【第5部 幕間】第4話 スズラン
早朝——
孤児院の前には、すでに人だかりが出来ていた。
しかも、全員女性だ。
身なりを見る限り、
ほとんどが貴族か裕福な商人の妻だろう。
朝だというのに、
華やかなドレスと香水の匂いが漂っている。
だが、その場の空気は優雅とは程遠かった。
「こちらで買えるのでしたよね?」
「昨日来た時は売り切れでしたのよ!」
「あら?受付だけではありませんでしたの?」
入口の前では、
すでに軽い言い争いが始まっている。
俺はその様子を見ながら、小さく息を吐いた。
数時間前——
「朝は体操のお兄さんの出番だ」
早朝、イロハにそう言われた。
「爽やかな笑顔で、ご婦人方を一列に並ばせろ」
――何を言ってるんだ、こいつは。
そう思ったが、イロハは続けた。
「いいかザッツ。
ちゃんと並んだ奴から、これを試食させろ」
そう言って渡されたのは、
見たことのない菓子だった。
丸く膨らんだ生地。
その中には、
白いクリームがぎっしり詰まっている。
俺は半信半疑で一つ、つまんだ。
で、食った。
ヤバかった。
マジでうめぇ。
そして今——
俺は喉を一度鳴らし、そして声を張り上げた。
「おはようございまーす!」
騒がしかった空気が、少しだけ静まる。
「皆さん!今日も爽やかな朝ですね!」
女性達の視線が一斉にこちらに向いた。
「リンスインシャンプーは受注生産ですので、
本日は受付のみとなっております!」
その瞬間——
「はぁ?今日買えないの?」
「聞いてませんわよそんなこと!」
「早いもの勝ちですわ!」
再びざわめきが広がる。
俺は内心で舌打ちした。
――ギャーギャーうるせぇんだよ、ババァ共。
だが、表情は爽やかな笑顔のまま。
「それでも構わない方は、
こちらに列となってお並び下さい!」
女性達は顔を見合わせる。
「今日はカイムさんじゃないのね……」
「でも、この殿方もなかなか……」
「爽やかで素敵ですわね」
――……勘弁してくれ。
俺はカゴから例の菓子を取り出し、
目の前の女性に差し出す。
「こちらをお食べになって、お待ち下さい」
――それやるから、さっさと並べ。
――食わなきゃよこせ。俺が食いたい。
女性は不思議そうに菓子を受け取った。
そして、一口。
その瞬間——
「……!」
女性の目が大きく開かれる。
「なんですのこれ!?
とっても美味しいですわ!!」
その一言がきっかけとなった。
「なにそれ?」
「お菓子ですの?」
「私もいただけるの?」
気がつけば、
その女性を先頭に、綺麗な列が出来ていた。
俺はしばらくその光景を見つめていた。
そして、小さく呟く。
「……マジかよ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私は今日も、瓶にシャンプーを注いでいた。
一つ一つ、丁寧に。
作るのは、基本的に私一人だ。
たまにイロハや子供達も手伝ってくれるけれど、
これは、私の仕事。
透明な液体を、ゆっくりと瓶へ注いでいく。
ラベンダーの香り――
柑橘の香り――
そしてこれは、新作の蜂蜜ミルク。
甘く、やさしい香りがふわりと広がる。
私は瓶をそっと持ち上げた。
そこには、小さな刻印がある。
スズランの花。
私はその印を、指でそっと撫でた。
昔のことを思い出す。
孤児だった頃――
盗みをしていた頃――
体を売っていた頃――
殴られていた頃――
でも。
――今は違う。
イロハがいて。
カイムさんがいて。
孤児院のみんながいる。
私は瓶を並べながら、小さく笑った。
「今日も、がんばるぞ」
手を動かし続ける。
今日もたくさんの人が、
私の作った物を待っている。
忙しくて。
毎日があっという間で。
もう――
梅毒のことなど、
思い出す暇もなかった。




