エピローグ-1 SIDE B‐①:行かなかった場合
城東署に着いた拓雄は、受付で阿川刑事を呼び出して貰った。するとしばらく待たされた後にやってきたのは、彼でなく別の警官だった。
「阿川は今取り込み中なので、別の部屋でお待ち下さい。案内しますのでこちらにどうぞ」
和可菜の事情聴取をしているのだろう。その話の展開によっては、拓雄からも話を聞こうと思っているらしい。上等だ。こちらに疚しい事は何もない。何を尋ねられようが、ただ知っている事実だけ、また自分の信じることだけを口にするだけだ。
もし和可菜が犯人だった場合を考えると、正直頭が痛い。それでも彼女は彼女だ。拓雄に真実を打ち明けられず、また歩と揉めたのも何らかの事情があってのことだろう。好きになり人生の伴侶と決めた相手は、単なる保身に走る女性であるわけがない。己の目を信じろ。
案内する警官の後を歩きながら、拓雄は心の中でそう呟いていた。
「こちらの部屋で、座ってお待ち下さい」
そう促され入ったのは、小さな会議室のような場所だった。長机が二つあり、それを挟むようにパイプ椅子が四つ並んでいた。これまで事情を聞かれた際に使った取調べ室とは少し違う。そっちは埋まっているのかもしれない。
入り口から遠い椅子の一つに腰を掛け、誰が来るのかドアを睨むようにして待つ。その間、色々なパターンを頭に思い浮かべる。
しばらく経って、阿川と久利が入って来た。やはりこの二人が拓雄達の担当のようだ。ということは、和可菜の聴取は終わったのか。それとも一旦休憩に入っただけなのか。
警戒しつつ、座ったまま軽く会釈した。彼らも頭を下げながら近づき、長机を挟んで正面に置かれたパイプ椅子に腰かけた。
「わざわざご足労頂いて、申し訳ありませんね」
ちっともそう思っていないだろう口調で話す阿川に、拓雄は噛みついた。
「和可菜の聴取は終わりましたか。さっさと帰して下さいよ。彼女はあの現場にいただけで、何もしていませんって」
「ほう。綿貫さんはご存じでしたか。それは人が悪い。どうして言わなかったのですか」
「知ったのは最近です。歩さんとの関係を彼女から聞き出した際、打ち明けられました。でも彼女は犯人じゃありません。現場に着いたのは、既に歩さんが階段から落ち騒ぎになった後だったと聞いています。最初、刑事さん達に黙っていたのは、私がDMで呼び出されていると知り、何か関わり合いがあったら行けないと思ったからです。彼女自身は、DMで時間と場所だけを知らされたに過ぎません。事件が起こったのは、その時間より少し前ですよね」
「まあまあ、落ち着いて下さい。和可菜さんに話を伺いその点はご説明頂いておりますし、確認も取れました」
「だったらもういいでしょう」
「しかし今綿貫さんがおっしゃった話で、一つ違う点があります。それは現場にいた時間です。後田さんは待ち合わせで指定された時間より、三十分は早く前に着いたそうです」
拓雄は言葉を失った。という事は想定してきた、最悪の事態が起きたのだと理解する。そう考え、咄嗟に反論した。
「彼女がそう言ったのですか。もしそうだとしても、歩さんを突き落としたとは限りませんよね。それとも何かそういった証拠が見つかりましたか」
「物証はまだ見つかっていません。彼女から事前に提出されたDNAなども、被害者の衣服からは検出されていません。ただですね。もし彼女で無いとすれば、時間的に言っても誰が突き落としたのかを目撃していた可能性が高い。そこでお話を伺っていたのです」
全く頭になかった話の流れについて行けず言葉に詰まっていると、彼が続けた。
「私達から見て、どうやら誰かを庇っているように思えます。彼女はまだそう認めてはいませんが、時間の問題でしょう」
「わ、和可菜が誰かを庇っている、というんですか。まさか」
「まさか、ですよね。自分も疑われながら、警察相手に真犯人を庇うなんてなかなかできることではありません。そう思いませんか」
