騒乱の星奉祭
セントラル駅を飛び越えてきたセレーネは、街の騒動に気づく。
遠くに悲鳴が聞こえてきた。老若男女、恐れを抱く絶叫が木霊し、物々しい空気が周辺を警備していたログフレアたちを包む。
一気に緊張が伝播し、各員が連絡を取り合うように駆け回った。
その中でセレーネに近づいて来る二人の姿がある。
「セレーネさん、この騒ぎは何ですか?」
「絹を裂くかの如き悲鳴に混じり、おぞましき遠吠えも聞こえるよ」
「オフェリア、ウィンダム。そう言えば、今日は駅の警備の手伝いをしていたか。これはおそらく、ケルベロスの仕業だろう」
「ケルベロスですって? あのスラムの地下組織ですか」
「それが本当なら、ついに暗黒が解き放たれたか。我らが油断する星奉祭を狙うとは、何たる卑劣な真似を」
「私は街へ確認に向かう。二人はここでログフレアに協力してくれ」
セレーネは一人で、騒動の渦中へと飛び込む気概を見せる。
その言動に、オフェリアは若干表情を暗くさせてセレーネに呼びかけた。
「止めても行くのですね。ええ、貴女がそういった性格であることは、友であるこのワタクシがよく理解しておりますわ。ですから、一言だけ言わせてください」
「手短に頼む。長居はできない」
「素っ気ないのも相変わらずですが、良いでしょう。――セレーネさん、無事に戻ってくださいませ。決して命を落とすような真似はなさらないでくださいね」
「約束はできないが、善処はする。そちらも武運を」
セレーネが無事を願うと、オフェリアは右手を差し出してきた。
それに自然と反応し、セレーネは握手に応じる。全体的にこちらの方が身長も高く、小柄な彼女の手が必要以上に小さく感じられた。心なしか、震えている。
こういうとき、気の利いた台詞をセレーネは知らない。
だからこそ、嘘偽りのない言葉だけが、すんなりと口をついた。
「……オフェリア。私にとっても、お前は唯一友と呼べる存在だ」
「セレーネさん……ええ、当然ですとも。お互いに、生きて再びお会いしましょう」
オフェリアは両手を重ね合わせて、セレーネとの誓いをここに立てる。
「はっはっは! 僕もいるんだがね。ここは麗しき乙女たちの友情に免じて、警備隊長に状況の把握をしてくるよ」
ウィンダムは空気を読むように、そそくさと連携を取りに行った。
そしてセレーネは二人と別れると、騒動の中心となるメインストリートへ急行した。
落下した片印晶から出現したのは、半人半馬の怪物だった。
軌獣・ケイロン。人型の上半身に、馬型の下半身は俊敏に駆け回る。その速度は、蜘蛛の子を散らすような民衆を瞬く間に蹂躙した。
踏みつけ、蹴り上げ、弾き飛ばしながら暴れ狂う。
賢者の名を冠していても、軌獣は理性のない怪物だ。片印晶という情報媒体に記録されただけの存在は、これを守るために周囲の生き物を排除する。それ以外に行動理念は介在せず、禍々しい瞳の輝きだけが存在意義を体現した。
だが、軌獣はその一匹だけではない。
街の方々で、ケルベロスの一党が解き放った軌獣は人々を襲っていた。
見るも禍々しき、人の知らぬ幻想を生きた魔獣群。
これに対抗するのは、ログフレアや士官学校の生徒たち。刻印姫が核となり、周囲の穿士たちに罅隙紋を付与して、軌獣との戦いに挑む。
しかし不意をつかれた戦闘は、あまりにも過酷だった。
ケルベロスたちはわざと、警備の中心に片印晶を投げ込んだのだ。
罅隙紋の力がなければ穿士もただの人間だ。いくら武芸を修めているとはいえ、とっさに対抗するのは至難の業。
刻印姫の力を借り受ける前に、多くの穿士が傷つき倒れていく。
逃げ惑う民衆は、その姿を前に絶望するしかなかった。
否、それだけに済ませられた者は、ある意味幸せだ。
ひとたび喧騒に耳を澄ませば、聞こえて来るは絶叫に混じる怨嗟の嘆き。
ログフレアに対し、この期に及んで中傷を行う民衆の声だ。
『何してるんだ! 早く倒せ!』
『俺たちがどうなっても良いのか!』
『国民を助けるのがログフレアの責任だろ!』
救いを求める声は大きく渦巻き、それは一種の火種として派生する。
逃げ遅れた者は見捨て、自分だけは助かりたいとする利己的思想。そんなものに支配されたテラ王国の中枢は、もはや見るに堪えないものがあった。
