07. 次男と長女
進級直前、春季休暇の後半に差し掛かったころ。
エリーラから手紙を預けられたアルシェスタは、それを開いて顔を引きつらせた。
「――様子を見に来る、だって?」
心底嫌そうに手紙をぺっと放り投げて、現実逃避をするかのように爪やすりを持ち、爪を整え始める主を、エリーラはため息を吐きながら見つめ、アルシェスタが捨てた手紙を回収する。
「お嬢様。ご心中察しますが、逃げていても解決は致しません」
「知らないよ。アポイントは一節前に入れておいてくれ。僕は忙しいんだ」
「遊びの誘いなら、前日でも予定次第でお受けいたしますのに」
アルシェスタの家庭環境は少しだけ訳アリだ。ただ、それはいわゆる家庭内の問題に発展しやすい「継母と連れ子があーだこーだ」「親戚との借金があーだこーだ」「兄弟・姉妹格差があーだこーだ」というものではない。
ただ一つ、端的に表現するなら、アルシェスタは絶賛「反抗期」である。
「母さんか親父が来るなら僕、家出するけど」
「はぁ……ですが実際に、ご家族の訪問は無視できないのではありませんか?」
「…………」
「それに、毎月来る手紙に対してあんな仕打ちを受けていたら、流石に伯爵夫妻がじかに来る、ということは考えにくいのではありませんか?」
毎月の頭、伯爵領からは両親からの手紙が届く。アルシェスタは目は通すものの、その返事は明らかに代筆屋の作品だと分かる当たり障りのないものしか返さないのだ。
両親はやんわりと、アルシェスタからの返事が欲しいと手紙の中に書くのだが、それがアルシェスタに聞き入れられることはない。
「それはね。でも、マジで親父か母さんが来るなら本気で喧嘩するか家出するから」
「――私の立場から、ご家族と話し合ってみては、とは言えません。ですが、貴族としての義務を果たさないのは、お嬢様らしくない、と感じます」
「…………」
「領地の運営をしたいのなら、ご両親との関係の改善は、避けては通れぬ道ではありませんか?」
「エド兄が継げば別に」
「家督と爵位は継いでも、現伯爵は隠居する気はなさそうだと聞きますが」
エリーラが粛々と宥めれば、アルシェスタは頬を膨らませていく。
これはアルシェスタの癇癪の一種だ。親に絶賛反抗期を拗らせているアルシェスタは、両親や家にまつわる話を聞くと途端に機嫌が悪くなる。
「――ひとまず、義務だけ果たしましょう? ね、お嬢様」
「……分かってるよ」
「甘いものをご準備しますから」
「買収は禁止!」
と、言いつつも、エリーラが選んできたスイーツは、しっかりとアルシェスタの胃袋を掴んでいたのだった。
手紙が届いた数日後、タウンハウスには訪問者があった。
エリーラが迎えに出ると、そこに立っていたのは、精悍な一人の若い男だ。アルシェスタと同じ色だが、やや色素が濃く感じられる青色の髪を、耳が隠れる程度の長さで丁寧に整え、糸のように細い目をいつも温和に歪めている美丈夫は、エリーラへと微笑みかける。
「やぁ。久しぶり、エリーラ」
「グレイン様……! お久しぶりでございます。本日は遠路はるばる、お越しくださりありがとうございます」
「ありがとう、エリーラ。君だけでも私の訪問を喜んでくれてよかった。出迎えに来ないことを察するに、やっぱり妹は父母に会うのが嫌だって?」
「……恐れながら」
「はは。大丈夫だよ。父上も母上も流石にもう分かってる。家出同然に王都に出て行った娘が、父母に対する鬱憤を晴らすために、学院進学を理由にして王都に暮らしているのに、自分から里帰りする前に会いに来たら、アルシェスタがどんな癇癪を起こすか、なんてね」
グレイン・キングレーは、アルシェスタの三つ年上の兄である。その一つ上にエドワーズという兄がおり、アルシェスタは上に二人の兄弟を持っている。
