市街地の攻防
階下の騒ぎが、次第に静まってきていた。
アンナはひっそりと屋上から降りて、扉の隙間から大通りの様子を窺う。事態が収拾するまでフィンに隠れていろと言われたので、落ち着くのを待っていたのだ。
周囲を見渡すと、軌獣は大方鎮圧されつつあった。
不意をつかれたとはいえ、ログフレアも無能ではない。
刻印姫の力を借り受け、穿士たちは死力を尽くして軌獣と戦った。
その功績によって、溢れ返っていた軌獣も残り僅か。これを操っていたケルベロスの一党も、すでに大半が捕縛されている。
アンナは恐る恐る周囲を見渡しつつ、安全を確認してから走り出した。
フィンがメインストリートの王城方面に向かったことは知っている。
アンナはセントラルの立地に詳しくないが、この街のどこかにログフレアの本部があるはずだ。
周囲にログフレアはいない。おそらく、別の戦闘に参加したのだろう。
とにかく誰か一人でも多く、フィンの救援に向かって欲しかった。
アンナはずっと胸騒ぎがしていた。ようやく出会えた家族のような存在。その背中が、とても遠くに行ってしまうような嫌な予感。
そんなことは絶対にさせない。
フィンがアンナに死んで欲しくないように、彼女もまた彼に生きていて欲しかった。
どこかに手助けしてくれそうな人はいないか、アンナは市中を駆け回る。
表通りから裏路地に向かい、武器を持った大人を探した。
そんな中、建物の壁に背を預けながら路地に蹲る人々を見つける。
怪我でもしたのだろうかと近づいてみると、からんと足が何かに引っかかった。松葉杖のようである。
「な、なあ、どうしたんだよ。逃げないのか?」
「……俺たちは、もう動けない。放って逃げるんだ」
一人の男が、背を丸くして諦念をぼやく。
怪我はあるようだが、今回の騒動のものでないらしい。どこからも血が出ておらず、けれど不自由そうな足をピンと路上に伸ばしていた。
「なら、待ってろ。すぐにログフレア、連れて来てやっからよ」
「それはやめてくれ」
アンナの善意に対し、男たちは自己の思想を優先させた。
「命には優先順位がある。俺たちなんて、もう戦う力もない最下層の人間なんだ。救える命があるのなら、そちらを優先させたい」
「ハァ? バカじゃねぇのか。命に上も下もあんのかよ」
「子供には分からないかもしれないけど、それが大人の世界なんだよ」
意味不明な理屈を、さもありなんと男は語り、周囲もそれに同調していた。
アンナは憤然と物申したくなるが、さすがに時間の無駄が過ぎる。こちらは生きるために必死なのに、死体のような顔をされたら助ける気も起きない。
「くそっ、くだらねぇ。セントラルに住んでるくせに、何で生きようとしねぇんだよ。これなら、まだスラムのバカどもの方がサルターレしてるぜ」
「……サルターレ流か……あのときは、久々に楽しかったんだがな……」
ぼそぼそと小言を募る男に、アンナは見切りをつけた。
路地を抜けると、そこは住宅地のようだった。大層な民家が乱立し、その中を何か大きなものが破砕音を巻き散らしながら移動している。
どうやら、まだ軌獣の生き残りが暴れているようだ。
アンナはログフレアを探すが、そのとき道で倒れている女性を発見する。
「う、うぅ……」
うつ伏せの女性の近くには車いすが転がっていた。この騒動で押し倒されたらしい。
アンナは急いで駆け寄り、車椅子を立て直しながら女性に手を貸した。
「おい、だいじょうぶか?」
「……ありがとうね。この混乱で、ずっと起き上がれなくて……」
「んだよ、誰も助けてくれなかったのか? ひでぇ連中だ」
「ううん、当然なのよ。誰だって自分の命が大事だもの。それに、こんな役に立たない刻印姫なんて、助けても仕方ないからね」
「むむむー、何だよさっきから。どうして、どいつもこいつも、ノン・サルターレしてやがんだ。ここ、ほんとにセントラルか? もっと真剣に生きようとしやがれってんだ。無性にムカつくぜ」
女性も己を蔑ろにする発言をするので、アンナは堪忍袋の緒が切れる。
しかし女性は動じず、ハッとしたようにアンナへ訊ねた。
「サル、ターレ? もしかして、きみ、サーニタス師範とお知り合い?」
「あぁん? 兄貴のこと知ってんのか」
「ええ。一度、サルターレ流を教えてもらったことがあるのよ」
