09. EL-Phone
グレインは、目の前で美味しそうに肉を頬張る妹を見つめながら、心の底から安心する。
確かにまだ父母との確執はあるが、確実に王都に一人で出て来たことがアルシェスタにとって良い方向に向かっているようだ、とこの短い対話の間にも感じたからだ。
(これも、イルのお陰だろうなぁ、全部)
あの家の中で、ずっとアルシェスタの味方で在り続けたイルヴァン。アルシェスタは口では送迎は毎日要らないだの何だの言っているが、イルヴァンと毎日会えてうれしいのは間違いなくアルシェスタの方だ、とグレインは感じていた。
父母への諦観を覚えながらも、家族を愛する手段を失っていたアルシェスタを寸でのところで引き留めたのは、イルヴァンというもう一人の兄の存在があるからだろう。
父母から望まない形での愛を受け、それを拒絶したアルシェスタに、家族としての愛を教え、捧げてくれたのはイルヴァンだったのだ。
一連の事件を聞いて、書庫にこもりがちになってしまったアルシェスタの元へ足しげく通い、一番に心を開かせたのは間違いなくイルヴァンだった。アルシェスタも、イルヴァンにだけはあの強烈な拒絶の意志を見せなかった。
イルヴァンも、アルシェスタが突然弟のようになったのは少し戸惑っていたが、あの純真な男は話し方や態度が少し変わったくらいでアルシェスタを見捨てることはない。
家の中で孤立を選んだアルシェスタに寄り添い続け、家族との仲を修復可能な範囲に留めてくれたのはイルヴァンだ。騎士団へと入って任務で忙しい中で、時間を作って会いに来ては、アルシェスタを優しく撫でて去っていく。
そんな優しい兄がいたからこそ、アルシェスタは二度目の家出を決意したのだ。一回目のような、現実から逃げる家出ではなく、前に進むための家出を。
「シェス、美味しい?」
「うん。美味しい食事って食べる機会はそれなりにあるけど、兄のお金で食べる肉は格別だね」
「ふふ。妹に美味しいものを食べさせる甲斐性くらいは持ちたいんだけど、もうシェスの方がお金持ちだからなぁ」
「じゃあ、今度は僕がレイ兄に奢ってあげるよ」
少なくとも、二回目の家出は好転している、と感じる。
家では二人の兄に対してもぎこちなかったアルシェスタは、しかし今は普通の兄妹のように話せている。
アルシェスタも、感情と時間を取り戻し、世界を広く知った今なら、自分が父母に向けた態度や言葉の鋭利さを自覚できる。
恐らく、アルシェスタも父母を許せる点を探しているのだ。無意識に、しかしゆっくりと。
父母が来るかもしれないと思いつつも、問答無用で外出して姿をくらましていないのが、その証左だと思われた。
腹いっぱいに高級肉を食べて満悦そうなアルシェスタを連れて、タウンハウスへと戻ると、グレインは思い出したかのようにアルシェスタを呼び止めた。
「ああ、シェス。実はね、エド兄さんからちょっと預かりものをしていて」
「エド兄から?」
「そうだな……執務室に運ぶから、魔力供給口のあたりを少し整理して、待っていてくれるかな」
「? うん……分かった」
アルシェスタは首を傾げながらも、執務室の方へと向かっていった。グレインは持ってきた荷物の中からそれを持ち出して、執務室へと後から入る。
不思議そうな顔をしてこちらを見るアルシェスタを見やりながら、グレインは丁寧に梱包を解いていく。そうして、箱の中から現れたのは、何やら不思議な魔道具だった。
「これ、エド兄の新しい発明?」
「そう。魔力供給口にこのコードを差してくれる?」
「うん」
アルシェスタは言われたとおりにコードを接続する。すると、魔道具に組み込まれた魔石がちかちかと点灯する。
人間よりも遥かに精密な魔術のコントロールを可能にする魔石を核として作られる、魔道具と呼ばれる装置は、人間の文明レベルを推し進め、生活を豊かにしている。
半円形の不思議な形の装置と、核部分が埋め込まれた装置が分離できるようになっていて、それがコードによって繋がっている。何だろう、アルシェスタが興味津々にと見ていると、グレインが促した。
「シェス。その上の装置を取って耳に当てて、魔石に軽く魔力を流し込んでみて」
「……? こう?」
アルシェスタは言われたとおりに装置の上半分を取り上げ、耳にそっと当てて、手を魔石に翳して微かに魔力を注ぎ込む。
すると、耳元で、遠くの方から響くような声が聞こえて来た。
『――シェス? シェス、聞こえるかい?』
「その声――エド兄!?」
アルシェスタは、驚いて声がひっくり返る。すると、その遠くの方で、エドワーズがからからと笑う声が聞こえた。
『ああ、そうとも。エドワーズ兄さんだよ』
「えっ。何これ。えっ? 録音――装置じゃないよね。最近精度が上がって、すごく話題になってたけど」
『違う違う。私が今、まさに話している言葉がシェスに届いているんだよ』
「えっ! ええっ!? 何これ、おもしろ!」
今は領地にいるはずのエドワーズの声が、かなり遠くにだが聞こえてくるという不思議な装置。あの遠距離の音声を、今まさに話しているかのように届けている不思議な装置に、アルシェスタの興味は釘付けになった。
長兄のエドワーズは、一言で言えば変人の類になり、また一言で表せば紛れもない天才の部類である。生まれがグレインと逆なら、何の躊躇いもなく魔道具発明家になっていたであろうほどの魔道具好きで、彼が領主の業務の片手間に発明している魔道具は、世間的には少し普及しづらいものだが優れたものが多い。