エリーラは、アルシェスタが王都に出て来た直後、引っ越しの手伝いをしに領地から王都まで出てきていたグレインとは面識があった。見知った顔があったことにほっと息を吐き出した。
「それでも心配ではあるから、様子を見に行ってきてくれと頼まれたんだ。シェスを呼んできてくれる?」
「かしこまりました。サロンの方にお席を準備しております」
「ありがとう。この屋敷の使用人は本当に最低限だろう? 私は勝手に寛いでいるから、シェスのところに行ってきてくれるかな」
「かしこまりました」
軽々とした足取りで歩き始めたグレインを見送って、エリーラは部屋に引きこもっているアルシェスタの元へと早足で向かった。ドアをノックすると、中から「何」と不機嫌そうな声が聞こえる。
「お嬢様。グレイン様がお見えです」
「……レイ兄が?」
「はい。サロンでお待ちです」
「……レイ兄だけ?」
「はい。誓って」
そう告げれば、ちょっと待って、と小さく声が響いた後で、ゆっくりとドアが開いた。
アルシェスタは令嬢スタイルではなく紳士スタイルだ。エリーラは声を掛けようかどうか迷ったが、しかしグレインはアルシェスタがどんな格好をしていようと気にしないだろう。そう思って、開きかけた口を閉じて、その後ろに付き従った。
サロンの扉を押し開ければ、そこには優しく微笑む次男の姿があった。グレインはそっと立ち上がり、ゆっくりとアルシェスタの方へと近づいて来ると、少しだけ屈んで、そっとアルシェスタの頭へと手を置いた。
「シェス。久しぶり。少し細くなったかな」
「レイ兄……」
「ふふ。髪を短くしてるところまでは予想通りで、髪を染めているんじゃないかと思っていたけれど、両方当たりだね」
「……久しぶり」
アルシェスタは呟くように、絞り出すように俯いてそう告げた。そんな妹を見てグレインはその手を優しく握り、サロンの中央へと連れていく。隣の席に座ると、エリーラが紅茶を淹れて、それらをテーブルの上へと置いた。
「学院から届けられた成績通知表や素行評価書が届いたけど、うちでのシェスの振る舞いを知ってる皆は目を剥いていたよ。だから私やエド兄さんは心配しなくてもいいと言ったのだけれど。父上と母上がずっと心配していてね。私に様子を見てきてくれと頼んだんだ」
「別に、心配されるようなことは何も……」
「……そうかな? シェスの手、小さなタコの痕があるけど」
「!」
アルシェスタは、思わず手をそっと背に隠した。しかし、流石に次兄の目をごまかせるとも思っていなかった。
次男のグレインは、領地にて金獅子騎士団と呼ばれる、キングレー伯爵領の私兵を取りまとめる騎士団長を務めている。国の組織ではなく、領の組織であるため王国騎士団とは全く別の組織だが、業務は同じように領地内の治安維持や魔物退治を請け負っている。
小さなころから神童と呼ばれた剣の天才で、家督を継がずに、経営の勉強もしなかったグレインが身を立てる道としては何も不自然なことはなかった。
何より、アルシェスタにナイフを用いた護身術を仕込んだのはこの兄である。
「護身術の鍛錬と、柔軟はずっと続けているんだね」
「まぁ、それはね。だって、自分の身くらい自分で守れないと、商売の世界じゃハナシにならない」
「王都の市場は物騒なんだね。私はシェスはシェスのやりたいことをやりたいようにやればいいと思っているけれど、気は付けるんだよ」
「……うん」
少なくとも、歓楽街で商売をするにあたっては、ちょっとしたいざこざなど日常茶飯事だ。しかし恐らく、表のマーケットであればもめ事は今の半分以下になるだろう、ということは紛れもない事実だ。
「王都での生活は楽しい?」
