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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第零部 前日譚 不良娘はいかにして過ごすか
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08. 淑女が不良に堕ちるまで

 キングレー伯爵家とサンチェスター侯爵家は仲が良い。

 隣領で、家も比較的近く、辺境に赴くにしては気軽に行き来出来る程度。領を繋ぐ大橋の整備が先代の頃に終わり、キングレー伯爵の先々代が整えた交通がさらに良くなった。

 学生時代からの級友である彼らが交流を持ち続け、懐妊の時期も同じようになるのは必然だったのだ。


 長男の出産は、ほぼ同時期だった。キングレー伯爵家、サンチェスター侯爵家ともに男子が産まれ、これで跡継ぎの杞憂は必要ない、と両家は手を取り合って喜んだ。

 続いてすぐにキングレー夫人は二人目を懐妊。長男エドワーズの出産から一年半ほど経って、次男グレインが生まれた。両家は大いに沸き、次々と生まれる愛すべき命を、大切に、大切に育んだ。


 しかしながら、伯爵夫人、侯爵夫人は茶の席で口癖のように言う。


「貴族として、男子が産まれてくれるのはもちろん嬉しいけれど、女の子も欲しいわね」


 その欲求が頂点に達したのは、侯爵夫人がイルヴァンを産んだ後のことだった。

 伯爵家と侯爵家で合計四人もの子どもを産んだが、全部男の子だった。次男ができ、長男に何かあったときに家を継いでくれる安心感はあれど、ママ友と化していた二人は、事あるごとに女の子を欲しがった。


「ミルフェが女の子を産んだら、わたくし、自分の娘のようにかわいがってしまいそう」

「リナーシェが産んでも同じですわ。うふふ、かわいいドレスを着せて、いっぱいいっぱい愛を注ぎたいの」


 リナーシェ・キングレーはまた懐妊し、そして待望の女の子が生まれたのは春の中頃だった。父にそっくりな美しい青の少女を見て、ミルフェとリナーシェは手を取り合って喜んだのだ。

 その後の夫人たちの茶会の熱量はすさまじく、何を習わせたいか、何を着せたいかとそんなことばかりを話していた。その後、ミルフェももう一度懐妊するのだが、生まれたのはまたしても男の子だった。

 6人の子どもが生まれ、そのうち女子はアルシェスタのみ。二人の母親の、女の子への欲望はすべてアルシェスタへと向いた。


「わたくし、アルシェスタを立派な淑女に育てたいの。キングレー伯爵領はどんどん注目をされてきて、エドワーズと公爵令嬢の婚約が調うくらいなのよ? アルシェスタには好きな人と結婚してほしいから、相手がどんなに素敵な人でも気後れしないよう、わたくしに教えられることは全部教えたいの」


 リナーシェは、よちよち歩きを始めた娘を見やって、そんなことをミルフェに話した。ミルフェはそれに頷き返して、目元に涙を浮かべて告げたのだ。


「淑女教育はとても厳しいわ。心を鬼にして、きちんと育てなければね」

「ええ。女の子は母親を嫌うと言いますけれど、私はアルシェスタのために、悪者になりますわ」


 女は強く、気高くなければ貴族社会で生きていけない。

 国の貴族社会の思想としては、淑女の理想は淑やかに、しかし強く美しく。笑顔の仮面を被って、しがない悪意はおっとりと流さなくてはならない。

 けれどそれはそれとして、娘にはかわいい服を着せてあげたい、たくさんお洒落させたい。そんな母としての欲望が膨らみ、ミルフェからは誕生日の度にかわいらしい服やアクセサリーがたくさん届くようになった。


 アルシェスタは好奇心旺盛な娘だった。母はアルシェスタが6歳になった頃から少しずつ淑女教育を開始し、8歳になる頃にはアルシェスタに自由な時間はなかった。

 刺繍に歌、ダンス、お花、楽器、装飾品作り――エトセトラ。日替わりで毎日詰め込まれる習い事の量に、代わる代わる国の歴史経済、地理、神学、数学、物理学、魔術学などの教養を徹底的にたたき込まれる。

 誰も止める人間がいなかったのがアルシェスタにとっての不幸だった。8歳の少女にとって、自由な時間がないことは致命的に心の発育を妨げ、高いレベルの教育は理解のレベルをしばしば上回り、アルシェスタを現実逃避へと向かわせた。

