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水面に月は浮かぶ

 王城を目前に据えた王立広場。

 色鮮やかな花々の植わる花壇が円形に取り巻いている。中央に据えた噴水からは見事な水飛沫の上げ、ルナの民の象徴である月を模した像を眩く映えらせた。

 この地はシンメトリーを極めた、テラ王国の貌である。


 城門へ続く桟橋の手前。ガラスケースに安置された内部に煌々と艶めくは、青と緑のコントラストを描く星印晶(アカシッククリスタル)【テラ】。その大きさは並みの片印晶など目ではなく、両手で抱えてようやく持ち上がるような質量を秘めていた。

 星奉祭のために、国民にその威光を示すテラ王国の国宝。


 当然、その警備にはログフレアの精鋭がつき、絶対管理の下に大衆の閲覧が可能となる。

 複数の列を成して、星印晶の輝きに触れる決まりだ。無論、手を伸ばせば届く距離にあらず、規制線の外側から集団参拝を行う。

 それゆえに、星奉祭の時期の王立広場は、民衆の波で渦巻くのが恒例であったが――


「何者……だ……」


「年々ログフレアの質も落ちているね。それもそうか。民衆には毛嫌いされ、早熟の内に致命的な怪我で、戦線から離脱せざるを得ないんだ。担い手を失うのも自明の理さ」


「兄(あに)様。これで全て片づいた」


 規制線を突っ切る男女の前に、警備していたログフレアの部隊は全滅していた。

 しかしそれも当然である。黎明期は何度も内乱があったようだが、ここ数百年に至ってはぬるま湯のような平和が続いていた。よもや国家の中枢である首都ガイアードに、これほどの反乱が引き起こされるとは夢にも思わなかっただろう。

 警備の人数が年々減っていたことは、痛恨の不覚と言わざるを得ない結果を招いた。


 もっとも、それだけでケルベロスがこれほどの成果を挙げられたわけではない。

 テラ王国ログフレアの主力部隊は、直近に国内で起きた軌獣(オービスト)鎮圧の遠征中。

 政府内部とも繋がりを持つケルベロスが、この情報を入手するのはそう難しいことではなかった。もっともその騒動自体が、ダスティンが仲間に引き起こさせたものだ。


「これで【プルート】と【テラ】がボクの手に入る。この二つの力は、周辺諸国にとっても強力な抑止力となるだろうね。今の爛れた世界を継続させないために、ボクは鬼にも蛇にもなって見せるよ。そうすれば、ニュー」


 ダスティンは妹の手を取って、優しく微笑みかけた。


「理想が実現するんだよ。誰も争わず、傷つかず、泣かなくて済む。そんな世界にね」


「兄様……ええ。ワタシたちは、ここまで来てしまった。あとは――」


「うん。――彼らさえ抑え込んでしまえば、悲願は成就される」


 振り向いた兄妹の視線の先。

 王立広場に足を踏み入れた、これを阻止する者がそこにはあった。




 噴水をすり抜けると、星印晶の安置されるケースの前に目的の人物を発見する。

 褐色の肌を持つ美しき兄妹、ダスティンとニュー。ケルベロスの頭目にして、此度の騒動を引き起こした張本人に、フィンとセレーネは真っ向から対峙した。


「ダスティン、もうやめてくれ。貴方の目指す場所はノン・サルターレだ」


「降伏しろ。君たちが本当にフィンの友人であるなら、それが最善の選択だ」


「フィン君。それにルナの民のセレーネさん。もうボクたちに交わす言葉はないよ」


「ワタシと兄様が、この国を変える。その役目はもう、アナタたちではない」


 対話は終えて、残るものは敵対する互いの決意のみ。

 相容れない相手との決着は、武力を行使することでしか解決しない。そんな人類の悲しい歴史は分かり切っている。


 それでもなお、復讐に囚われる兄妹を慮ろうとするフィンの心。

 その迷いを断ち切るように、ダスティンは手荷物からあるものを取り出した。


「フィン君、これが最後だよ。ボクたちの邪魔をするのなら、その命はここで終わることになる。ガイアードを離れ、タイタンに戻ってくれないかな」


 ダスティンの手の平に乗る、水晶の如き紫の宝玉。

 それが星印晶に匹敵する【プルート】であることは一目明らかだ。


「通常、片印晶(アカシックプリズム)の軌獣が倒されてから復活するには一年の月日がかかる。しかし師範に倒されてから、これに軌獣が戻るまで三年を要したよ」


「ダスティン、まさか……あのときの、怪物が」


 フィンの脳裏に、六つに輝く恐ろしき眼光がフラッシュバックする。


「本来、星印晶に宿る軌獣は、人間の手に負える相手じゃないんだよ。八大国が建国される数千年以前、大陸一つを滅ぼしたという伝承もある。【プルート】は星印晶でこそないが、勝るとも劣らない力だ。それなのに、かつて師範は相打ちとはいえ、単独でこれを打ち果たしてしまった。カロンの民が、どれほど優れた人種だったかよく分かるだろう?」


