【第4部】第28話 守る場所
朝の光が、川辺に差していた。
私は、深く息を吸った。
――苦しくない……
咳は出ない。
胸も苦しくない。
体のだるさも、ほとんど消えていた。
「……軽い、かも」
自分の腕を動かし、そう呟く。
家の中では、ラベンダーの香りがほんのりと残っている。
「戻ってるな」
後ろから声がした。
振り向くと、イロハが壁にもたれて立っていた。
「熱は無いな。
咳もほぼ無し……食欲はどうだ?」
「うん。お腹空いちゃった」
「いい兆候だ。
生活が整えば、身体は勝手に戻る」
私は、少しだけ笑った。
「ラベンダーのやつ、好き」
「そうか」
イロハは短く答えたが、少しだけ考える顔になった。
「……あれ、売れる」
「え?」
「香り付きの石鹸……
貴族向けに高単価で出せる」
指を折りながら続けた。
「売上は、ここの食事と衛生に回す」
「……?」
「環境維持には金がいる」
それだけ言って、イロハは出ていった。
――やっぱり、私のためだったのかも。
私は外の川辺を見て、一つため息をついた。
「イロハって、素直じゃないな」
翌日――
川辺の端。
小さな畑をイロハとカイムさんが作っていた。
私は苗を受け取る。
「ねぇカイムさん、本当に育つの?」
「育つ、らしい。
……だよな、イロハ?」
「ラベンダーは乾燥に強い。
サポナリアは雑草みたいなもんだ」
苗を指さす。
「どっちも挿し木で増える」
スズが手を止めて、少し驚いた顔をした。
「……増えるの?」
「増やすんだ」
イロハはそれだけ言った。
土の上に、小さな未来が並んでいる気がした。
数日後——
川辺に、遊具が並んでいた。
ブランコ。
すべり台。
シーソー。
鉄棒。
そして、ジャングルジム。
土を踏み固めた、小さな広場。
カイムさんが腕を組んで言った。
「……できたな」
私は、ゆっくり見渡す。
風が吹く。
私は風の行く末に視線を動かした。
その先には、子供たちがいた。
私と同じ様な孤児たち。
少し遠くから、じっとこちらを見ている。
近づかない。
でも、目は遊具を見ていた。
イロハが気づいたみたい。
子供たちに向かって手を上げた。
「遊ぶか?」
子供たちは固まった。
イロハは、一言、言った。
「来い」
それだけだった。
一人が、そっと近づく。
ブランコに触れる。
揺れる――
イロハが乗せて背中を押す。
「怖い」「怖い」と言いながら、その子の顔は笑っていた。
もう一人が来る。
また、もう一人。
気づけば、子供たちは走っていた。
私も笑って、知らない子とシーソーに乗る。
カイムさんが鉄棒を教えてる。
子供たちの笑い声が、川辺に広がった。
さらに遠くから、別の子供たちが集まってくる。
階級も、服も、ばらばらだった。
でも。
全員、走っていた。
途中、子供の親が文句を言っていた——
……多分、階級の高い親が自分の子を
下級の子供と遊ぶのを嫌がったんだと思う。
でも、イロハを見て何も言えなくなった。
『ゆ、勇者を止めた……!?』って呟いていた。
イロハはその親を連れて『缶ケリ』の鬼をやらせてた。
――てか、缶って何? 瓶じゃん。
私は、イロハの隣に立つ。
しばらく、子供たちを見ていた。
そして、聞いた。
「……こういう場所を、作りたかったんだね」
イロハは、子供たちから目を離さないまま答えた。
「子供はな――」
風が吹く。
「笑って――」
ジャングルジムの上で歓声が上がった。
「体を動かして――」
ブランコが高く上がる。
「後は――」
少し間を置いて。
「飯だ」
イロハが振り返る。
大きな声で叫んだ。
「おい! 子供たち!」
全員の視線が向く。
「焼き小麦、食うかー!?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「なにそれ!?」
「食べる!!」
「いいの!?」
子供たちが一斉に、イロハの元に走り出した。
私も手を上げた。
「焼き小麦知らない!私も食べたい!!」
イロハは即答した。
「お前は、まだおあずけだ」
「えー!」
私は頬を膨らませた。
カイムさんが、小さく笑っていた。
川の音が流れる。
笑い声が混ざる。
風が、ラベンダーの畑を揺らした。
私の病気は、消えたわけじゃない。
病気との戦いも、終わっていない。
それでも――
ここには――
笑う場所がある。
体を動かす場所がある。
生きるための場所がある。
――私の帰る場所が、できた。
【第四部 完】
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