 しかしリナーシェとミルフェは心を鬼にして、アルシェスタを徹底的に教育した。泣いてしまうアルシェスタを叱り、逃げ出したアルシェスタを捕獲し、時には軽い鞭打ちのような折檻も伴った。

 けれど教育がうまくできていなかったら、将来社交界に出て苦労をするのは娘だ。だから必要なことだと言い聞かせて、リナーシェとミルフェはアルシェスタを厳しく躾けた。

 しかしアルシェスタはどうしても耐え切れず、母たちに言っても無駄だと思ったのか、父に直談判するも、父は穏やかに笑って、アルシェスタの頭を撫で、こんなことを言い放つ始末。


「リナーシェも、ミルフェも、女の子が生まれて嬉しいみたいなんだ。許してあげなさい」


 虐待まがいの教育をいくら訴えても、父はまともに取り合わなかった。

 アルシェスタにとって、癒しの時間はイルヴァンが家に来ている時間だけだった。アルシェスタがイルヴァンと離れたくなくて癇癪を起こせば、イルヴァンがそれを優しく抱き留めて、夫人たちを嗜める。

 父を頼っても絶対にしてくれなかったことを、兄代わりの幼馴染は簡単にやってくれた。


 その頃、兄たちはちょうど寄宿舎のある領の小学校で社会勉強をしていたため、家にはアルシェスタしかいなかった状況も、悪かったのかもしれない。


「シェス、大丈夫だよ。泣かないで」

「イル兄様……イル兄様ぁっ」

「よしよし。シェスはよく頑張ってるよ。だから俺がいるときくらい、俺と一緒に遊ぼうな」


 イルヴァンはアルシェスタにどんなに甘えられても鬱陶しがらなかった。当時、アルシェスタにとって味方はイルヴァンただ一人で、ただ一人尊敬できる相手だったのだ。


 遊び盛りの子どもの時期、幽閉されるようにして教育を受けさせられていたアルシェスタは、イルヴァンの話を聞いているうちに、自分の状況がいかに異常かを悟る。

 イルヴァンは友達と遊びに行ったり、兄と野山で追いかけっこをしたり、家の近くにある道場に剣を習いに行ったり――そんなことをしていることを話す。イルヴァンはそれらを自分で望んで行なっていて、親からやれと言われたのは、一日にほんの数時間の家庭教師による勉強の時間だけ。

 では、自分は何なのだろう。一日中縛り付けられ、好きなこともさせて貰えず、ただお前のためだと言われて振るわれる鞭は痛いだけ。

 それを考えたとき、アルシェスタの中で、何かがちぎれた音がした。


(わたしが我慢する必要って、本当にある? わたしが、こんなに苦しい思いをする必要って、どこにあるのかな)


 鬱憤がすべてはじけ飛んだきっかけは、些細なことだった。

 11歳になったある日、母は領地に友人を呼んでお茶会をするようになった。とはいっても、快適過ぎるキングレー伯爵領からは特に出ようとは思わず、伯爵領に旅行に来た知り合いを招いて、内々でのお茶会を開催する。

 母は今日も上機嫌でアルシェスタを飾り立てていた。母の趣味は少しだけ幼く、リボンやフリルがふんだんに使われたドレスは、11歳という年齢を考えると少し甘すぎる。


「シェス、とっても素敵よ。シェスは同年代の中でも所作が綺麗だし、きっと皆素敵だって思ってくれるわ」

(――。他人に素敵だって思われて、何になるっていうの?)


 口には出さずに、アルシェスタは興味なさげに吐き捨てる。


(他人にどう思われようが、自分がない方が嫌じゃない?)


 自分らしさを捨てて、それで何になるというのか。淑女教育は、受けていくごとに個性を損なわせる、と感じた。決められた思想、決められた規則に従って、粛々と相手に遠慮をしながら慎み深く振舞う術。

 自分らしさを否定されているような気分だった。自分が良いと思ったことを、口にすることを叱られる。必要なことだけを選び分けて、自分の本音を隠しながら、相手より有利に立ち回る。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()