 フィンの父の偉大さを、さもありなんとダスティンは用いる。


「そんなボクたちを貶めたルナの民を、やはり許すことはできないのさ。フィン君、お願いだから、もうボクの前から消えてくれ。ボクはキミを……大切な友人を、殺したくない」


「貴方が俺をそう呼ぶのなら、俺だって同じ気持ちだって気づかないか?」


 フィンは拳を握り締め、過ちを繰り返すダスティンに突き出した。


「俺の友達が悪さを働いてる。それなら止めてやるのが筋だろ、分からず屋が」


「そう、かい……残念に思うよ。心の底からね」


 ダスティンは失意を脱ぎ捨てるように、手元の【プルート】を地面に投げた。

 衝撃を与えた瞬間、軌獣は姿を現す。彼が宝玉を取り出したときから、当然フィンはその動作に備えていた。


 八点超駆(やてんちょうく)の神速でフィンは、【プルート】が落下する前に拾い上げようとする。

 これを阻止せんと、行動を予測していたニューが先回りして短剣を構えていた。だが、そこに追随するもう一つの青き風。半月状の長剣を抜いたセレーネが、フィンの邪魔をさせまいと身を挺してぶつかる。


「フィンの邪魔はさせん!」


「兄様のために、ワタシは!」


 漆黒の闇に染まる刻印姫(スティグマール)と、水面に浮かぶ月光の刻印姫。

 両者の衝突の合間を縫ってフィンは【プルート】に手を伸ばす。

 されど、この場で最も全体を見極めていたのは、生粋の才人ダスティン。


「八点超駆は最速の歩行術だけれど、一手ボクが早かったね」


 ダスティンが懐から抜き出していたのは、ワイヤーに繋がる三本ナイフ。まるでかぎ爪のような得物は、すでに投擲されて【プルート】の落下に覆いかぶさろうとする。


「……っ!」


 このままでは、フィンの右手は串刺しにされる。

 だが、それがどうした。軌獣が呼び出されれば、自分だけでなく多くの者が被害に遭う。そんな未来を回避できるなら、この手の一つや二つどうなっても良い覚悟だった。


 しかし、ダスティンは初めからフィンを狙ってなどいない。

 切っ先が向く先は宝玉。フィンがその手に掴む前に紫の水晶は弾かれて宙に舞う。ナイフに傷をつけられた衝撃で、軌獣を呼び出す手筈は整った。


 頭上で煌めく暗黒の光。ニューがいち早く身を引いていたのを見て、フィンはすぐさま大声を発する。


「セレーネ、下がれ! 潰されるぞ!」


「……っ!」


 フィンの一声で、セレーネは後方へと飛び退いた。

 前のめりになっていたフィンも、瞬時に爪先立ちに切り替えて後ろへ跳躍する。前後左右斜め、どの角度にもとっさに移動できるのが八点超駆の強みだ。

 しかし人間の積み上げた技など、強大な存在の前にはたかが知れている。

 広がっていく視界に映し出されるのは、あの日見た絶望だった。


「さあ、現れるんだ。三つ首を持つ魔犬――〝軌獣・ケルベロス〟よ」


 轟く雷鳴の如き、ひび割れゆく光の筋。

 大気を突き破って、この世の座標に空間固定される禍々しき獣。

 その巨体は王立広場の半分以上を埋め尽くす。着地する前足は、噴水とルナの民のシンボルである月の像を粉砕した。


 猛り狂う冥府の番犬の異名。

 根本から太く生え出した、三又の首に別れる頭部。

 大地を引き裂く爪と、虚空を噛み砕く牙。

 尖鋭の如き六つの紅の眼は、三年前、雷雨の中に見たそれと同質の畏怖を秘めていた。


「タイタンでスラムの人々を……アーウェルを殺した、軌獣……ケルベロス」


「なんと獰猛な姿だ」


 フィンとセレーネは、その怪物の存在感に圧倒される。

 これほどの質量を誇る敵が、人間の手でどうにかできるとは思えなかった。鮮烈なトラウマが蘇るように、全身から冷や汗が噴き出すのを感じる。

 しかし、以前と同じ無力なままではない。

 フィンは身体の震えを抑え込みながら、持てる気迫を懸命に振り絞った。


「セレーネ。刻印姫の力を俺に貸してくれ。こいつは必ず、ここで倒す」


「君に……罅隙紋(クレスト)を……」


 セレーネは初めから戦う覚悟を持っていた。そのことは疑いようもない事実である。

 それなのに、彼女は――


「……分かっている……そうしなければ、ならないことは……」


「セレーネ?」


 フィンはセレーネの異変に気づいた。

 彼女は構えていた剣の切っ先を地面に向け、震えるように怯えている。それは眼前に迫るケルベロスに、恐れを抱いたからではないように感じられた。


「フィン君」


 そこに、ケルベロスを挟んでダスティンから告げられる言葉。


「彼女を責めないでやってくれ。そのセレーネさんは――孤高の刻印姫と呼ばれる彼女は二年前、共に参加した戦闘で父親を亡くしているんだよ。そう……自身が付与した罅隙紋の過負荷によってね」