「へえー、そうだったのか。まあな。オレは兄貴の一番弟子でGSSのリーダーだ。アンタの姉弟子になるからな。覚えとけよ」
「あら、そうなのね。うふふ、可愛い姉弟子ね」
女性は微笑みながら、アンナの頭を撫でる。
子供扱いされるようで癪に障るが、アンナも悪い気はしなかった。それよりも、付近にログフレアがいないか聞こうとしたとき――
「危ない!」
女性はとっさにアンナを引き寄せ、その上に覆いかぶさった。
瞬間、隣家を破壊しながら道路に飛び出してくる一頭の猛牛。血走った眼は興奮の絶頂にあるのか、無作為に瓦礫を突き上げていく。
「怪我は、ない……?」
アンナを庇う女性は、煉瓦に埋まりながらもアンナの安否を確認する。
「あ、あぁ、ありがとな。おかげで助かったが、あんたは?」
「ディフェンドラインを発動させているから、しばらくは大丈夫。でも、長くはもたないわ」
罅隙紋・像は鉄壁の守りを敷くが、衝撃を受けられる回数にも限度があった。
散乱する瓦礫と埃の向こうに、アンナは軌獣の姿を確認する。前足で地面を擦り、勢いに乗せて突進してきた。
女性は身を挺してアンナを庇い、再びの衝突に備える。
途端、大きな角で突き上げられて、女性はアンナごと宙に弾かれた。ダメージこそないがこのままでは落下の衝撃が二人を襲う。
しかも眼下で待ち構える猛牛のダブルホーン。
空中ではまともに受け身も取れない。たとえ女性がガードを張っても、隙間からアンナを貫かれればそれで終わりだ。
「くっ、せめてこの子だけでも……っ」
「あんた、何を!」
アンナは自身の身体に、奇妙な感覚が巡るのを感じた。
刻印姫の能力で、アンナに罅隙紋・像を付与したのである。
そう、たとえ退役したとしても、彼女たちは人々の命を守るために戦っていた。その精神は今なお受け継がれており、己を顧みない言動を取るのは当然の義務だった。
そして一つの能力は、一人の穿士にしか同時に分け与えられない。
防御によって守られるのはアンナだけだ。
このままでは女性は死ぬ。それを本能的に把握しながらも、アンナにこの運命を覆す手段はない。
「誰か……誰か、助けてくれ!」
悲痛の声を、聞き届けてくれる者はなかった。
「――諦めない奴の声は、よく通る」
否――救いを求める者の前に、英雄は必ず現れる。
「そこの刻印姫の嬢ちゃん、何でも良いから罅隙紋くれ!」
応える響きは、老練のゆとり。
これまで穿士とともに在り続けた女性は、無意識でも呼びかけに身体が反応する。
「お寝んねしてな、この馬鹿牛がッ!」
斬、と軌獣を引き裂くクレイモア。
罅隙紋・犬。フィジカルラインは全ての基本となる力であるが、相対的に肉体の技術が上がるほど強さも増す。
「さて、ぼちぼち反撃に出るとすっかね」
英雄アルフレドは大剣を地面に突き刺しながら、落ちて来る女性とアンナをその腕にキャッチした。
「あ、貴方様は、英雄アルフレド!」
「おっさん、助かったぜ!」
アンナはお礼を言いながら、脳裏に閃くものがあった。
アルフレドの名は、好々爺から何度も聞いた穿士である。この人なら間違いなくフィンの助けになってくれるはずだ。
アンナは無我夢中でアルフレドに頼み込む。
「助けてくれ! 王立広場ってとこで、兄貴が戦ってんだ! 英雄なら、手を貸してくれるだろ? なっ!」
「……少し、待ってくれ。今ので、腰、逝ったかもしれん」
顔面蒼白になりつつ、アルフレドは二人を下ろす。
腰をトントン叩きながらも、話はしっかり聞いていてくれたようだ。アルフレドは真顔に戻りアンナの頭に手を置く。
「君はサーニタス君の下で、よく武術を学んでいる子だな。逸る気持ちは分かるが、焦ったら全てが台無しになる。私たちには仲間が必要だ」
「仲間ったって、どこにいんだよ、そんなの」
「なに、先ほど会って来た。私をここに送ってくれたのも、彼らの声援あってのものだ」
「……? つまり、どういうこったよ」
小首を傾げるアンナ。
そこにアルフレドは、力強く答えた。
「サルターレ流には、どうやら本当に人々を変える力があるようだ。私も当初は半信半疑だったが、今じゃこっそり家で練習するぐらいだ」
アルフレドの言葉に呼応するように、遠くから無数の足音が近づいてくる。
そのときアンナは改めて、心に大切に想う存在の偉大さが誇らしくなった。