「さぁ、シェス。ほら、このリボンを――」


 母が欲しいのはアルシェスタ(わたし)じゃない。

 母の言うことを何でも聞く、女の子だ。


 それを悟ったとき、目が覚めるような思いと同時に――アルシェスタは、意志持たぬ母の人形をやめることにした。

 母が頭に乗せようとしたリボンのついたカチューシャを手で払う。音を立てて、床にカチューシャが転がった。


「いらない」


 自分でも驚くほどに平坦な声が出て、現実を歪めていく。

 動けない母を置いて、アルシェスタは部屋を飛び出した。重いドレスを引きずりながら自室へ戻ると、ドレスを脱ぎ捨てて部屋に鍵をかけた。

 お茶会のボイコット。それは、アルシェスタが今までにやったことがない、初めての親への反抗だった。

 しかし、その数分後、部屋のドアがノックされる。その奥からは、少しヒステリックな母の声が聞こえる。


「シェス! 何をしているの! お客様を待たせてるのよ!」

「……うるさい」


 アルシェスタの目が据わっていく。同年代と比べて、教養があり、心が未成熟な少女は、歯止めが利かなくなると、どこまでも壊れていくことをやめなかった。

 ふらりと立ち上がり、どんどん、と手でドアを叩く母の元へと向かっていくと、木製のドアを、思い切り蹴り飛ばした。

 ガン、と鈍い音がすると、向こうの音が止んだ。


 母は生粋の貴族令嬢で、大きな音には慣れていない。とりわけ、暴力的な音には。


「あっち行ってよ。お茶会とか知らない」

「な……シェス! なんてことを言うの!」

「うるさい。知らない。わたしが望んだことじゃない」


 もう一度、ドアをがん、と蹴ると、母の小さな悲鳴がドア越しに聞こえた。


「お母様なんて大嫌い。一生話しかけてこないで」


 強い拒絶の言葉が響いて、アルシェスタはそのままふて寝した。

 その扉の外で、娘から唐突に放たれた強烈な拒絶の言葉に、夫人の目の前は真っ暗になっていた。

 結局、その日のお茶会は、母娘揃って体調を悪くしたとなり、伯爵が丁寧に対応してお開きとなった。


 アルシェスタの反抗は、一日だけでは終わらなかった。食事の時間になり、呼びに来た侍女に、アルシェスタは告げたのだ。


「部屋で食べるから持ってきて」

「……旦那様と奥様が、一緒に食事を、と」

「じゃあ要らない」


 アルシェスタが母に強烈な拒絶の言葉を述べて以来、屋敷の雰囲気はぎくしゃくしていた。

 アルシェスタは触れた者皆傷つけると言わんばかりの鋭利な雰囲気を身に纏い、使用人ですら声を掛けるときに一息置かなければ触れるのが恐ろしいというほど。

 父母と顔を合わさせようとするとすべて拒絶する。一度、言うことを聞かないなら食事を抜くという方向性でアルシェスタを食卓へ引きずり出そうとしたが、アルシェスタは根を上げなかった。結局、娘の不摂生を怖がった夫妻が一日で折れ、アルシェスタはその日以来自室で食事を摂るようになった。


 ある日、クローゼットの整理に訪れた使用人に向かい、アルシェスタは告げた。


「それとそれとそれと……その少女趣味のドレスは全部要らない。持ってって」

「……か、かしこまりました」

「あと、エド兄様とレイ兄様のお古があったら持ってきて」

「お、お嬢様。お兄様方のお洋服は男性用ですが……」

「だから何?」

「……いえ……」


 母やおばから贈られたドレスはすべてクローゼットから取り除かれ、アルシェスタのクローゼットには兄たちのお古の男性ものばかりが並ぶようになった。

 母の悲鳴を聞いて駆け付けたミルフェが、一度アルシェスタの説得を試みたことがあったが、同じような強烈な拒絶を受けて、ミルフェも意気消沈といった様子となった。


「シェスちゃん、どうしちゃったの……? あんなこと言う子じゃなかったじゃない」

「分からないの……ただ、顔を合わせると舌打ちをされるし、話しかけたら鬱陶しがられるの。家庭教師の授業も、習い事もサボるようになっちゃって……」

「反抗期、なのかしら。でも、こんなのって……」


 アルシェスタはある日突然、何の前触れもなく父母を鬱陶しがるようになった。思春期の心の機微としてはあってもおかしくはないが、それにしてもアルシェスタの拒絶は度を越えているようにも思えた。

 実際には、5年間蓄積した鬱憤が爆発しただけなのではあるが、母たちは幼い頃から教育の重要性をアルシェスタに言い聞かせて来たのだ。その教育の仕方に問題があったとは、思っていなかったのだ。

