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【第4部 幕間】第1話 カイムの検証

湯気が、静かに立ち上っていた。


岩造りの浴槽。

熱した石。

満ちた湯。


俺は、ゆっくりと肩まで浸かった。


「……」


しばらく動かない。


「……ふぅ」


小さく、息を吐く。


「……入浴など、生まれて初めてだ」


基本的に水浴びか、

汚れを拭く程度の文化だ。


男なら尚更、

入浴をする者など――


「王族か貴族、大商人ぐらいなものだ」


独り言を呟きながら、湯から立ち上がる。


手に取ったのは、小瓶に入った液体。


イロハ製、頭髪用洗浄液……



――リンスインシャンプーって言っていたな。



蓋を開け、匂いを嗅ぐ。


「……ふむ」


少し考える。


「検証を開始する。

 正直、卵を頭からかぶるなど、

 正気の沙汰とは思えんが……」


液体を手に取り、そのまま頭へ。

髪に広げる。


次の瞬間——


「……なっ!?」


手が止まる。


「これは……なんだ、この“指通り”は!?」


両手で髪を動かす。


「まず驚くべきは、テクスチャーだ。

 泡立ちは控えめ……

 だが、サポナリアの清涼感が、

 頭皮の奥まで浸透してくる!」


目が細くなる。


「髪だけではない。

 頭皮の澱みまで一掃している、だと……!?」


だが、

真の驚異は、その後に訪れた。



湯で流す――


髪に触れる――




沈黙。




「……卵の黄身」


ゆっくりと、呟く。


「この粘性……

 髪の一本一本を被覆しているのか?」



指を通す――


止まらない――



「内部の水分を保持し、

 外部の刺激を遮断している……」


わずかに目を見開く。


「まるで……

 古びた羊皮紙が、

 最高級の絹に書き換えられたような感覚だ……!」


さらに。


「そして、このビネガー」


髪を持ち上げる。


「軋みが消えている。表面が整っている」


光を反射する髪を見て、断言した。


「……磨き上げたミスリルのような光沢だ」




次の小瓶を手に取る。


身体用洗浄液――ボディソープ。


蓋を開ける。


中身を見る。


「次は、全身の検証か」



少し間。



「見た目は、ただの煮汁だが……」



使用中。



数秒の沈黙。



そして。


「……信じられん」



腕を見る――


触る――


もう一度触る――



「これまで使用していた石鹸は、

 汚れと共に、私の皮膚そのものまで

 削り取っていたのか?」


泡を広げる。


「このサポナリアの泡……」


静かに、断言する。


「優しさの密度が違う」


腕を見つめる。


「従来の灰石鹸が、

 爆発魔法による強制除去だとすれば……」



間。



「これは……慈愛だ」


ゆっくり洗い流す。



肌に触れる――


止まる――



「汚れのみを除去し、

 皮膚の防御機構を一切損なっていない」



腕を押す――


離す――


指を滑らせる――



「……吸い付く」


真顔で言う。


「まるで再生直後の皮膚のような、

 しなやかさと弾力——」


さらに深呼吸。


「そして、このラベンダー」


目を閉じる。


「呼気と共に肺に入り、

 内側から心身を最適化している……」


ゆっくり、呟く。


「イロハ……」


少しだけ、声が柔らぐ。


「お前は、“洗う”という行為を通じて――」


一拍。


「私の中に眠っていた、

 健やかな肉体を呼び覚ました」


目を開ける。


静かに結論。


「もはやこれは、洗浄剤ではない――安息だ」


そして、ぽつり。


「……これを、

 毎日使えるスズが、少し羨ましくなってきたな」






服を着る――

そして、風魔法で髪を乾かす――


驚愕がまた訪れた。


俺は、櫛を取った。



通す――


止まらない――


もう一度——


止まらない――


さらに、指を通す――



「……俺の指が」


静かに言う。


「髪の上で、滑走している」


何度も、何度も髪をかき上げる。


そして、目を閉じた。


「このラベンダーの香り……」


深く息を吸う。


「脳の深部に直接作用している。

 思考のノイズが減少していく……」


ゆっくり吐く。


「……精神状態、安定」






しばらくして――


外で作業していたイロハが、その様子を見た。


風になびく、妙に艶のある髪。


何度もかき上げるカイム。


一言呟く。




「……誰得だ」




カイムは真顔で振り向いた。


「おい、イロハ」


「ん?」


静かに、断言する。


「売れるな」


イロハが笑った。


「はは。だろ?」




公園のど真ん中——


月明かりに照らされた、

風に揺れる、艶やかな髪の男がいた。


滑り台の横で、である。


そして――


その横でイロハが、また小さく呟いた。




「……だから、誰得なんだよ」


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