エクセレント
大勢の消えたメインストリートは、軌獣の群れで氾濫する。
傷ついた人々が路面に倒れ、逃げ惑う人々を守るためにログフレアは奔走。阿鼻叫喚としたこの世の地獄を、フィンは一心不乱に駆け抜ける。
彼らを救いたいと思う心を必死に抑え、全ての元凶を止めなければならない。何をするつもりか分からないが、このままでは確実にテラ王国は崩壊する。
フィンは脇目もふらず大地を蹴るが、唐突に響く悲鳴が鼓膜をつんざいた。
「――いやぁあああっ!」
「ここ、この私を、だ、誰だと思っているんだ!」
それは通りに面した洒落っ気のあるカフェの一角。身なりの良い中年の男と、店員とおぼしき若い女性が逃げ遅れたように、店内の隅に追いやられている。
傍にいたのは、先ほどダスティンの放った半人半馬の軌獣。
前足で店の壁を突き破り、後ろ足でテラスのテーブルを蹴散らす。
今にも襲いかからんとする軌獣に対し、中年の男は必死に叫んでいた。
「私は次期、ウォルメリア家当主であるぞ! き、貴様のような、下賤な家畜が、軽々しく触れて良い存在ではない! この高貴なる血の前に、ひ、跪け!」
「この際、アンタで良いから早く何とかしてよ、エロ爺!」
「なな、何を言う! 麗しい女性に声をかけるのは、紳士として当然の義務だ!」
「ああもう、最悪よ! お祭りの日に仕事入るし、朝から変態に言い寄られるし、午後から彼氏とせっかくデートだったのにぃ!」
「そんな男など捨て置け! 私には、地位も名誉も財産も――ひぃぃ! この女ならどうなっても良いから、どうにか私の命だけはお助けを!」
身勝手なことを喚く中年貴族に、軌獣・ケイロンの前足が迫った。
「ノン・サルターレ!」
その間際、フィンは八点超駆で接近した。
猪の動きに付け加える腕の動作。サルターレ流は武器を用いない素手の武術だが、単純な正拳突きではこちらの拳が耐えきれない。
ならば、他に武器に使えるものは何か。
フィンは人馬の懐に潜り込み、振り上げた前足を反り上げた。
戦闘で武器に代わるものは、相手の動きと体重である。敵の一撃を利用し、それを逆手に取るカウンター。それこそが、実践では何の役にも立たない健康武術、サルターレ流にできる唯一の攻撃方法。
だが、四足を持つケイロンは、残り三点で踏ん張りが可能だ。
一本が持ち上げられれば片足立ちとなる人間と違い、残る屈強な三本足に対しフィンの腕の押し返しだけでは足りない。
本来なら、強靭な馬の脚力に押し切られてしまう。
ゆえにフィンは動きをシフトした。
「ひっくり、返れ……っ!」
斜め前に跳躍する、独特の動作を行う鳥の動き。
たとえ相手が一回りも二回りも大きな怪物だとしても、全体重を懸けたフィンの渾身を足一本で耐えきることはできない。
軌獣のもう片方の前足が上がり、後ろ足のバランスが崩れて後方に仰け反られていく。
ケイロンは、フィンによって見事に天地を返された。
「動けるか」
フィンはすかさず、後方の二人に呼びかける。
片印晶に戻るほどの傷は与えていない。人馬はすぐに起き上がるはずだ。
その前に避難を優先させたかったが、不意にフィンは足元にすがりつく男の存在に気づく。
「い、良い腕だ。私の部下に雇ってやろう。さっ、早くこの化け物どもを倒してくれ!」
「そんなこと言ってる場合か。とっとと逃げろ」
「あっ、いや……腰が抜けて、動けず……」
「お兄さん、ログフレアなら助けてよ!」
いつの間にか、反対側の足にも店員がしがみついていた。
「ちょ、離れろ! あいつが起きる!」
両足を拘束されている間にも、ケイロンは戦線に復帰する。
非常にまずい状況。怒りの眼差しが赤く燃えて、フィンを射抜いていた。
限りなく勝機は薄い。だが以前のように、諦めるという選択はなかった。必ずダスティンの野望を止める。そのためにはここで死ぬわけにはいかない。
まずは、まとわりつく二人をどうにかしなくては。
「ちょっと失礼!」
フィンはとっさに二人の腰に腕を回し、その身体を抱え上げる。女性の方は何とかなったが、男性の体重は予想以上にきつい。
「ああっ、コートにしわがつく!」
「あーん、死にたくないよーっ!」
「放り出されたくないなら、静かにしててくれよな!」
それでも弱音は吐かず、フィンは二人分の体重を支えながら八点超駆で店外に脱出した。
