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忘れ得ぬ視線

 宵闇の雷雨に翳る巨影が、六つの眼光を湛えていた。


 人々の絶叫交じりの喧騒は、風音に掻き消されて耳朶をすり抜ける。

 悲鳴。恐怖。絶望。

 様々な負が渦巻く、崩壊した木造家屋群。


 誰もが生きる希望を失うスラム街において、なおも罰を与え続けるように。

 暴雨で視界もままならない漆黒の支配下、彼の巨影は君臨する。


「――なあ、目を開けろよ」


 ずぶ濡れのフィンは、ぐちゃぐちゃの路面に膝をつく。

 そして泥まみれの地べたに沈みかけていた、弟のアーウェルを揺り起こした。


「アーウェル……起きろよ、アーウェル。化け物が、すぐそこにいるんだぞ……」


 顔中に粘り気の泥がついているに、アーウェルは安らかに瞼を閉じている。

 まるで眠っているかのような、酷く冷たい身体。

 そこに命の灯火が残されていないことなど、フィンはとっくに分かっていた。


「ほら、父さんに言われただろ。他のみんなを、避難誘導しないと」


 それでも穏やかに話しかけるは、非情な現実を受け入れがたいゆえか。


「――フィン!」


 突如、怒号の如き呼びかけ。

 ハッとして、フィンは声の方向に視線を流した。


「父、さん?」


 フィンは、おぼろげな視界で、嵐の向こうを直視する。

 スラム街を半壊させた巨影の目前に、たった一人で佇む大きな背中。

 いつだってフィンたちが追い続けてきた、頼もしい後ろ姿。

 それが、どこか哀愁を帯びるように、雷光の煌めきによって映し出された。


「生きろ! 常にサルターレの精神を忘れるな!」


「父さん……っ!」


 周囲の雑音を撥ね退ける勢いで、フィンは父を呼んだ。

 鬼気迫る父の言葉が、正真正銘最後になることを、心のどこかで察してしまったように。


「行くぞ! サルターレ流、奥義――」


 気力を振り絞る父の雄叫びが、雷鳴とともに迸る。

 凄まじい衝撃とともに、白んでいく世界。

 フィンの記憶は、そこで途切れた。




 刺すような気配を、フィンは鋭敏に感じ取った。


 時刻は早朝。

 清澄な空気が流れる静けさに包まれた長屋。


 どこかで鶏の陽気な歌が鳴っている。近くに養鶏場でもあるのか、目覚ましには少々やかましいほどだ。

 床に布団を敷いて寝ていたフィンは、木窓の隙間から差し込む光に目をやる。

 これを何度か、遮るような影が窓の外を行き来していた。


 フィンは寝癖交じりの頭を掻きながら、緩やかに布団を抜け出す。

 開き窓を内側に引き、暖かな陽光を迎え入れた。


 その瞬間、部屋の外で一斉に周囲の物陰に隠れる者たちがあった。

 パッと垣間見えたその姿は、どうやら子供のようだ。


「……んー?」


 フィンは瞼を擦り、ぼやけるピントを修正していく。

 身体を隠しきれずに、路地からこちらを覗く一同。その顔ぶれの中に、帽子をかぶった子供を見かけて、フィンは脳裏に閃くものがあった。


「ああ、昨日の」


 そう、朝っぱらからフィンを監視していたのは、幼い窃盗団だった。

 動向を探っているのか、じーっと食い入るようにフィンを見つめている。

 隠れる気はなさそうだ。ひとまずフィンは一度窓を閉じた。


 あっ、と小さな声がそこかしこから届く。

 それから、しばらく外でざわざわと話し声が聞こえた。

 フィンは簡単に身支度を整えると、手荷物を持って長屋を発った。


 そのフィンの背後を、複数の小さな影がコソコソと着いて行く。


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