【第4部】第26話 治療の外側
翌朝——
スズは、俺の膝の上で目を覚ました。
石造りの家。
ベッドも椅子も――家具はない。
自分の身体を背もたれ代わりに、
スズの身体を預かる。
――この姿勢、腰が辛いな。
スズと目が合う。
顔色が悪い。
「大丈夫か?」
「……少し、だるい」
声に力がない。
額に手を当てる。
微熱——
首元には、うっすらと赤みが出ていた。
昨日までとは、色も広がり方も違う。
呼吸も浅い。
時折、小さく咳が出る。
目に力がない。
反応が、半拍遅い。
――ストレスによる免疫低下。
梅毒の進行条件は、揃っている。
「今日は無理するな」
スズは小さく頷いたが、
疲れている様子だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
昼過ぎ――
カイムが戻って来た。
そして、すぐにお遣いを頼む。
「ベッド、買ってこい」
カイムがお遣いから戻り、
マジックバッグから簡素なベッドを出す。
石造りの家に、家具が一つ増えた。
それを見て、スズは小さな笑顔を作った。
嬉しそうだった。
スズをベッドに寝かせ、
俺とカイムは川辺の外れで作業を始めた。
地面の上に、大きな石をいくつも並べる。
その下で、火が焚かれていた。
石は赤く熱せられている。
その石を家の隅に置く。
石造りの家だから、火事の心配はない。
その上に、
屋根の余りの薄い石板が置かれ――
さらにその上――
人の胴ほどもある氷の塊。
ゆっくりと、蒸気が立ち上っていた。
「……これで、いいのか?」
カイムが聞く。
「あぁ、加湿だ」
俺は、湯気の広がりを見ながら答えた。
「熱した石で蒸発を促す。氷で温度を落とす」
白い蒸気が、風に乗って広がる。
「気道の負担が減る」
カイムは少し黙ってから言った。
「……他に出来ることはあるか?」
「ああ。また、お遣いを頼む」
俺はスズを見ながら続ける。
「ユーカリか、ラベンダーを買ってきてくれ。
理想はユーカリだ。あと、蜜蝋もだ」
カイムは頷いた。
「なら、花瓶もいるだろ」
「いらん」
即答だった。
「観賞じゃない。
呼吸を楽にするだけだ」
夕方——
カイムはラベンダーを抱えて戻ってきた。
鍋に水を張り、花を入れ、火にかける。
甘く、やわらかい香りが立ち始めた。
その鍋を部屋に置く。
蒸気が、ゆっくりと部屋に満ちていく。
スズは、目を閉じて呼吸していた。
咳は、少し減っている。
俺は少しホッとして、部屋を出る。
残ったラベンダーとオリーブオイルを鍋に入れ、
弱火にかけた。
その様子を見ながら、カイムが小さく言った。
「……ユウキは、軍に引き渡した」
俺は頷いた。
「評議会が扱うことになる」
少しの沈黙。
そして、カイムが聞いた。
「スズは……治るのか?」
俺は、鍋の火を見ながら答えた。
「治療薬の問題だ」
「どこにある?」
間を置かず、カイムは言った。
「あるなら、買ってくる」
俺は首を振った。
「ない」
少し間を置いて、続けた。
「……ペニシリンだ」
カイムの眉が動く。
「この世界には、ない」
さらに、もう一言。
「俺には作れない」
そして、自分自身を鼻で笑う。
「……南方先生じゃないからな」
――ドラマ、ちゃんと見ておけば良かったな。
「……」
静寂。
(この世界には、ない)
カイムの頭の中には、その言葉が残った。
(……この世界?)
だが、それを口には出さなかった。
代わりに、聞いた。
「なら、どうする」
イロハは答えた。
「免疫を落とさない――」
「衛生環境を整える――」
「体力を落とさない――」
「ストレスを減らす――」
ラベンダーとオイルが、静かに絡み合う。
「梅毒はな――」
低く言う。
「身体が弱ると、出てくる。
だから、出てこれない状態を作る」
カイムは黙って聞いていた。
それは、治療ではない――
戦いでもない――
生活だった――
環境だった――
生き方だった――
俺は、ゆっくり振り向く。
「カイム」
短く言う。
「風呂、作るぞ」
カイムが目を上げる。
外では、川の音が続いている。
病気は消えない。
薬もない。
それでも――
守れるものは、ある。
守り方は、ある。
戦う場所は、身体の中じゃない。
その外だ。




