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特に違和感もなく目を覚ますことが出来たのは幸いだったと思う。
目を開くと、視界には見慣れた天井が広がった。視界の端にはどうやら僕の傍らに座っていたらしい明紀の安堵と苦笑と罪悪感が入り交じった顔が見えた。さて、こいつは今度は何をやらかしたのだろうか。
「身体は大丈夫か?」
「普通に起き上がれる程度には無事だよ」
「ああ、ならよかった」
起き上がった僕を見て、明紀は心の底から安心したようにため息をついた。こんな反応をされてしまうと、このあと何を言われても怒るに怒れない気がする。卑怯だ。もしかしたら、狙ってやったのかもしれないけれど。
「で? 僕はなんでここで寝てるんだ?」
二回ほど電撃を喰らわされたのだということは覚えている。だからこの言い方はあまり適切ではないだろう。でも、僕は明紀の口から全てを説明してほしかった。僕は伝言の注文通りに動いたけれど、実際それがどういう役割だったのか、そしてその結末はどうなったのか、明紀と蜂はどうやって離脱して何をしていたのか、なにも知らないのだから。
「そうだな……どこから訊きたい?」
「明紀と蜂が離脱したところからかな」
「ああ、その辺か」と明紀は何故か笑った。思い出し笑いのようで、どこか楽しそうだ。何が楽しかったのだろうか。
「俺様と蜂は、お前とお前のねーちゃんがサシでやり合い始めたときに離脱したんだ。デスクの下……お前のねーちゃんが直ぐに見つけられないような所を選んで、その床に穴を開けて下に降りた」
話を聴いてから、いつ意識が戻ったのかを先に訊けばよかったと少し後悔した。でも、時系列的にそれは前後してしまうので今は置いておくことにしよう。その内気が向いたら訊くでいいじゃないか。明紀が意識を失ってから離脱するまでの間に、何か恥ずかしい発言をしていなければいいなと少し懸念があるけれど。
「それから」と明紀は説明を続ける。「俺たちは下の階に水を入れ続けてた。少しでも多く溜まるように、あと凍らないようにな。本当は狐さんの火で溶かしてもらいたいところだったけど、あれやったら廃ビが全焼するからなー。なっかなか大変だったんだぜ?」
労えと言わんばかりの明紀に僕は知らねえよと答える他ない。そんな作戦を考え実行したのは明紀なのだから。僕が強要したわけではない。
「そんで、だ。水を入れ続けながら、俺様たちはお前らが落ちてくるのを待ってた」
「何のために?」
何のために待ってたのか。というよりも、何のために水を入れていたのかという意味合いの方が強いが、明紀は察してくれただろうか。きっと察してくれただろう、と適当に期待をしておきながら僕は明紀の次の言葉を待つ。
「勿論、お前のねーちゃんを捕まえるためだ。ごめんな、お前が意識なくしたのもそのせいなんだが……ちょちょーっと、こいつで二発入れさせてもらった」
なんて言って明紀が取り出したのは、黒くて四角い箱のような物体。明紀がそれのスイッチをおもむろに押すと、バチバチという激しい音がした。そう、これは所謂スタンガンというものだ。どのくらいの力があるのかは知らない。けど、人一人を気絶させるには十分な代物だ。なんせ、最初は姉さんをこれで気絶させようとしていたのだから。
「なるほど、僕はこれで感電させられたのか」
「そういうことだ。悪いな。このことも伝えると、お前のねーちゃんにバレるんじゃないかと思って言えなかったんだ」
「それは……」
仕方無いな。僕は力なく笑った。幸いにも特に後遺症はないのだし、不可抗力みたいだから許すしかない。元々、怒る気を削がれてしまっていたのだし。
「そういえば、蜘蛛ちゃんは? 一緒に落ちたんだから電撃喰らったんじゃ?」
蜘蛛ちゃんがこの作戦を元から知っていたとしても、僕がいつ床を崩すか分からない以上、電撃を避ける手段は無いように思える。となると、どうしようもなく蜘蛛ちゃんが心配だ。僕は何事もなかったけれど、蜘蛛ちゃんは何かあったかもしれない。
「あー、蜘蛛ちゃん……玖雲ちゃんは心配要らねえよ」明紀は何故か名前を言い直す。「あの子は空中で体勢を整えて、無事に一緒にデスクの上に着地した。電撃に関しては無傷だったよ」
どんなビックリ人間大会だ。実は歩けると分かっただけでも驚きなのに、その身体能力の高さを見せつけられ続けてしまっては驚きすぎてリアクションが取りづらい。まあ、無事ならいいのだけれど。
「それで、姉さんは?」
蜘蛛ちゃんの話題が終わったところで、僕は一番気になっていたことを訊くことにした。結局、姉さんはどうなったのだろうか。なにも知らずに、僕と一緒に落ちたのだから電撃は間違いなく喰らっているはずだ。無事なのだろうか。何か、変な後遺症とかがなければいいけど。
「お前のねーちゃんな……」
僕の質問に、明紀は言いづらそうな顔をした。言葉を濁して逃げたいという意思がひしひしと伝わってくる。でも、僕はそれを許さないのでじっと見続けた。すると、観念したように明紀は重たい口を開いた。
「逃げたよ」
「逃げた?」
「そ。捕まえらんなかった」
「…………」
僕はその言葉を何度も頭のなかで繰り返し、その意味を考える。どう考えても一つしかなかった。
「…………、そっか」
逃げる元気があるのなら十分だ。僕は、気の抜けた返事しか出来なかった。