「うん。この一年で知り合いもたくさんできたし、一緒に遊戯をする友達もたくさん増えたよ。新しいことにもたくさん挑戦して、自分でしっかりと責任を持って、他者を巻き込んで楽しいことをしたり……すごく楽しいし、勉強になってる」
「シェスは頭がいいからね。たくさんの娯楽の機会が眠っているこの街は、金鉱山みたいなものか」
「そうだね。もう十分に自立できるだけの金は稼いじゃった。まぁ、領地にいた頃からいくらかは稼いでたんだけど」
「ふふ、そっか。あ、気になることが一つあったんだけど」
穏やかに話すグレインの調子につられて、アルシェスタもだんだんと緊張が解けて来たのか、自然と口元が綻ぶことも多い。
家庭内で親に反抗をしたアルシェスタは、その流れ弾で兄たちに少しきつく当たることもあった。文字通り腫れもののような面倒さであったことに自覚があったアルシェスタは、兄たちに対しては少しだけ気おくれがあるのは事実だ。
しかし兄たちに対しては、特別確執を抱いているようなことはなかった。であるので、兄たちが優しく促してやれば、アルシェスタは徐々に兄妹としての自然な態度を取り戻していった。
「……うちの孤児院と教育施設に、この一年で莫大な寄付金があって、どうやら元を辿ればシェスの元から流れてきてるみたいなんだけど……」
「…………。それは、商売以外の方法で貰って浮いちゃったお金だよ」
「商売以外の、方法で?」
「メーワク料とか、慰謝料とか……」
主に、裏の社交場で悪意を持って襲ってきた連中に対して、口止め料や迷惑料、慰謝料と言った形で徴収した金だ。
アルシェスタの少し気まずそうな様子とその口ぶりで、あらかたの事情を察したグレインは、小さく頷いた。
「シェス。ほどほどにね?」
「……分かってるよ。でも、仕方ないんだよ。身の程知らずを無事に帰すには、落とし前をつけさせなきゃいけないんだから」
「あまり恨みを買わないようにね」
「そこは上手く立ち回ってるよ。パトロンもたくさんついたから、領地の方にも打診が行くかも」
「一応、それは父上とエド兄さんに知らせてあげてくれる?」
「……」
アルシェスタは大きく息を吐き出して、小さく頷き返した。よほど父母と関わりたくないのか、父母の存在を口にするたびに、アルシェスタの眉間に小さく皺が寄って行っているように思える。
「イルヴァンとはどう? 今も仲良し?」
「うん。毎朝迎えに来るよ。別にそんなにきっちり送迎して貰わなくてもって言ってるのに」
「イルはシェスのことが大好きだからね。たぶん、毎日会えるのが嬉しいんじゃないかな」
「確かに、一か月に数日だったのが毎日になったけど、もうお互いに成人したんだし、イル兄にだってたくさん友達がいるだろうに」
「……シェスは、イルと婚約解消がしたい?」
問いかけに、俯いた。
イルヴァンとの婚約は、半分はアルシェスタの望みで、半分はアルシェスタにとって邪魔なものだ。
誰とも結婚せずに領地の運営に尽力しようとしていたアルシェスタを、父母が心配して調えたもの。
貴族社会を嫌うアルシェスタも、イルヴァンの傍でなら穏やかに暮らしていけるのではないか、という考えから、父母が気を利かせて結んだ。
アルシェスタの能力は父も認めており、彼女が領地の裁量権を手放すことによって、海辺の発展が少し遅れるのは事実だ。しかし父母は、アルシェスタに貴族の女性としての幸せを諦めてほしくなかったのだ。
問題は、アルシェスタがそれを一ミリも望んでいないことであって。
「そうだね。イル兄にも迷惑だろうし、僕は自分の夢のために、イル兄を傷つけない形で婚約を解消したい、とは思ってる」
「昔は、イル兄のお嫁さんになるってずっと言ってたのにね」
「いつの話だよ……もう忘れた。イル兄にとっても、僕との婚約って理不尽で邪魔なものだと思うんだ。イル兄はいい奴だから、絶対にそんなこと思わないし口にもしないけどね」
