52. 何かを変えて行こう
ナンビュス・エヴァンタイユ号。
異国の造船技術を使って作られた、贅の限りを究めた超大型豪華客船である。これはもともと、絶賛反抗期突入期だったアルシェスタが、例の謎のアイデアを使って導き出したものだ。書庫に籠ってがりがりとスケッチを描いていたアルシェスタが「これほしい」と呟いたのをきっかけに造船された。
――そう。たかだか、12歳だかそのくらいの娘の機嫌を取るために、莫大な金を使って作られたのだ。
改めて、自分の金銭感覚がまともになったことに感謝をささげるしかなかった。とはいえ、作ってしまったのならばそれは金儲けに使わない手はない。
ゆったりと海の上をクルージングして、海辺の領地を見て回るのもいいが、いっそのこと大きなホールを夜会の会場にしたらどうかと提案した。
エルデシアンの西方は運河も多く、これほどの規模はほとんどないとはいえ船に乗る機会も多い。
船に慣れている貴族も多いので、それなりに需要もあるだろう。
何よりも、この大きさの豪華客船に乗った経験は、ほかの貴族への自慢話にもなる。
今回のパーティーがお披露目となるため、現時点で、客人の満足度は高い。特に友人連中は、どうやって自慢してやろうかと目を輝かせている。
きっと王都に戻ってからは、パーティーに誘えと強請られる機会が増えるのだろうと思いながら、アルシェスタは着替えを済ませた。
「お待たせ、イル兄」
「おお……あのドレスがこんな感じになるんだな」
最近、夏の社交界では、丈の短めなドレスが徐々にだが普及してきている。見た目が涼し気で健康的だからか、若い男性を中心に、それなりに評価が上がってきている。
ただ、昔からの考えを守っている貴族家には不評だ。足を出すのははしたないと思う者もいる。とはいえ、王家を中心に、国外からの流行や文化を取り入れることを推奨している国風なので、それを表立って批判すると時代遅れだと後ろ指さされる可能性もある。
ホストは、ゲストを不快にさせない格好をするべき。それはアルシェスタも以前に述べ、肯定したことだ。
しかし一方で、ホストはゲストをあっと驚かせられるようなギミックを求められることもある。
ならば、ゲストを不快にさせない範囲で、新たな社交界での流行の在り方を示せれば、それがいちばんよい。
アルシェスタが昨日、針子たちにリメイクを頼んだ甘い少女趣味のドレスは、優秀な者たちの手によって生まれ変わっていた。ドレスの丈は、見る方向によって長さが違う。段々になっているフリルが華やかで、パステルブルーと白の色合いはとても爽やかでかわいらしい。
スカート以外の装飾はいくつかを外し、レースやフリルの主張が激しくなりすぎないようにした。コルセットをしっかりと閉めることでスレンダーなボディラインを強調し、大人っぽさも出しつつも、装飾のかわいらしさで絶妙なバランスを保っている。
そして腰には、あのウサギが縫い付けられている。これがこのドレスの一番特徴的なデザインだろう。学院生だからこそ、できたコンセプトである。
「少女時代との別れ」
それに伴い、幼いころお気に入りだったぬいぐるみと夜会を楽しむためのドレスだ。
髪はいつもと違い、ゆるいハーフサイドテールにして、髪飾りには小さなシルクハットを模した装飾がついている。
「似合うかちょっと心配だったけど、思ったより纏まった。こういうとき、幼い見た目だとほかの人が着辛いドレスが着られてちょっとお得だね」
「いや、何と言うか、シェスらしい感じだ。母さんのドレスにこういう方向性のやつはなかったから、全然思いつきもしなかったけど」
「あ、でもあんまりこういうドレス選ぶのやめよう? 似合ったとしても浮くんだから」
確かに、これほど特徴的なドレスを纏っている人間は滅多にいない。アルシェスタが目立つと、また厄介なのに絡まれると思うと、やっぱり自分の衣装と併せた服を贈るのが一番だと思った。
アルシェスタは懐から何かを取り出すと、それをイルヴァンの盛装につけた。それは、ウサギの耳を模したネクタイだ。
「よく用意したな」
「侍女たちがめちゃくちゃ気合入れてた。まぁ多少浮くけど、女性側の服が派手だからパートナーと差異があるっていうのはよくある話だし、いいかな」
それと、とアルシェスタは少し声のトーンを落として、口の傍に手のひらを置いた。イルヴァンは腰をかがめて、耳を近づける。
「今日、イル兄、別の人とも踊ろう」
「えっ?」
「こういう提案、ほんとはそんなにしたくなかったんだけど……まぁ、これも僕が厄介なのに絡まれる一因ではあるというかさ。イル兄って、ほとんど僕や家族としか踊らないでしょ? だから、イル兄と踊るのは特別なことだって皆思ってる」
イルヴァンは女性が苦手なので、夜会に行ってもアルシェスタ以外の女性と踊ることはほとんどない。母に誘われたり、従妹のデビュタントの時に踊ったり、あとはリリーナと踊ったのでさえもレアな経験だ。
しかし社交界のダンスとは、本来は家同士の繋がりを周知する目的も含まれる。世話になっている家門同士で、交流があり、その仲は良好ですよと周囲に知らしめるために踊ることも多い。
イルヴァンは女性が苦手ということもあり、それらを承知している周囲に気を遣われているだけだ。本来は、イルヴァンも懇意にしている家の女性は、然るべきタイミングでダンスに誘う必要がある。