しかし人馬の四足も瞬時に反応し、フィンの速度に追いついて来る。こちらがハンデを背負っている以上、背中を捉えられるのは必至。
フィンは苦肉の策で、二人を路地に放り込もうとするが、彼らは再びフィンにがっつり腕を回していた。これでは引き剥がせない。
「くっ、どうする!」
付近にログフレアの存在を確認するが、誰もが他の軌獣を相手にしている。
肉薄するケイロン。
このまま戦うしかないのか―――瞬きにも満たない刹那、フィンがそう思考したとき。
「――クレセント。君は相変わらず、自らを省みないのだな」
か細い月の光が届くかのように、青い疾風が舞い込んだ。
高速移動の人馬は、急速に接近してくる対象を補足する。されど、人型の上半身の胸を貫くひと振りの三日月を、止めることは敵わなかった。
「セレーネ!」
二度目の月の女神が、フィンの窮地を救ってくれた。
ケイロンは瞬く間に片印晶へと変化し、路面にからんと落ち込む。
フィンは二人を下ろした。
女性店員はお礼を行ってからすぐに路地裏を走り去った。
一方、中年貴族は、目の色を変えるように駆け出した。そして蠱惑の輝きに魅せられるように片印晶を拾い上げる。
「う、美しい。これは私がもらおう」
「……片印晶の所持は法で禁止されている」
セレーナは男に、侮蔑的な目を向けながら警告する。
だが、男はハッとセレーネの存在に気づくと、不敵に笑みを零した。
「これは、セレーネ嬢。未来のウォルメリア家当主のため、よくやってくれましたな。褒めて遣わしましょう」
「……貴方か。私の縁談相手というのは」
「ええ、そうですよ。光栄に思いなさい。未だに刻印姫をやっているような野蛮な娘を、見受けして差し上げるのですからね。これほど誇らしいことはな――」
「生憎だが、私は貴方と婚約する気はない。お引き取り願おう」
セレーネは軽く一蹴しながら、すでに男を視線から外していた。
「フィン、無事で良かった。ケルベロスがこの騒動を引き起こしている」
「知ってる。ダスティンたちが、王立広場に向かったんだ」
フィンとセレーネは久々の再会だったが、事態が事態だ。短い言葉で意思疎通する。
「カロンの民の兄妹か。王立広場ということは、おそらく狙いは【テラ】だろう」
「何をする気か分からないけど、今すぐ二人を止めないと」
「当然だ。これ以上の蛮行は必ず阻止する」
「ああ。ところでそこの貴族の話で思い出したが、セレーネのお母さんは無事なのか?」
「なに、隠居したとはいえ母も刻印姫だ。自分の身は自分で守れる」
「逞しいな。それなら心配ないか。急ごう」
お互い息の合った理解で、目的を一致させる。
「な、何を言っているのだ、セレーネ嬢! ここに残って、この私を守れ! 未来のウォルメリア家当主がどうなっても良いのか!」
その合間、置いてけぼりの中年貴族は、地団駄を踏んで騒ぎ立てる。
「……フィン、少し目を逸らしていてくれ。私はこれから暴挙に出る」
「駄目だってセレーネ。そんな奴、貴方が手を出す価値もない。それより知ってるか? 人間の首には、いくつか秘孔があってさ」
フィンは素早く男の背後に回り込み、健康に効く秘孔を押してあげた。
男は叫び声を上げる間もなく、一瞬にして白目を剥き昏倒する。
「ふふ。見事だ」
「それはどうも」
フィンは気絶した男を道路の端に寄せておく。そしてあえて片印晶は、その手に残しておくことにした。
「二、三日は寝てるだろうし、事件が終われば、あとは法がこの人を裁くだろ」
「君というやつは、実にクレセントな方法を取る」
「んー、この場合、エクセレントとでも言って欲しいかな」
場を和ますようにフィンが口にすると、あのセレーネがきょとんと目を丸くさせた。
「フィン……その台詞を私に言ったのは、君が初めてだ」
「えっ、嘘。誰でも思いつきそうなジョークだけど」
「私の周りには、そんな軽口を言い合える相手はいなかった」
「なるほど。じゃあこれからはもっと増えるな。GSSに広めておこ」
「……まったく。それだから君の思想はクレセントだ」
嵐の前の静けさとは言わない。
だが、何気ないやり取りをするフィンとセレーネの日常は、これからも続くか分からないものだ。今、この瞬間を大事にするように、二人はお互いの目を見つめ合い、そして大きく頷いてから王立広場へと急ぐ。