「まぁ、イルだったら、シェスが一人なのを見たら、好きな人と結ばれる機会を手放してもシェスを選ぶと思うな」
グレインの話に、アルシェスタは肩を竦めた。そうして、そのあとも少しだけ世間話をすると、グレインはそっと立ち上がった。
「一応、宿も取っていたんだけど、ここに泊まってもいいかな」
「別に……ここ、僕の家じゃないし。キングレー伯爵家の家なんだから、僕の許可なんて要らないでしょ」
「ありがとう。じゃあ、宿から荷物を取ってくるよ。今日は奢ってあげるから、美味しいものを食べに行こう。王都にあるお勧めの料理店を紹介して」
もう一度、グレインはアルシェスタの頭をぽん、ぽんと優しく撫でると、荷物を取りに宿へと向かうために、馬車を転がし始めた。
王都の大通りにある高級宿へと入り、部屋へと入る。するとそこには、伯爵夫妻の姿があった。
「父上、母上。ただいま戻りました」
「お帰り、グレイン。……シェスの様子は?」
「いつも通り、ですね。私が一人であると侍女が言い聞かせて、初めて顔を見せてくれました」
グレインが小さく肩を竦めれば、伯爵夫妻はがくりと肩を落とした。
絶賛反抗期の愛娘。その原因となるものを作ったのが紛れもなく自分たちであることを、伯爵夫妻は重く受け止めていた。
王都に一人で出て行って一年。時間が解決してくれることもあるだろうと、淡い期待を持って、アルシェスタと話し合える日を待っていた。
しかしたったの一年で癒えるほど、アルシェスタの傷は浅くなかったらしい。
「ですが、元気そうでしたよ。イルヴァンとの婚約に関しては、まだ怒っているみたいですが」
「そうか…………何もかもが逆効果だな。あの子のことを想っているつもりでも、あの子は何一つとして望んでいないのか」
「シェスは、イルのことが大好きですからね。イルのことを少しでも傷つけ、縛り付ける可能性があるものに関しては、怒りを覚えるのは自然なことかもしれません。それにシェスは、先々代を尊敬していて、キングレー伯爵領のことが大好きですから。父上たちが、ことごとくあの子の望むものを隠して、あの子の望まないものを押し付けてしまうので、このままだとどんどんスレていくかも」
視界の端で、夫人が泣き崩れたのを侍女が支えたのを見やって、グレインはふぅ、と溜まっていた息をゆっくりと吐き出した。
明らかに危険な遊びに手を出して、夜の街で商売をして金を稼いでいる様子が見て取れた妹が、このままでは裏の社会に染まりきってしまうかもしれない。
ただ、それを単にやめろなどと言ってしまえば、妹と家族との溝は決定的なほどに深まるだろう。
そう思って、グレインはアルシェスタにその話をするのをやめた。
「どうすれば、許してくれるのだろうか……」
「アルシェスタ……わたくしは……」
「……とりあえず、この先シェスがこうしたいって言ったものを頭ごなしに否定するんじゃなくて、ちゃんと話を聞いてあげた方がいいんじゃないかと思います。父上と母上は、少し慣例にとらわれ過ぎて、頭が堅いと感じることがあるので」
両親は、昔からアルシェスタのやることなすことを頭ごなしに否定してばかりだ。
その理由は「貴族の娘らしくない」ということに帰結する。そもそも、アルシェスタが限りなく貴族の娘らしくないのだから、この対立はどちらかが折れるまで永久に平行線なのだ。
それに対して、アルシェスタが決して折れないのに、両親が次から次へとアルシェスタの意に添わぬものを持ってくる。
そのお陰で、アルシェスタは父母への信用を失くし、絶賛反抗期に陥ってしまった。
頭を悩ませ、空回りばかりをする父母を、グレインは少しだけ呆れながら、静かに見つめていた。




