掃除とはゴミを拾うこと
スラム街の治安向上。
それは思い立って行動するには、限りなく途方もない。
学生の課題としては不可能に等しいだろう。だからこそ遠回しに退学にしたい生徒に、更生の機会という名目で最後通達するには打ってつけだ。
士官学校ともなれば、王族や貴族も通っている。
上級階級を相手に、なるべく角を立てないようにするための苦肉の策だった。
「――掃除、か?」
「ああ。掃除だよ」
フィンは背中に籠を背負い、セレーネとスラム街を歩いていた。
炊き出しの備品に、ちょうど良いサイズがあったのは好都合だった。
籠さえあれば、いつでもどこでもゴミが拾える。
軒並み通りに見える木造家屋は、廃材を使用した積み木のような吹き抜けばかり。隙間をビニール袋で補強したり、暖簾をかけたりしただけの簡素な造りが目立つ。それでも家があるだけマシな方で、テント暮らしや宿無しも珍しくない。
それでもガイアードのスラムは、まだ人道的に思えた。
国によっては、セントラルから出る廃棄物を、そのままスラムに投棄しているという。
その点、この街は異臭も少なく、道路脇をゴミが埋めるようなことはなかった。
「フィン、一つ聞かせてくれ」
「どうした?」
改まったセレーネに、フィンは耳を傾ける。
「君の父君は武道家で、相当の腕前だったと聞いている」
「まあ、そうかも。健康武術家だったけど」
「ならば治安を乱す悪党を倒す、掃除人のような真似をしていたのではないか?」
「ぜんぜん。そんなの一度だって聞いたことないよ。俺の父さんは――おっ」
フィンは道端に転がった、小粒ほどの石を籠に放り込んだ。
「地道に、スラムを綺麗にしていただけだよ」
「本当に掃除だけをしていたのか?」
フィンに倣い、セレーネが家屋から剥げた木片をゴミ籠に入れた。
「基本はね。まっ、病は気からって言うし、住んでる場所が汚れていたら、誰だって生きるのが辛くなる。特にサバーブでは医者もほとんどいないし、衛星管理は大事だからさ。つまり健康への第一歩は清潔感だって、父さんは思い立ったわけだ」
「そうか。そう言われれば、理に適っている気がする」
「と言っても、この街はずいぶんゴミが少ないな」
少し歩いた限り、ガイアードのスラムが小綺麗だった。
その代わり、すれ違う住民の覇気は少なく感じた。旅人風の少年とセントラルの少女に、怯えや戸惑いの視線を向ける者は多い。
しかし、先ほどの子供たちのように、急に襲い掛かられることはなかった。
セレーネが帯剣していることも理由の一つにはあるだろうが、それにしてもどんよりとした空気が見て取れた。
「ちょっとしたもんは、みんな拾っていくから、そのせいかもな」
「ゴミを拾って行くのか?」
セレーネは小首を傾げていた。
何気ない彼女の言動に、フィンはふとした疑問が生じてくる。
「なあ、セレーネ。どうしてスラムができるか知ってるか?」
「歴史の授業で習ったことがある」
フィンの要望に応えるように、セレーネは知識を披露してくれた。
「今から数千年前。当時、この星に接近していた虚空廻印晶から、剥がれ落ちた片印晶が隕石として、無数に降り注いだ。その内、八つの巨大な片印晶――後に〝星印晶〟と呼ばれるものが、世界中に散らばった」
「いや、そこまで遡らなくても良かったんだが……」
何やら話題が大きくなったので、フィンは思わず指摘を入れる。
セレーネはきょとんとした様子で聞き返してきた。
「そうなのか。では、八大国家がそれぞれの星印晶を保有し、軌獣への対策として刻印姫や穿士が生まれた話は不要か?」
「ああ、できれば省いてくれ。そもそも、そんな話されても俺は知らんし興味ない」
「なるほど、理解した。それなら、かつてこの国には、ルナの民とカ――」
「だから歴史の話じゃなくて、スラムの……もういいや、自分で話す」
セレーネの少々ずれた感性に、フィンは早くも音を上げる。
「要するに、サバーブに暮らす人間って、生まれついてセントラルに住めないって前提がある。といっても俺は元々、僻地の村に住んでたんだが、土地開発のせいでスラムへの移住を余儀なくされた」
今でこそスラムの人間を指す、サバーブという用語。
元々はセントラルの郊外に住む人間、全般を指す言葉だった。
「で、セントラルに移住したいけど、お金やら何やらが足りなくて、仕方なく城壁の外にコミュニティを形成したのが始まりだったかな」
「スラムの住民は、元が奴隷などの身分だったと私は聞いているが」
「まあ、どっちもあるかな。何にせよ、彼らは都心の傍に身を寄せ合ってるわけだが、ここで必要になるのは物資だ。さすがに野宿ばかりじゃ、いつか限界がくる。だけどお金もない彼らがすがったのは、セントラルから廃棄されるゴミってわけだ」
「ゴミ……そうか。ゴミを拾うとは、まさにそういうことなのだな」
「例えば、この辺の家も、セントラルの廃材から出来てる。使えそうなものは何でも使う。そうしなければ、生きていけないからさ」
「フィンも、そうだったのか?」
ふとしたセレーネの疑問には、微かに憐憫の情が含まれているように感じた。
そこでフィンは思いに耽る。
彼女はセントラルの人間で、不自由ない暮らしをしてきたはずだ。それなのに、率先して人々の役に立つ生き方を本気で望んでいる。
フィンはその優しさに、奇妙な違和感を覚え始めた。
「いや。幸い俺は父さんが立派な人だったから、苦労は少なかったけど――一つ聞かせてもらっても良いか?」
「無論だ。必要なことなら何でも協力させてくれ」
「どうして貴女のような人格者が、退学にさせられるんだ?」
「私が人格者だと? ……クレセント」
声を落としながら、セレーネは肩から力を抜く。
「残念ながら、私はそんな人間ではない。少なくとも教師陣からは、突拍子もない行動を起こす、協調性皆無の人間として捉えられているそうだ」
「ああ、まあ……それは、うん」
突拍子もない部分だけは、フィンも素直に受け入れてしまった。
普通の人間は、まず列車から飛び降りないだろう。
「けれどこれだけは約束する。私は半端な気持ちでスラムの治安に手出しする気はない。一度やると決めたからには、全力で取り組む」
「それは有難いが、あんま肩肘張らない方が良い。ずっと思ってたが、どうも貴女は――」
フィンは言葉を口にしかけて、直前で飲み込んだ。
「掃除が終わったらで良いか。ひとまずはゴミ拾いがてら、ざっとスラムを見て回ろう」
「そうか。何か申しつけがあれば、遠慮しないで言ってくれ」
二人はしばらく、ガイアードスラムの現況をその目で見て回るのだった。




