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【第5部】第2話 石鹸

城下の外れにあるその施設――


報告書に記されていたものとは、

明らかに違っていた。


高い塀はない。

見張りの兵もいない。


代わりに聞こえてくるのは、




子供たちの笑い声だった――




踏み固められただけの広場を、

数人の子供が駆け回っている。



木で作られた遊具――


順番を守って遊ぶ子供たち――


身なりも年齢も違う――



それでも、

そこには確かな秩序があった。


その光景は、


『隔離施設』


という言葉から連想されるものとは、

あまりにもかけ離れていた。


私は足を止める。


「……ここか」


隣に立つ侍従長が、

小さく頷いた。


入口の脇には看板がある。


そこには、もの凄く小さな文字で、




『(仮)感染症患者収容施設』




と書かれていた。

確かに名目はそうなのだろう。



――字の大きさは、わざとだな。



そう思いながら視線を奥へ向ける。

建物の裏手には、畑が広がっていた。


紫の花――


風に揺れ、

淡い香りを運んでくる。


さらにその隣には、

白い小さな花々が群生していた。


「……薬草か?」


私が呟くと、

侍従長が答える。


「報告によれば、

 衛生管理と自給のための栽培とのことです」


私はしばらく畑を見つめていた。



――隔離施設、か。



だが、

空気は重くない。


咳き込む声も、

うめき声も聞こえない。


子供が走り、


花が咲き、


風が通る。



梅毒は空気感染しない――



専門家ではない。


だが、

統治を行う立場として、

それくらいは知っている。


ならば――


「恐怖を閉じ込める必要はない、

 ――ということか」


その時だった。


「おい、そこのオッサン」


声が飛んできた。

私と侍従長が同時に振り向く。


建物の脇で、

腕まくりをした男がこちらを見ていた。



――人間、だな。


――こいつがイロハか。



作業着姿。


手には、

泡立った液体の入った鍋と桶。


男は私たちを一瞥すると、

顎で手元を示した。


「見てるだけなら邪魔だ」


一拍。


「興味あるなら、ちょっと手伝え」


侍従長が一歩前へ出ようとする。

私は軽く手で制した。


そして、

男の方へ歩き出す。


侍従長は一瞬だけためらい、

何も言わず、その後に続いた。


男は気にした様子もなく、

鍋の中にある茹で上がった草を指差す。


「サポナリアだ」


一拍。


「これを、この布に入れて絞れ」


鍋の中には、

根や茎が沈んでいた。


私はそれを手に取る。


「……これを?」


「そうだ」


男は手本を見せるように、

布へ入れて絞った。


「泡が出るだろ」


白い泡が滲み出る。


「これが洗浄成分だ」


侍従長が思わず口を開く。


「石鹸、ですか」


「正確には簡易石鹸だな」


男は、ようやくこちらを見た。


「手洗い用だ」


一拍。


「感染対策になる」


私の手が止まる。


「……これで病は防げるのか?」


男は少し考えてから答えた。


「全部は無理だ」


一拍。


「でも、減る」


それだけ言って、再び作業へ戻る。


私も黙って、

サポナリアを絞り始めた。


単純な作業だった。


布へ入れ、桶に絞る。

そして小瓶へ注ぐ。


絞るたびに、

細かな泡が立ち始める。


男はそれを掬い上げ、手に広げた。


「ほら」


手を擦り合わせる。


「汚れが落ちる」


侍従長も恐る恐る手を出す。


泡は柔らかい。

香りもほとんどない。


だが、

確かに油分が落ちる感触があった。


「……これは」


「ここを利用する全員に使わせてる」


男が言う。


「隔離者も、子供も、大人もだ」


その視線が庭へ向く。

子供たちが笑っていた。


「病気はゼロにはならない」


私は作業を続けながら、

その言葉を聞いていた。


逃すまいと、するように。


「でも」


男は淡々と続ける。


「減らせるものは減らす」


風が吹く。


ラベンダーの香りが流れてくる。


しばらく三人は、

無言で作業を続けた。


やがて、

私はふっと息を吐く。


「……悪くないな」


その声には、

わずかな柔らかさが混じっていた。


男は特に反応しない。


「そりゃどうも」


気付けば、

瓶の中には十分な量の液体が溜まっていた。


侍従長が静かに、私の横顔を見る。


そこにあったのは、

おそらく王の顔ではなかったはずだ。


権威の顔でもない。


ただ――



一人のオッサンが、

誰かの生活のために作業している。



そんな顔だったのだと思う。


この施設は、

隔離のための場所ではない。


ここは――


病と共に生きるための場所だ。

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