【第3部】第25話 軍事機密
院長室は、夜の静けさに沈んでいた。
壁の向こうから、
子供たちの寝息が、かすかに届く。
昼間の喧騒が、嘘のようだった。
院長は机の縁に指を置いたまま、
しばらく言葉を探していた。
やがて、決心したように口を開く。
「……一つ、懸念があります」
副官は視線を上げ、
俺は黙って続きを促した。
「もし、副助祭が軍によって摘発されれば……
任命した司教の責任問題になります」
院長は感情を挟まない。
淡々と、現実だけを並べる。
「そうなれば、
教会と孤児院の関係は決裂しかねません。
最悪の場合……
孤児院そのものが、政治の犠牲になります」
言い切りだった。
恐れではなく、予測だ。
部屋に、短い沈黙が落ちる。
「なら――」
その空気を、俺は切った。
「軍事案件にすればいい」
一瞬、時間が止まった。
院長は言葉を失い、
カイムは眉をひそめ、
副官は理解に追いつかないまま、黙り込む。
俺は気にせず続けた。
「教会に喧嘩を売る気はない。
だが――触れさせない方法はある」
副官が、わずかに身じろぎする。
「教会より上の枠組みを使う。
――国家安全保障だ」
机の上に、指で二つの円を描く。
「軍需物資、軍事機密」
院長が、ゆっくりと息を吸った。
「……それは」
「提案は三つある」
俺は淡々と、順に置いていく。
「一つ目。携帯食だ」
山芋粉を乾燥させる。
小麦と混ぜる。
塩を少量。
――簡単だ。今は言わないがな。
「山芋を使えば出来る。
水があれば練れる。
なければ、そのまま焼ける」
「……山芋は万能だな」
ボソッと、カイムが呟いた。
「山芋は、ひと手間加えるだけで軽くなる。
保存も利く。腹持ちもいい」
副官の目が、明らかに変わった。
補給。
行軍。
野営。
言葉にしなくても、考えているのが分かる。
「二つ目。ソースとスパイスだ」
「また……別のソースを作るのか?」
「いや。
例の、おたふくソース風もどきを使う。
ビネガーもスパイスも入ってる。
保存性は上がっている。それに――」
副官が、わずかに首を傾げる。
「それに?」
「スパイスもビネガーも、軍の備蓄品を買う」
副官が反応する。
「……どういうことだ?」
「香りの落ちた胡椒が、倉に眠ってるだろ。
あれを格安で回せ。
孤児院は安定供給のルートを作れる。
軍も、捨てるより、
買って貰った方がいいに決まってる」
「まぁ……それはそうだが……」
「それに、軍需物資って言っただろ?
製造、販売元が分からない物を、
命のやり取りをする場所に出せるか?」
「……」
「味は、士気に直結する」
副官は、無言で頷いた。
「三つ目は、帳簿だ」
ここで、院長の背筋が伸びる。
俺は、はっきりと言った。
「軍需物資になった時点で、
帳簿は軍事機密だ」
空気が、張り詰める。
「教会も閲覧不可。
介入すれば、国家反逆に抵触する」
副助祭の顔が、院長の脳裏をよぎったのだろう。
院長は、息を呑んだ。
「……従うしか、ありませんね」
「そうだ」
俺は頷く。
「善意も、信仰も関係ない。
触れた瞬間、アウトだ」
院長は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに言う。
「……孤児院を守るために、
孤児院を“国の中”に入れるのですね」
短く、肯定した。
副官は腕を組み、深く考え込む。
補給。
新兵教育。
兵站。
治安。
教会との摩擦回避。
すべてが、一本の線で繋がっていく。
「……理屈は通る」
低い声だった。
「いや、通りすぎる」
副官は、俺を見た。
「お前は……
子供を守るために、国を使う男か」
内心で、否定する。
――逆だ。
――子供が笑ってる国が、強いんだ。
口には出さない。
窓の外では、
月明かりが孤児院の屋根を静かに照らしていた。