領地のカジノのマシンがどんどん自動化されているのは、ひとえに彼の努力のたまものである。スロットマシーンに魔道具の機構を使うなんて言い出すのは兄くらいのものだろう。
『昔、シェスが言っていただろう? いちいち手紙でのやり取りなんて面倒くさい、今まさに喋っている音声を届けられるようなものがあればいいのにって』
「ああ……確かに、ぼやいたような気はするけど……」
『私もまさにそう思った。時間の無駄だ。シェスのそれを聞いてから色々試していたんだが、ついに試作機第一弾が完成したので、グレインに頼んでシェスのところに届けて貰ったんだよ』
「なるほど。これを使えば、領地にいるエド兄といつでも連絡がとれるってことなのかな。すごいものを作り出したね」
『まぁね。ただ、まだまだ課題は多いんだ。今のところ、紐づけた魔石と一対一でしか会話ができない』
「音も遠いしね。でも、これがたとえばIDとかで紐づけて、一つの装置からほかの装置に自在に連絡が取れるようになったら、それこそこの国の文明レベルは一歩前に進むね」
アルシェスタは、長兄の天才っぷりに恐れおののいていた。こんなに面白いものを作ってしまうだなんて、やはり自分の兄は天才だ。
書庫にこもっているアルシェスタに話しかけてくれるのは、イルヴァンとこのエドワーズだった。高い教養レベルを持っていたアルシェスタは、12歳の頃には書庫にあったほとんどの本を読めるようになっており、魔道具関連の本をよく探しに来ていた兄の傍で、床に寝転がって先々代の手記などを夢中になって読んでいた。
『シェスの発想は本当に面白い。魔道具で叶え甲斐があるんだよ。私はこの装置をEL-Phoneと名付けた』
「EL-Phone――音を届ける妖精のささやき」
『なかなか洒落ているだろう?』
「エド兄にしてはね」
『このEL-Phoneを実用化レベル・普及レベルまで研究レベルを上げたいと思っているんだ。しかし、個人の金を使った研究には限度があるので、スポンサーを得ないと何ともね』
「お! それなら僕に任せてよ。これでもパトロンはいっぱいいるし、投資のための面白い事業を探してる、金が余ってる知り合いはいくらでもいるから!」
アルシェスタは胸を張って告げた。このEL-Phoneという装置、完成すれば確実に世の中は便利になる。
遠く離れた地と音声のやり取りができる装置、日常のテンポも、軍の伝達の早さも上げてくれるに違いない。国にとって、研究の価値がある道具なのは明白だ。
何より、誰もが望みながらも、後回しにされがちでまだ研究が進んでいない分野だ。今なら、スポンサーも集めやすいだろう。早速誰に打診をするかの皮算用を始めたところで、耳元でくつくつと笑うエドワーズの声が聞こえて、アルシェスタは思わず装置を取り落としそうになった。
「エド兄? 何?」
『いや、随分と楽しそうだと思って。王都は楽しいんだね』
「そりゃね。自分の世界をたくさん広げてくれたから、この街のことが好きだよ」
『そうか。シェスが元気になってくれたようで何よりだ。しばらく、この装置は私の部屋に置いておく。両親は出ないようにするので、好きな時に使ってみるといい。話題は何でもいいよ。面白いアイデアが思いついたら投げるだけ投げてくれてもいいし、スポンサーが付きそうだったら交渉を任せてくれてもいい。夕方以降は自室にこもっているから』
「分かった。ありがとう、エド兄。任せてよ。このEL-Phone、絶対大口スポンサーを見つけてあげるから!」
『頼もしいねぇ。また作って欲しいものがあったらいつでも言ってくれ。待っているよ、シェス』
その言葉を最後に、魔石の光が弱まったかと思うと、声が聞こえなくなった。
何とも不思議な装置に終始興奮しながら装置を元に戻すと、グレインがにこにこしながら小冊子を取り出して、アルシェスタに手渡した。
「EL-Phoneの取扱説明書、らしいよ」
「ありがとう。エド兄は本当にいい仕事するなぁ。僕の夢のためにも、エド兄にはどんどん魔道具の研究をしてほしいね」
「ふふ、エド兄さんが聞いたら喜ぶよ」
グレインは興奮気味の妹の頭をぽんぽんと優しく撫で、そのあとは二人でしばらくマニュアルを読みふけっていた。
装置を置き、一息ついた。部屋の中はよく分からないがらくたが散らばっており、作業スペースには複雑な機械がたくさん置かれている。
エドワーズの研究室は、貴族の男子の私室とは思えないほどに、趣味9割、生活1割のための部屋だった。
「本当に、ちょろくてかわいい子だなぁ、シェスは。父上も母上も、あんなに分かりやすくて扱いやすい娘の、何に苦戦をしているんだ」
自分のやることなすこと、楽しいことや面白いことに何でも興味を持ち、ぴょんぴょんと喜んでくれる妹。あの娘とバカをやって笑いあうために、面白い魔道具はいくらでも生まれそうだった。
「さて、シェスがあの調子だとあっという間にスポンサーが掴まりそうだし、EL-Phoneの資料でもまとめておくとするか。あの天然の人たらしは、どうやらとんでもないスポンサーを裏に抱え込んでいるようだし」
先日、王家の方から届いたエドワーズへのあいさつの書簡。差出人のウルズ大公からは、妹に世話になっているので挨拶にという言葉と、この領地に建てる予定の国の施設の担当者が自分になったことを伝えてきていた。
エドワーズは、王都に着いて1年で、王弟という大口スポンサーを掴まえてしまった妹の人たらしっぷりに、自分の身の振り方を再考しようと思ったのだった。




