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【第3部】第10話 土俵に立たない

朝は静かだった。


風も、鳥の声も、

どこか遠い。


本来なら、ここから先は飛べる距離だ。


翼を広げれば、

イロハを抱えて半日もかからない。


傷は問題ない。

だが、まだ魔力が戻りきっていない。


今は、歩くしかない。


それを口に出す前に、イロハは歩き出していた。

振り返りもしない。


――申し訳ない。


という感覚が遅れて湧いた。


だが、背中を見る限り、

それを気にしている様子はなかった。


歩幅は一定。

速くも遅くもない。


誰かに合わせているわけでもない。

ただ、自分の速度で進んでいる。


それだけだ。




次の村は、小さかった。


屋台はない。

生活に必要なものだけが、淡々と並んでいる。


視線が多い。


マントで羽根は隠しているが、

骨格までは誤魔化せない。


肩の張り。

背中の厚み。


囁き声が、空気の裏側を流れる。


拒絶はない。

だが、歓迎もない。


イロハは必要な物だけを買った。


値段を聞き、

金を出し、

受け取る。


それだけ。


余計な会話はない。

愛想もない。


だが、摩擦も起きなかった。


村を出る。


怪しまれてはいたが、

大きな騒ぎは起きなかった。


「……マントのお陰か」


俺がそう言うと、

イロハは前を向いたまま返す。


「そもそも、魔族は何かしたのか?」


足が、少しだけ止まりそうになる。


言葉が出ない。


「言えない、ことか」


イロハの声は淡々としていた。


「……いや」


少し考えて、正直に言う。


「俺は、知らない。

 物心ついた頃には、人間は敵だと聞いた。

 理由は……

 『攻撃してくる』『危険だ』それだけだ。」


「……だったら」


イロハは、間を置かずに言う。


「とっとと、その土俵から降りろ」


俺は思わず聞き返した。


「相手の勝ちになるからか?」


「つまんねぇだろ、そんなの」


それだけだった。


続けて、イロハは言う。


「人間世界に美味い飯屋があるなら行け。

 身を隠して、楽しめ。

 スリルも含めて、人生だ」


少しだけ、間。


「ただし、無銭飲食はダメだ。金は払え」


……戦いでもない。

説得でもない。


生き方の提案だ。


そう気づいた時、

妙に腑に落ちてしまった。




道中、魔物が出た。


出会う数が多い。

ここはそういう場所だ。

囲まれなければ、危険度は低い。


イロハは、淡々と処理する。


今まで見た動き。

急速に距離を詰めて一撃、離脱。

無駄がない。


何回か魔物と遭遇した後、

一瞬、イロハの動きが止まった。


「……新しい魔法を覚えたみたいだ」


「どんな魔法だ?」


「バースト……爆発魔法か」


少しだけ、間を置いて。


「こんな危なっかしい魔法、

 試すことすらやらん」


誇らない。

むしろ、距離を置いている。


力を持っているのに、

振るわない。


その姿勢に、

俺はなぜか、安心していた。


「……それも、お前らしいよ」


そう言うと、イロハは何も答えなかった。


ただ、また歩き出した。


その背中を見ながら、思う。


この男は――

土俵に、最初から立っていない。


だからこそ、

どこまでも、自由なのだ。



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