スラムを掃除した男
闇市場から東地区。
少し歩を進めた先に広場があった。
スラム街にしては珍しく、そこではセントラルの人間による炊き出しが行われていた。
会場となる広場には、武装した兵士が周辺を囲んでいる。
その中心で、鍋や釜を積んだ移動用の露店が立ち並んでいた。白いエプロンと帽子をつけた男女が、紙皿などに食事を乗せている。中には、まだフィンとそう変わらない年齢で、配膳を手伝っている者もあった。
そこにいくつかの列を成して、スラムの住民が昼食の恩恵に預かっていた。
フィンは窮地を救ってくれた少女セレーネに連れられ、付近に設営されていたテントに連れて行かれる。
ここまでの道中、彼女からの説明は一切なし。
ただ一言『着いて来て欲しい』と言われたまま、フィンは大人しく従っている。
テント内部には簡単なテーブルとイスが置かれており、一人の男性が寛いでいた。
「――おっ、ごくろうさん」
軽い調子で手を振る、赤毛に白髪と白髭交じりの、重装備を身に着けた初老の男。テーブルに立てかけられたクレイモアを見るに、彼が武人であることは見て取れた。
「初めまして、フィン=サーニタス君」
「えっと、初めまして」
初対面の人間に名を呼ばれて、フィンは眉を顰めながら返す。
だがこちらを知っているということは、紛れもなく彼もフィンに関わりのある一人。
「私はアルフレド=マクスウェルだ。今後とも、よろしくな」
「よろしくお願いします。あの、早速ですが」
フィンはここに来て、ようやく当初の目的に立ち返る。
「俺が連れて来られた理由は、あの手紙――ガイア―ド士官学校の依頼の件、ということで合ってますか?」
ガイア―ド士官学校――その名の通り、武芸者を育てる訓練校だ。
セレーネが着ている制服も、そこに準じるもの。
テラ王国を創建した『ルナの民』という一族がいた。国民の過半数はその末裔であり、彼らが常にモチーフとしていたのが月。
制服の色味を占める黄色には、その意味が含まれているらしい。
「ん? それはその通りだが……ああ。セレーネ君。彼に説明を省いたな」
「闇市で軌獣に襲われていたので、その暇がありませんでした」
「はあ? おいおい、襲われてたってどういうこった。セレーネ君には、駅まで出迎えを頼んどいたはずだろ?」
「時刻を間違えました。けれど列車から飛び降りたら、彼がいたので問題ありません」
「エキサイトしてんな、おい」
アルフレドは半眼で、フィンの隣の少女を睨む。
セレーネは悪びれない様子で、鉄仮面の如くクールな表情を保った。
「……しゃあねえ。結果オーライで大目にみとくわ」
睨み合いに根負けして、こほん、と気を取り直すようにアルフレドは咳払いした。
「さて。タイタンのスラム街は、ある一人の男の活躍によって統治されたという」
アルフレドは語り調子で続けた。
「長年、抗争を続けていたマフィアの二大勢力を黙らせ、スラム街でありながら最高峰の治安を手に入れた。今回それを成し遂げた者の手を借りたいと、白羽の矢が立ったわけだが」
「貴方たちセントラルの人間が、ですか?」
フィンは胡乱を宿し、アルフレドに問うた。
長年、サバーブの惨状を放置しておきながら、今になって改善を行おうとした背景。
書面に詳細は書かれていなかったが、サバーブ育ちのフィンとしては、裏があるような気がしてならなかった。
「ふむ。君からの返信は読ませてもらった。まず初めに、お悔やみを言おう」
アルフレドは黙祷を捧げた。
そう、スラム街を掃除した男とは、フィンではなくフィンの父親。
彼らはそれを知った上で、息子であるフィンに筋を通している。
「当人が亡くなられていたことは非常に残念だ。しかし聞くところによれば、現在タイタンのスラム街の治安維持には、君が一役買っているそうだね」
「まあ、父の遺した道場を経営してるだけですが」
「その上で、私たちは君に助力を求めた。その返事として君は、自身の目でガイアードの現状を確かめたのち、協力するかを決めたいそうだね。さて、そのために私が便宜を図っても構わないが、ここは当事者に話をつけてもらうよ」
斜に構えた態度で、アルフレドは視線で合図を送る。
これを受け取ったセレーネが、フィンを空いた椅子に促した。
「君に手紙を送ったのは私だ」
「貴女が? それはまたどうして」
腰を落ち着けながら、フィンは対面に座したセレーネと向き合う。
アルフレドは余分な口出しをせず、テーブルに置いていたコーヒーを嗜んでいた。
「見ての通り、私はガイアード士官学校の生徒だ。オフェリアやウィンダム――ああ、炊き出し中の彼女たちのことだが、私たちは目下危機的状況にある」
「と、言うと?」
フィンが聞き返すと、セレーネは微塵も変わらない面で、その状況とやらを明かした。