 だからずっとすれ違う。アルシェスタは日に日に変貌していった。


「……奥様」

「シェスの様子は……?」

「お嬢様が……男子のようなお言葉でお話されるようになっております」


 リナーシェは眩暈がした。リナーシェが贈ったドレスはすべて侍女たちに預けられ、使用人室で捨てられもせずに仕舞われていることを知っていた。ドレスを捨て、アルシェスタが最近身に纏っているのは、兄たちのお古の男物だった。

 淑女らしく、と口癖のように聞かせて来たはずなのに、アルシェスタは真逆のことをしようとしている。いくら反抗期とはいえ、これ以上は将来にかかわると判断した夫人は、意を決して、アルシェスタとの対話に臨んだ。

 ――しかし、結果はというと。


「あ?」


 アルシェスタの第一声で、すでに心が折れそうだった。


「シェ、シェス。いい加減にしなさい。もう十分に皆を困らせて満足したでしょう? そろそろ、元のシェスに戻って――」

「……は? 元の僕って何。言ってみろよ」

「――っ。あなたは、私の自慢の娘だったわ。同年代の誰よりもお淑やかでかわいらしい淑女だったじゃない。お勉強も習い事も休んで、家庭教師の皆さんに申し訳ないでしょう! お母さん、あなたには立派な淑女になって欲しいの。立派な――」

「――――――はっ。ねぇ、母さん、淑女って何? 僕、アルシェスタなんですけど」


 アルシェスタは鼻で笑って、自嘲するように、心底嘲笑うように、冷たく言い放った。


「母さんって、僕のことアルシェスタじゃなくて、淑女だと思って育ててたんだ。ああ、じゃあ納得だね。あんな虐待まがいのことをしていても正しいって思ってたんだ。そりゃ、娘じゃなくて淑女を育ててると思ってたら、あそこまで厳しくもなれるよね」

「――な、にをいって――」

「だって、ほんとのことでしょ。母さんがかわいがってるのはアルシェスタ()じゃない。自分の言うことを何でも聞いて、自分の好きなように飾り立てられる、名も無き淑女ってやつなんでしょ。だったらもういいよ。僕は目が覚めたから。これからは淑女じゃなくて、アルシェスタとして生きていくから」


 自分の理想の淑女から遠く離れて、まるで男子のようになっていく娘。

 それが明らかに、自分が掲げていた淑女という、アルシェスタを育ててそこに導くのだと思っていたリナーシェへの、当てつけとしか思えなかった。


「そんなに淑女が欲しいなら、他家からもっと従順な母さん好みの女の子でも養子に取りなよ」


 その言葉に、リナーシェの中で、何かが切れたような音がした。

 ぱちん、と渇いた音が響いて、時が止まる。アルシェスタの頬に、赤い痕が残る。

 いつもなら、折檻をすると痛いのが嫌だと泣き喚いて、それ以上逆らわなかったアルシェスタ。

 しかし、アルシェスタは嘲るように笑い声をあげると、つぶやいた。


「母さんっていつもそうだよね。自分の思い通りにならないことがあると、すぐに暴力に頼る」

「――っ」

「それで許される環境で生きて来たんだね。お貴族様ってすごいよね。暴力で他人を従えても誰も文句を言わないんだから」

「わ――私は、私はっ」

「僕のことが気に入らないなら捨てれば? 自分の思い通りにならない娘は要らないんでしょ? そんなに傲慢だから、だからあんなに僕から時間を、世界を、感情を、全部全部奪って、それが正しいことかのように振舞えるんだ」

「ちが……シェス、違うわ、そんな、そんなことじゃ!」


 アルシェスタにそこまで言われて、リナーシェは初めて、教育がアルシェスタの凄まじい負担になっていたこと。

 遊び盛りの時期に家に閉じ込められ、望まない勉強を強要されていたこと。

 アルシェスタが子どもとして、親に甘える時間のすべてを奪ったことを、思い知った。


 アルシェスタに厳しく接しすぎて、アルシェスタは、母に甘える方法を失ってしまったのだと。

 父母には何を言っても無駄だと諦められたから、興味がなくなった相手に対して、どこまでも残酷な言葉を向けられるようになったのだと。


「どうでもいい」


 大切に育てていたと思っていた娘が、何もかもに希望を失くした少女のようにつぶやいた言葉に、リナーシェはその場に崩れ落ちた。

 ――その後、アルシェスタが本気の家出未遂をして、伯爵夫妻は、自分たちがやらかしたことの大きさを思い知ったのであった。

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