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【第4部】第27話 生活という治療

第部屋の中に、やわらかい香りが満ちていた。


ラベンダー。


弱火で数時間。

沸騰させない。


揮発成分は、飛ばしたら意味がない。


ゆっくりと、

オイルに香りを移していく。


蜜蝋を加え、混ぜる。


冷めるにつれて、

それは軟らかい膏状になった。


俺は指先で少量を取り、スズの胸元に塗る。


鎖骨の下。

気道に近い位置。


「深く吸わなくていい」


静かに言う。


「自然に呼吸しろ」


スズは小さく頷いた。


香りを確かめるように、ゆっくりと息をする。


咳は、少ない。

呼吸も、昨日より深い。



――いい。



刺激は少なく、負担もない。


今は、これでいい。






外では、カイムが岩を運んでいた。


川辺の少し奥。


カイムはマジックバッグから、

一番大きな岩を取り出した。


岩に杭を打つ。


四隅と中央。


位置を確認し、

カイムは詠唱を始める。


「バースト」



ボンッ――!



小さく弱い爆発。


打ち込んだ杭の内側が爆ぜる。


ちょうど人一人が、スッポリはまる溝が出来た。


その岩を中心に、

石を並べ、壁の形に積んでいく。


壁の最上部に柱を渡す。

その柱に屋根を乗せる。


壁は完全には閉じない。

空気が抜ける隙間を、あえて残す。


「……家庭用の風呂なんて、

 大商人か貴族の特権だと思っていたが」


カイムは誰に言う訳でもなく、

独り言を続ける。


「まさか、孤児の少女が持つとはな」


「だろうな。それに……」


イロハが割って入った。


「お前達の国なら、どうせ、

『梅毒者に共同浴場も禁止』だろ?」


「……ああ」


「色んな意味で、換気が必要なんだよ」


湿気と熱は、逃がさないと体に負担になる。

古い習慣、悪しき習慣も同じだ。


「……時間はかかるがな」


「そういえば、お前の方は出来たのか?」


「あぁ。超高級品だぞ?」






少し時間は遡り――


カイムが岩を運んでいる頃。


俺はサポナリアを採集していた。


サポナリアの根を砕き、水で煮出す。


ある程度煮出したら、ラベンダーを投下。


人肌程度に冷めた所で、

卵の黄身、ビネガーを加える。


「リンスインシャンプー、だな。

 さて、次は……」


残しておいた、

ラベンダー入りのサポナリアの煮汁。


これを濾せば、完成。


「ボディソープ……もどき、だな」


この世界の石鹸は、刺激が強過ぎる。


洗浄力は高いが……

スズには“医療事故レベル”だ。


それに、シャンプーはキューティクルを崩壊させる。

要するに、ボサボサになる。


スズは、思春期の女の子だぞ。


衛生環境は大事だ。


でも、それよりも……



――“女の子”として、在りたいだろ。



俺はリンスインシャンプーを小瓶に注ぐ。



――サラサラな髪になる、はずだ。






「……超高級品、か」


「後でお前も使ってみろ」


「いいのか?」


「検証は必要事項だろ」


「……そろそろ、湯を張ってみるか?」


「頼んだ。スズに用意させてくる」


カイムは岩で出来た浴槽の四隅に、

赤く熱した石を入れる。


ウォーターボールを少しずつ放つ。


水が満ちる。


石から熱が伝わり、湯気が立ち上がる。


最後に、すのこを沈める。

浮かないよう、石で重りを乗せた。




俺はゆっくりスズを先導する。


「入れるか?」


スズは少し戸惑いながら、

浴室にゆっくり足を踏み入れた。


タオル一枚の体。


俺はその背中に、例の痣とは違うものを見た。


片方の翼が、少し剥がれている。


明らかな刺し傷、切り傷の痕跡。



…………。



「スズ」


「なに?」


「……ゆっくり、温ったまれ」


スズは足先を湯に入れた。


「……あったかい」


少しずつ、体を沈めていく。

肩まで浸かる。


その瞬間、

呼吸が、すっと落ちた。


肩の力が抜けた。


顔色が、わずかに戻る。


目を閉じる。


長く、ゆっくりと、息を吐いた。



――副交感、戻ってきたな。



昨日までの、張りついた緊張がない。


体が、戦闘状態から離れ始めている。


それだけで、免疫は変わる。



――これでいい。



今は、それでいい。


俺はリンスインシャンプーと、

ボディソープの使い方を伝え、浴室を後にする。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




私はお風呂から上がり、それを使ってみる。



――石鹸なんて、いつぶりだろ……



泡立ちは弱い。

でも、汚れは落ちる。


皮膚の刺激も少ない。



――肌が痛くない……優しい石鹸なんだ。



ラベンダーの香りが残る。


リンスインシャンプーを使ってみる。


いつもは、ボサボサになる。

酷い時は、クシも通らない程だ。


でも、これは違った。


サラサラだ。

初めて、サラサラになった気がする。


私は何度も何度も、自分の髪を撫でた。


少しだけ笑った。


「……いい匂い」


お湯なのか、何なのか分からない。


私が見る景色は、少し、滲んでいた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




夜——


スズはベッドで眠っていた。


呼吸は深い。

咳も、ほとんど出ていない。


顔色も、朝より良い。


カイムが小さく言う。


「……落ち着いてきたな」


「ああ」


俺は、外に出る。


川の音——


湿った空気——


手の中には、作ったばかりの洗浄剤。



泡——


香り――


衛生——


感染予防——


皮膚管理——


呼吸ケア――


生活環境——



――全部、治療だ。



魔法じゃない。

奇跡でもない。



――ただの、生活だ。



俺は容器を見ながら、小さく呟いた。


「……これ」


少し考える。



材料——


手間——


効果——


需要——



「売れるな」


川の音だけが、静かに続いていた。

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