「退学だ」
「帰って良いか?」
真顔で自己都合を提示され、フィンの声帯は脊髄反射していた。
セレーネは細かく首を揺らす。
「冗談を言っているつもりはない。学校側から、私たちは素行不良と思われている。そこで言い渡された課題が、一か月以内のスラムの治安向上。つまり、実質の退学宣言だ」
「それはまた無理難題な。しかもどうしてスラムだ? 士官学校って、軌獣と闘うための養成をしてるって聞く。課題をさせたいなら、そっち方面にすれば良いじゃないか」
軌獣と闘う者たちは、通称〝穿士〟と呼ばれる。
同様に、もう一つ――
「残念だが、私は〝刻印姫〟として、失格の烙印を押されたようだ。他を危険に晒す可能性があると判断され、実戦の許可が下りなくなってしまった。このままでは私は、己が責務を果たすことができなくなる」
刻印姫。穿士と対を成す、軌獣との戦いを左右する存在だ。
その名の通り、刻印姫には女性しかいない。
彼女たちは、その身に特別な洗礼を受けている。強力な軌獣との戦いにおいて、穿士たちにある特殊な力を分け与える戦力の要だ。
先ほどの高架線から飛び降りるという離れ技も、その力に由来する。
「貴女の責務って?」
フィンはセレーネの本質に迫った。
彼女の熱意には、学校を退学になりたくないという、利己的な生温さは伝わって来ない。
そんなものを遥かに凌駕する、確固足る意志の根源が垣間見えた。
「弱き者を助ける。私は、そのために刻印姫となった」
力強く紡がれる、セレーネの言霊。
そこに、身分の違いで他者を蹴落とすような、くだらない価値観は含まれていない。
彼女は正真正銘、清廉のために課題に取り組もうとしていた。
「……そっか」
彼女の真っ直ぐな眼差しに射抜かれて、フィンは思いを巡らせた。
セントラルの人間は、サバーブを見下している。いわば差別意識の存在は、決して拭い切れるものではない。
されど、全てのセントラル民がその限りではないと、彼女は体現していた。
偏見は逆もまた然り。
セントラル民に対する、サバーブ民の忌避的主観。
どうやらスラムで育つ内に、フィンも知らぬ間にこれを抱いてしまっていたようだ。
彼女から大事なことに気づかされて、一筋の息を吐く。
「健康なる健康は、健康なる健康に宿る」
「……?」
フィンの台詞に、疑問符を浮かべるセレーネ。
立て続けてフィンは、己が在り方を彼女に証明した。
「ノン・サルターレ。この街はどこを取っても、健康からは程遠い。ならば、そこに健康を根づかせることこそ、サルターレ流の本懐だ」
「……つまり、どういうことだ?」
「協力させてもらうよ。限りないサルターレを、このスラムに届けるために」
「そうか。それは有難いが……」
セレーネは、どこか反応に困るように呟く。
「……君の言葉は、実に不思議でクレセントだ」
「ん? どういう意味だ、それ」
先ほども聞いたような言葉の真意は、傍観していたアルフレドからもたらされた。
「欠けた月。月並みではなく、月外れ。言ってみりゃ、非常識ってとこだな。でもあんまし気にすんな。それはセレーネ君の口癖のようなものだ」
「なるほど……悪くない」
これからスラム街の治安向上を図ろうというのだ。
お互いまともな精神でないことは承知の上。一度引き受けたからには、フィンは本気でセレーネの手助けとなることを約束する。
「それなら、セレーネ。早速掃除に出かけるとするか」
「そうか。では、私は君の指示に従おう、フィン」
二人の利害が一致したところで、話し合いは終えた。
スラム街の治安向上。そのための第一歩を、いざ踏み出そうとしたとき。
「なあ君ら。掃除って、初日から騒ぎは起こすなよ。ここがスラムっつっても、大きな問題の解決するのは私たちだからな」
アルフレドが、懸念を抑えるように口出しする。
そこでフィンは、はたと追及した。
「そういえば、アルフレドさんとセレーネはどういう関係だ?」
「マクスウェルは〝ログフレア〟の職員かつ、ガイアード士官学校の臨時教師だ」
治安保全局――通称、ログフレア。その名の通り、国家の秩序を保持することを目的とした組織であり、刻印姫と穿士の所属先でもある。
「生前、父と親交があり、今回も手を貸してもらっている」
「へえ……生前ね」
「まっ、そういうこった。あまり私に手間をかけさせさせないでくれよ。炊き出しに職員借りてるのだって、上の連中から睨まれてんだ。これ以上は胃に穴が空いちまう」
アルフレドは表情を引き攣らせて嘆息していた。
「問題ないですよ。掃除と言っても、たぶん貴方たちの想像とは違うと思いますから」
『……?』
要領を得ない二人を前に、フィンは薄い笑みを張り付かせた。