「――フィン君。この惨状を目の当たりにしても、彼らを救う価値はあると思うかい?」
屋上で地獄を見届けるケルベロスの首魁は、理想を目指す少年に語りかける。
「……人は、変わる。そう言ったのも、貴方だろ?」
フィンは拳を握り締め、無力な己に歯噛みしながら必死の反抗を示す。
だが、軌獣を前に曝け出されるルナの民の本性を前に、全てを否定しきれない自分がいることに気づかされた。
「彼らの進化は、果たして何百年先になるのだろうね。少なくとも、テラ王国が建国された数千年程度の月日では足りなかったようだ」
「貴方がこんなことをしなければ、彼らだってあんな醜い一面を出すことなんて――」
「醜い。そう、キミでさえそう思うんだよ。その事実は否定できないはずさ」
「それ、は……」
ダスティンの追及に、フィンは反論を持つことができなかった。
「もう手遅れなんだよ、フィン君。そう、全てが遅いんだ。だから、ここで見届けてくれないかな。この国が変革する、そのときを、ね」
「……違う、違う。俺はこんなもの認めない……俺は誰もが笑顔になれるサルターレを、この国に届けるんだ」
それは、きっと今からでも遅くない。
こんなちっぽけな個人が変えられるものなど、たかが知れている。けれど、ここで行動を起こさないのは、全てを諦めることと同じだ。
フィンは不確かな現実を変えるべく、屋上の入り口まで駆け出したとき。
「――な、何だってんだよ、これ!」
少しだけ開いた扉から顔を出すアンナが、愕然とした声を上げていた。
「コーディ! どうしてここに!」
フィンは目を見開いて、手すり越しに大通りを見渡すアンナに近づく。
「あ、兄貴が姉ちゃんに連れてかれるのが見えたから、こっそり列車に乗って――って、そうじゃねぇよ、兄貴! 下がやべぇ騒ぎになってんぞ!」
「そんなこと分かってるって! だから今から軌獣の相手に! というか、こんなところにいたら危ないだろ!」
「何だよ! 兄貴が心配だったんだよ! 悪いか!」
「開き直るな! 悪かったな、心配かけて!」
お互い頭がぐちゃぐちゃに興奮していたので、思わず会話が全力になっていた。
「スラムの子供か。そういえば、フィン君はずいぶん好かれていたね」
「GSSと呼ぶ、らしい。でもあの子……来てしまったの」
二人が騒いでいる間に、ダスティンとニューは顔を見合わせる。
「フィン君がいるのなら、任せて問題はないだろう。それより、ボクたちもこうしてはいられない。早く向かおう。国庫に収納される前にね」
「……ん。分かった。兄様」
ニューはダスティンの腹部に後ろから手を回し、刻印姫の能力を発揮させる。
両足に力を籠め、一挙に跳躍しながら屋根伝いを飛んだ。その方角は、星奉祭のために安置されている星印晶【テラ】がある王立広場だった。
「ちょ、待て待て、コーディ! ダスティンに行かれたぞ!」
彼らが飛び去るのを視界の端に捉え、フィンは慌てた。
「姉ちゃんたち、飛んでったな! ちょっとカッコ良いじゃねぇか!」
「言ってる場合か! 俺は二人を追う! コーディは絶対下に降りるなよ!」
「何だよそれ! オレに兄貴を置いてけってのか!」
「お前に何かあったら、そっちの方が問題だ! とにかくここにいろ! 自分の安全だけ確保してろ! 分かったな!」
「嫌に決まってんだろ! オレだって、兄貴の力になりた――」
喚くアンナは、パッと思考が停止したように口を閉ざす。
なぜなら彼女の小さな身体を、フィンが包むように抱き締めていたからだ。
フィンの胸に顔埋める形となり、アンナの被っていた帽子が脱げ落ちる。
はさりと茶色がかった髪が肩まで流れた。隠れてしまった耳元に、フィンはそっと顔を寄せて囁く。
「……弟が死んで……義妹にまで死なれたら、きっと俺は耐えられない。だから頼む、お前だけは必ず生きるんだ。兄貴のお願い、聞けるよな?」
「……そんな風に、ゆぅなんて……ずりぃ……よ……」
アンナは目元に溢れる涙を堪えながら、ぎゅっとフィンにしがみついた。
彼女にとって、フィンはサルターレ流の師範であり、本当の兄のようだった。そこから向けられる愛情は、家族を知らないアンナにとって初めての温もり。
最後まで我慢できず、子供らしさを取り戻すように泣きじゃくるアンナを、フィンはしばらくの間その胸に納めるのだった。




