞けば、

「薬か?」と言われる始末。


――木を見つけても、抽出方法は知らない。

――焙煎?……俺は缶コーヒー派だ。


そんなことを考えていると、扉が開いた。


「おやおや、イロハ殿。お暇なようで……」


柔らかな声。副助祭だった。


「どうも」


一言で返す。


「何やら、孤児院の周辺に

 衛兵がいるようですが……ご存知で?」


「……聞いてないのか?」


「?」


「あなたが抱えている『それ』ですよ」


帳簿――。


「これですか?

 お金の管理は、私が責任を持って行います。

 ご安心ください」


俺は姿勢を正した。


――ここからは、大人の男の領域だ。


「副助祭殿」


静かに頭を下げる。


「まず、教会の孤児支援には……

 心から敬意を払っています」


副助祭の表情が、僅かに緩む。


「この焼き小麦は、

 慈善活動を否定するものではありません」


続ける。


「むしろ、孤児院の自立を補助するものです」


副助祭は頷く。


「素晴らしいお考えです」


「ありがとうございます」


そして――

ほんの少しだけ、声色を落とした。


「ですが。

 今回より、この事業は

 軍携帯食開発案件となります」


副助祭の指が、帳簿を強く握る。


「つまり……」


「帳簿は軍事機密扱いになります」


沈黙。


副助祭の喉が、小さく動いた。


「もちろん、教会への寄付は継続されます。

 ただし……

 金の流れは国家監査対象へ移行します」


副助祭の額に、汗が滲む。


「……それは」


「制度です」


淡々と言った。


「破れば、教会であっても

 国家反逆罪の可能性が生じます」


脅しではない。

説明だ。


副助祭は、言葉を失っていた。


俺は、ゆっくりと続ける。


「副助祭殿、帳簿に――」


ほんの一拍。


「もし、記載漏れや計算違いがあるなら……」


静かに、微笑む。


「夕方まで待ちます」


空気が凍った。




夕方——


副助祭は、孤児院に現れた。

顔色は悪い。


「……計算違いがありまして」


声が震えていた。


「教会への寄付額が、多く計上されていました」


差額が差し出される。


俺は、ただ受け取った。


副助祭は、深く頭を下げた。


「神の御心に従い……

 正しく管理させて頂きました」


その言葉は、どこか疲れていた。


副助祭が去った後、

副官は静かに呟いた。


「戦場では、剣が支配する」


窓の外を見る。


子供達が笑っている――


冒険者の武勇伝に歓声を上げている。

院長が、その光景を穏やかに見守っている。


副官は、続けた。


「……だがお前は、制度で戦うのか」


俺は答えない。


ただ、焼き小麦の匂いが部屋を流れていく。


その匂いを、静かに見送るように――


心の奥で、呟いた。


――俺は、誰とも戦っていない。


「ただ、腹いっぱい食わせたいだけだ」

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