ようやく阿川が何を言いたいのか理解できた。
「ちょっと待って下さい。まさかまた私が真犯人で、彼女がそれを知りながら隠していると言うのですか。私じゃない。それは絶対に違う」
拓雄が激しく首を振ると、彼は身を乗り出し尋ねて来た。
「その可能性も否定できませんが、違うのなら他にどなたか心当たりはありませんか。婚約者であるあなた以外に、身を挺して守ろうとする相手です。そう何人もいないでしょう」
もしかして、と思ったがそれはあり得ない。それでも聞いてみた。
「彼女が私以上に大切だと思う人がいるとすれば、母親くらいでしょう。昔近所に住んでいたと聞いていますから、圭子さんも歩さんを知っているでしょうけどさすがにそれは、」
そこで言葉を切った。
いや、待てよ。もし彼女が和可菜と拓雄の結婚に反対する歩の存在を知り、同性愛者である彼女と過去に付き合っていた事実を暴露されたくないと考えたらどうか。歩の試みを邪魔しようとし、揉めた可能性はある。
そこまで考えが及んだところで、阿川は首を振った。
「私達もその線を疑いました。綿貫さんというこれ以上ない、学歴も地位もあり収入もある相手との結婚を阻害する人がいるとすれば、排除しようと思うのも無理はありません。しかしですね。彼女にはアリバイがありました。事件があった日の夜、近所の人とお話ししていたと分かりました。その時間から逆算し現場まで行くのは不可能だと確認もしています」
そう聞いて胸を撫で下ろした。しかしそれなら一体誰だ。他に心当たりなど全くない。拓雄がそう告げると、彼らは大きく溜息を吐いた。
「そうですか。綿貫さんなら何かヒントをお持ちかと思ったのですが、どうやら後田さんは、あなたにもまだ隠していることがありそうですね」
「なんてことを言うんです。そんなはずは、」
そうだろうか。拓雄はもう一度問い直した。彼女は歩との件をずっと隠し通してきた。最近では妊娠していた件もそうだ。そう思うとまだ他になにか秘密があってもおかしくない。
だがそんなことを信じたくはなかった。結婚をするなら相手は和可菜しかいない。そう決めたではないか。
しかし拓雄以上に大事な人がいるとなれば、話が変わってくる。それが拓雄の知らない別の相手、同性愛者だとしたらどうか。
頭を抱えていると、突然ドアが開いて刑事らしき人が駆け込んできた。
「どうした」
尋ねる阿川の耳元で、相手は手で口元を隠し何やら話していた。その内容を聞き、彼は目を見開いた。
「本当か。それで話はできるのか」
相手は何も言わず、再び耳元で囁いた。その報告を受け、彼は立ち上がった。
「綿貫さん、申し訳ありません。もうしばらくここでお待ち頂けますか。後田さんに急ぎ確認しなければならないので」
「ちょっ、ちょっと待って下さい。何があったんですか。教えて下さい」
こんな状態でこのまま逃げられ、置き去りにされては困ると思い、必死に彼の腕を掴んだ。その余りの大胆な行動に驚いた彼は、少し躊躇しながらも口を開いた。
「病院から連絡があり、少し前に歩さんの意識が戻ったようです」
「ほ、本当ですか。だったら犯人が誰か、分かったんですか」
「近くにいた他の捜査員が、少しだけ話をしたそうです。ですがこれ以上は言えません」
そう告げて手を振りほどいた彼は、他の二人と共に急いで部屋を出て行った。恐らくその犯人の元に行くのだろう。それが和可菜であれば本人に確認し、認めればそのまま逮捕となる。
違った場合は、その人物を目撃したかを問い正すに違いない。その証言を持って、真犯人を逮捕するはずだ。
誰が犯人なのか。拓雄は力が抜け、崩れ落ちるように椅子に座った。これでようやく今回の事件にけりがつく。だがその結果、二人の結婚はどうなるのか。影響を与えるのか、それとも無関係でいられるのか。
答えを知るには待つしかない。拓雄は両手を握り、祈るような気持ちで佇むしかなかった。




