天秤に潜む影
屋根の軋みが場を揺らぐ、静まり返った部屋。
ランプシェードの明かりが、薄暗い室内をぼんやりと浮かべる。
淡い輪郭を象るように、奥まった椅子に誰かが腰かけていた。暗がりで顔は見えない。
その手前、足元では一人の男が平伏している。
まだ春先だというのに、顔中に汗を掻いて震えていた。板張りの床を見つめる脂ぎった表情には、恐怖だけが青白く照らされていた。
「――顔を上げなさい。誰も貴方を責めはしませんよ」
若い男の声が、暗がりの向こうからもたらされる。
耳に心地良い響きだった。全てを抱擁してくれるような、温かみのある言葉。
だが、床にすがりつく男が面を上げることはなかった。
「真に申し訳ありませんでした。信用していたルートだと思って油断した私の責任です。まさか片印晶の中に、未処理が混ざっているとは思わず……」
「良いんですよ。それより、貴方に怪我がなくて幸いでした」
声は穏やかに、男へと問いかける。
「たしか、軌獣の相手をしたのは、旅人風の少年と士官学校の少女でしたね?」
「はい、その通りです」
「生徒の方は、学校の課題で炊き出しなどを行っているそうですね。こちらは問題ないでしょうけれど、もう片方の――彼、何やら戦闘中に妙な動きをしていたとか」
「え、ええ……よく分かりませんが、人間離れした動きをしていました。おそらく穿士だとは思いますが、そのときまだ周囲に刻印姫はいなかった気も……」
「サルターレ流を謳ってはいませんでしたか?」
「さる、たーれ? いや……そういえば、そんな言葉を聞いたような……」
おぼろげな記憶の男は、詳細を思い出せずにいた。
しかし若い声は、それだけ聞くと満足したように一筋の息を吐く。
「もう下がって構いませんよ。貴方は引き続き、資金調達をお願いします」
「は、はい。寛大な措置、真にありがとうございます」
仰々しく礼を口にする男。
今まで生きた心地がしなかったように、退室する様は肩の荷が下りたようだった。
男が去った直後、一人きりとなった室内にて。
「――兄様。サルターレ流って」
部屋の角から響く、若い女の響き。
今までずっとこの空間に潜んでいたようだ。しきりに反省する男は、彼女の存在にまったく気づいていなかった。
「カロンの民の末裔……この街に来たようだね」
「始末、するの?」
「構わないよ。今は静観しておこう」
「ん。分かった。待つ」
返事をした女の気配が、すーっと影を潜めるように、この場から消えて行く。
「……師範の息子か」
どこか思いに耽るような呟き。
「キミの天秤は、どちらに傾くのかな?」
背もたれが軋む音を残し、静寂が場を支配していった。