「罅隙紋の、過負荷?」


 フィンがその事実を知るや否や――

 セレーネは全身から力が抜け落ちていた。




「――私が罅隙紋を付与すれば、また同じことが……」


 セレーネは、自責の念に駆られていた。

 二年前までセレーネは、士官学校でもトップクラスの実力を誇った。その腕を買われて、ログフレアの任務に同行することも多かったのだ。

 そしてあるとき、父親とともにセレーネは軌獣討伐のミッションに赴く。


 セレーネの父は局長だったが、まだまだ現役の穿士(ブレイバー)として活躍していた。

 他にも仲間はいたし、任務内容も野良の軌獣を一匹倒すだけだった。

 しかし間の悪いことに、軌獣はサバーブの辺境の村に逃げ込んだ。

 そして多くの村人が逃げ惑う中、そこには不法に片印晶を所持する闇商人が滞在していたのである。


 闇商人は軌獣に襲われて、そこら中に片印晶が散らばった。

 未処理だった片印晶からは、多くの軌獣が飛び出して現場は阿鼻叫喚となる。

 仲間たちも傷つき、セレーネの体力には限界が来ていた。


 穿士の負った罅隙紋への傷は、そのまま刻印姫のダメージとして跳ね返る。

 それゆえに、セレーネの父は最後の手段に打って出たのだ――


「罅隙紋・龍(ドラコー)。またの名をバーストライン。ボクがフィン君の訓練のとき、ニューにこれを使わせなかったのは、その罅隙紋が人間には負荷が大きすぎるからなんだ」


「バーストライン……壊れる、ってことなのか?」


 フィンはその意を求めるように、ダスティン、ニュー、セレーネを見比べる。

 その問いかけに口を開いたのは、表情を歪めるセレーネだった。


「……その力は術者のみを蝕む諸刃の剣だ。通常、罅隙紋は刻印姫に還されることで、穿士への負担を最小限に抑えている。しかし罅隙紋・龍だけは、全身を巡る超因子(スーパーファクター)によって、まさしく人智を超えた力を発揮する。その代償は、使用者の命だ」


 命、というよりは身を削るという表現の方が正しかった。

 罅隙紋・龍も、任務によっては使用されることも珍しくない。

 強力すぎる反動は、肉体の健康寿命を縮めるが、それでも短時間なら死に至ることは決してなかった。

 だが、仲間たちを救うため、セレーネの父は極限までその力を振るったのだ。


 結果、酷使された肉体は限界を迎え、セレーネの父は息絶える。

 そのときの光景が、セレーネは忘れられない。たとえ父親の指示だったとしても、自分が罅隙紋を付与しなければ死ななかった。

 そんな胸を締め付ける想いから、いつしかセレーネは恐怖を感じるようになる。


 穿士に罅隙紋を与えようとすると、身体が拒絶反応を起こしてしまうのだ。

 再び同じことが繰り返されるかもしれないという、過去のトラウマによって。


「セレーネ……貴女の苦しみは、きっと俺にも分かる」


 フィンはセレーネの肩に手を置き、その心に寄り添った。

 肉親を目の前で失うという、同じ傷を持つ同志として。


「俺もアーウェルが殺されたとき、本当にどうしようもない気持ちでいっぱいだった。でもそのままじゃいけない。弱い自分のままじゃいられないと思って、サルターレ流をやろうと思ったんだ。父さんたちの意志を継ごうと思えたんだ」


「……フィン」


 弱々しく揺れる身体で、セレーネは傍にいる少年に問う。


「父上は……私が殺したと、君は思うか?」


「そんなこと思う奴がいたら、俺がサルターレの精神を叩きこんでやるよ」


 フィンは真っ直ぐな言葉で、セレーネを奮い立たせた。


「立て、セレーネ。貴女の責務は弱き者を助けることのはずだ。そして貴女がいなければ、俺は戦う力すら持てない。セレーネの力が、今ここで必要なんだ」


「フィン……私は……」


 セレーネは決して、強く気高い刻印姫ではない。

 罅隙紋を付与しないことから、孤高の刻印姫まで嘲られて、それでも一人で人々のためにあろうとしてきた。

 だが様々な思惑によって、その志すら絶たれそうになったとき。


 一つの光明のように、彼の地から少年はやって来てくれた。


「君が隣にいてくれて、本当に良かった。君のおかげで、私はいつも迷わずに済む」


「なに、お互い様だ。俺だっていつも貴女に助けられてるよ」


 フィンは持ち前のサルターレの精神とともに、セレーネに手を差し出す。


「勝つぞ、セレーネ」


「当然だ、フィン」


 フィンの手を取り、立ち上がったセレーネから憂いは消えた。

 神々しく煌めく刻印姫の輝き。麗しき青髪がふわりと舞い、その背に月を象るような罅隙紋を描き出す。


 セレーネの背に瞬く光がフィンへといざなわれ、今ここに刻印姫と穿士の関係は確立された。

 ならば、あとは使命を果たすのみ。

 

 軌獣・ケルベロスと戦いは、ここに開戦される。



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