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僕が割り込んでくると読んでいたのか、僕の後ろにいた蜘蛛ちゃんは戸惑うことなく僕の左肩に手を置き、そこを支点に逆立ちをすると、強烈な踵落としを姉さんにお見舞いした。姉さんはギリギリのところで首を動かして頭に直撃するのは回避したようだけど、身体は避けられなかったため右肩に喰らっていた。痛みのせいか顔が歪んだので、見た目通り中々強烈な一撃だったのだろう。
「ロリとは失礼です」蜘蛛ちゃんは兎さんの背後に空中で一回転しながら立つ。「くもはもう四月から中学生です」
「……それは立派なロリだよ」
なんの話だ、と僕は思わず苦笑した。それに、自分のことを名前で呼ぶ子を幼いと評価して何が悪いのだろうか。なんて、余計なことを何時までも考えている余裕はない。
「連携が取れるようになった二人って凄く厄介だね」
まったく。と姉さんはゾッとするほど冷たい表情で言う。そして、蜘蛛ちゃんが姉さんの腕を掴むよりも速く、姉さんは背後に回った蜘蛛ちゃんの頭を狙い回し蹴りを放った。蜘蛛ちゃんはこれをしゃがんで回避するが、代わりに姉さんに降れる機会を失ってしまった。
「え?」
目を離したつもりなんてないのに、次の瞬間には視界から姉さんが消えている。そんな馬鹿な。そう思って視線を下にずらしてみると、案の定姉さんはそこにいた。一気に体勢を低くされたため、目が追い付かなかったようだ。
目が追い付かない。
目が追い付かない?
それはつまり――つまり、とても致命的なことだ。眼球すら追い付かないということは、身体の他の部分全てが追い付かないということで、僕はこれから起こる姉さんの動作に一切反応できないということだ。こうやってぐるぐると思考は回転しているというのに、身体はピクリとも動かない。ああ、全てがスローモーションに見えるなんて現象はこういうところから来ているのかもしれない。あの現象は、脳が身体を動かすことを放棄してしまったから起こるのかもしれない。僕はあの現象がどういったメカニズムで起こるのか全く知らないのだけれど、この考えはあながち外れていないかもしれない。
「ごめんね」
「ぁ、がッ」
案の定身体は反応せず、相変わらず関係のないことをぐるぐると思考していた脳は、顎を下から打ち抜かれたことによって揺れて強制的に停止させられた。一緒に視界も揺れて、僕は何がなんだか分からないまま後ろへ倒れていく。倒れたことによる痛みは今のところ無い。意識はある。ただ身体は動かせない。未だに脳が揺れている感じがした。しばらく続きそうだ。
「相手が連携を見せるなら、いいように動かれる前に誰かを潰して連携を崩すっていうのが鉄則でね」姉さんは淡々と言う。「これで遥矢は暫く動けないから、もう、蜘蛛ちゃんを守る人は誰もいないよ。蜂ちゃんと明紀君が逃げたのがかえって仇になったね」
「それで? 続きは何て言うつもりですか? 『痛い目をみたくないなら大人しく私を逃がしなさい』ですか? 残念ですけど、くもは痛くないです」
「……そう。相変わらず救われないね」
姉さんと蜘蛛ちゃんのやりとりが頭上を通り過ぎていく。蜘蛛ちゃんの言っていることはつまり、僕の予想は正しかったということで、守らなければ過剰な傷を負い最悪のケースを招くということだ。
そこまで考えることが出来るぐらいには回復したというのに、僕の脳は未だに揺れを感じたまま身体を動かそうとはしてくれない。もどかしい。寝ている場合じゃないのに。
「それじゃあ、取り返しがつかなくなる前にさっさと寝てもらおうか」
「そうなる前に蜘蛛が兎さんを捕まえるです」
二人が向き合い、再びぶつかり合おうとしているのがわかる。このままじゃ蜘蛛ちゃんが圧倒的に不利だ。くそ、僕は一体どうしたら――
「あ?」
動かせない視界はただひたすら天井を向き続けてるのだが、その中に一瞬おかしなものが映った。黒と白で構成された、ボロボロの布のようなもの。それが何なのか、そもそも布なんてこの部屋にあったかどうか、僕は身体を動かせない代わりに記憶を探る。そして割と直ぐに思い至った。蜂が脱ぎ捨てたゴスロリドレスだ。
「!? ぬ――布?」
驚きの声が聞こえてくる。これは姉さんの声だ。どうやらボロ布と化したゴスロリドレスは姉さんめがけて飛ばされたらしい。しかし、一体誰が? 蜂も明紀も、もう離脱してしまっているから投げる人物は恐らくいない。でも、都合よく姉さんめがけて飛んでくるなんてことがあるだろうか?
と、考えてみたりもするのだけれど、最終的には僕はこれをチャンスととらえ、蜘蛛ちゃんに向かって「今だ!」なんて叫ぶのだった。今が一番大きな隙ができてるはずだ。飛んできた理由なんて、ぶっちゃけどうだっていい。
「く――」
「っ、う」
二人の声が聞こえる。どちらとも苦々しい声だ。僕は何があったのか見届けるため、揺れの収まってきた脳を気合いで動かして身体を起こす。すると丁度、顔をゴスロリドレスで覆われ目隠しをされた姉さんが蜘蛛ちゃんに蹴りを喰らわせているところが見えた。蜘蛛ちゃんはあろうことか姉さんの足を両腕で捕まえようとしていて、成功しているのだが勢いは殺せていないしかなり苦しそうだった。
「蜘蛛ちゃんッ!」
姉さんの足から離れ、苦しそうに咳き込む蜘蛛ちゃんに駆け寄る。すると蜘蛛ちゃんは苦しそうに咳き込みながらも、僕に向かって微かな笑みを浮かべるのだった。
「やりました」