「普段はイル兄の代わりに僕がダンスに行ってるんだけど、そのせいでイル兄に憧れてる女子たちが勘違いしてるんだよ。イルヴァンをダンスに誘えたら、関係が一歩進むはずだって」
「あ……そ、そっか。そういうこともあったのか」
「イルヴァンは親しい女性としか踊らないと思ってる。だから彼女らは、躍起になってそのポジションを目指してる。でも、イル兄が世話になっている家門とダンスを踊り出せば、そういう印象はなくなるはずだよ。……もう卒業まで時間がない。彼女たちのためにも、イル兄はちゃんと態度で示すべきだと思う。健全じゃないよ、こんな状況」
「……分かった。ひとまず、思いついた人から誘ってみる」
一度のダンスならば勘違いなどされない。よくあることだ。
問題があるとすれば、夜会の度に誘うだとか、誰かと続けて二曲も三曲も踊るだとか、そういったことだ。
夜会の会場に入ると、アルシェスタには視線が集中する。イルヴァンと踊るたびにひらひらと華やかなスカートが揺れ、ウサギが愛らしく手を振る。かわいいもの好きの女子の中には、ウサギの一挙手一投足に目を奪われて、ずっとアルシェスタから目を離せない者もいる。
最初は子どもっぽいと馬鹿にしていた者も、社交界で名のある夫人が群がり、アルシェスタをかわいがりだした途端に手のひらを返し、実は気になっていたことを告白していく。
夫人たちと交流をしているときを見計らって、イルヴァンに合図をすると、イルヴァンはこくりと頷いて、その輪を脱した。
すると、目を光らせていた令嬢がイルヴァンへと群がっていくが、イルヴァンは涼しい顔で躱して、ベルローズの前で跪く。
「マギアス公爵令嬢。いつも、アルシェスタがお世話になっております」
「まぁ。サンチェスター卿、こちらこそいつもアルシェスタ様にはお世話になっております。それと、父も。サンチェスター卿は相談役としてとても頼りになると、いつも聞かされておりますわ」
「光栄です。こちらこそ、マギアス公爵閣下のご慧眼にはいつも感服するばかりで、父も興奮したように閣下のことを素晴らしいと褒め称えております」
「まぁ! 父も喜びますわ!」
さすがの彼女たちも、次期王子妃で筆頭公爵家の令嬢であるベルローズを前にしては、割り込む気概もない。イルヴァンは穏やかに言葉を紡ぎ、手を差し出した。
「お誘いに時間がかかってしまい、申し訳ございませんでした。私と一曲、踊っていただけますか」
「ええ、喜んで。ふふ、在学中にお誘いいただけるなんて光栄ですわ」
イルヴァンはベルローズの手を取り、ダンスの輪へ。置き去りにされた娘たちは唖然とし、その背中を見送っていた。ベルローズとはアルシェスタの話をした。
――何となく、アルシェスタに苦労を掛けていることをほんのちょっとだけ責められたような気がした。何も言い訳ができなかったので、今後は一つずつ努力して解決していくと言えば、唐突に結婚式には呼んで欲しいと言われた。やはり、イルヴァンにはベルローズのことはよく分からなかった。
そしてベルローズと踊り終えると、またイルヴァンへと多くの女性が詰めかけるが、イルヴァンは流れるように次の者の元へ。
次は母の妹である伯爵夫人の元へ。彼女はイルヴァンにダンスを誘われたことをたいそう嬉しがってくれた。かっこよくなって、と小さく小突かれて苦笑する。
叔母とのダンスは踊ったことがないが、幼いころは大きく感じていた叔母は随分と小さい。母よりも少し背の低い彼女のリードは、できるだけ丁寧に行なった。
そして次、次とイルヴァンが多くの女性とダンスをしているのを、周囲は珍しいと思いながら見ていた。
「まぁ、サンチェスター卿がダンスを……一つ殻を破られましたかしら?」
「羨ましいですわ。わたくしも誘われてみたいけれど、雲の上の御方ですもの。彼に誘っていただくには、家格も功績も足りませんわね」
そんな話をしている周囲に目を向けて、イルヴァンを夢中で追い掛け回していた女子たちは「え?」と小さく、震えた声で呟いた。
イルヴァンが踊っているのはいずれも、伯爵家以上の夫人がほとんどで、たまに学院の生徒も含まれる。しかしそれは侯爵家以上の令嬢だけだった。
家格が違う。
身分が違う。
それらは学院にいるときには感じづらいものだ。なぜなら、本来は言葉を交わすことすら稀な雲の上の人々が、同じ学び舎で、同じ教室で息をしているから。
声を掛けることもできる。声を聞くこともできる。けれどそれは、決して対等ではなかった。
アルシェスタも当初、公爵家の人間と縁ができたとき、恐縮しきっていた。身分が全然違うからだ。
本来は、それが当たり前の反応。けれど学院はかなり空気が緩んでいて、それを気軽に感じて許される環境になっていた。
とぼとぼと自分の親の元に帰ったとある娘に、彼女の両親は告げた。
「本来なら、彼は口を利くことすらできない雲の上の御方なんだよ。家とのかかわりもなく、彼らにとって利になることも成していない私たちが、彼に対して何かを求めるなんて傲慢なことなんだ。だからもう、彼に迷惑をかけないでくれ。彼が本当に煩わしくなったら、我が家なんて簡単に吹き飛んでしまう。今、何ともないのは、彼が私たちに興味を持っていないからなんだよ。いい加減に現実をみておくれ」
そんな風に諭された娘は、数日後、学院から補講の通知が来て、さらに顔を青くしたという。




