月日は止められない
見渡す限りの人々の賑わいは、星奉祭のムードをありありと物語っていた。
王立広場まで続くメインストリートは、星印晶を一目参拝せんとする人々の列が成す。他の土地からの旅人も相当数いるはずだ。乗って来た列車の中でさえ、隣の人と身体が押し合うレベルで満員だった。
この規模では、一石を投じただけでも相当の波紋となるだろう。
無論、セントラルの警備は万全だ。
ログフレアの職員に、ガイアード士官学校の生徒の応援。刻印姫や穿士たちが制服姿で、そこら中に目を光らせて安全を見守っている。
されど内部から派生した膿には、なかなか気づくことはない。
一般客や職員の中に、ケルベロスの一党は影を潜めて紛れている。
起爆寸前の怨嗟の塊が、そこかしこに配置されて、機が熟すのを待ち望むのだ。
「――どうかな、ボクの用意した筋書きは」
「ノン・サルターレ。悪いが、俺の性には合わない」
風の吹き込む、繁華街の一角に建つ建物の屋上。
そこから望む星奉祭の景色を前に、フィンは破滅に向かう兄妹と対峙していた。
「それは残念だよ、フィン君。今を楽しむ余裕を持つことだ。心に余裕がない者も、サルターレとは縁遠い。師範はそう言っていなかったかな?」
ゆったり腕を組みながら、ダスティンは街並みを見下ろす。
「よく理解してるな、サルターレのこと。俺がさぼってるとき、結構やってたのか?」
フィンは手すりに片手を置いて、人々の動きを眺めた。
「師範にはお世話になった、と言ったじゃないか」
「なるほど。じゃあダスティン。貴方には、貴方なりのサルターレがあると?」
「ボクの理想を、サルターレと呼べるほど不遜ではないよ。でもね、行き着くところは同じだと思うんだ。歪んだ統治者たちから人々を解放すれば、そこには真の楽園が待ってる。誰も争わず、傷つかず、泣かない世界。それはサルターレとは違うのかな」
「それまでに何人の人間が死ぬ? タイタンでは、多くが犠牲になったぞ」
「殺戮のつもりは、本当になかったんだよ。ただ、長老に秘宝を持ち出すところを見つかってしまってね。揉み合いになる内に、落として衝撃を与えてしまったんだ」
「秘宝……?」
長老とは、フィンたちとスラムに移り住んだ老人のことだろう。
彼もまた三年前の事件で亡くなっていたが、まさかその死にもダスティンが関わっていたとは夢にも思わなかった。しかし秘宝なる存在を、フィンは知らない。
「今、王立広場では【テラ】が展示されているね。八大国の有する星印晶。これらは強大無比な力を内包しているが、実は九つ目があったことは知られていない」
「九個目の星印晶……それが秘宝」
「カロンの民に伝わる秘宝――【プルート】。星印晶に匹敵する力は、刻印姫を生み出すことも可能だったよ」
「ニューが正規の刻印姫じゃないのは、そういうことだったのか」
「それだけじゃないよ。かつてカロンの民は技術力に優れていたんだ。星印晶から情報を抽出し、それを人体に組み込むことで軌獣の使役を可能としたのさ。超因子の隷属化とボクは呼んでいる。原理は刻印姫が、罅隙紋を穿士に与えられるようなものかな」
「ケルベロスが軌獣を操れる理由ってわけだ」
「稀に、カロンの民の末裔に隔世遺伝することもあるんだ。ヒドラ――彼らも軌獣を操る力を持っていた。ボクの目指す世界の選民となる素養はあったのさ。もっとも、その知能の低さが全てを無駄にしてしまったけれどね」
小さく笑いながら、ダスティンは大手を広げた。
「フィン君。ここに来てくれたということは、ボクに迎え入れられる腹が決まったんだろう? さあ、おいでよ。ボクもニューも、キミを拒みはしないのだから」
「なあ、ダスティン。貴方はなぜそこまで俺に優しくする。俺は初めから、貴方と相容れない存在だと理解してるんだろ?」
眼前の青年に、フィンは首を横に振って呼吸を整える。
「俺も貴方のことは嫌いじゃない。だけど、貴方の思想は認められない。俺がそう答えるのを、頭の良いダスティンが分からないはずなかったよな?」
「人は……変わるものだよ、フィン君」
遠い眼差しをしながら、ダスティンは懐古を口にする。
「ボクはね、五年前に初めてタイタンに足を踏み入れた。商売のためじゃない。その年の前にカロンの民の末裔が、スラムに移り住んだことを知ったからなんだ」
「父さんがサルターレ流で、スラムを変えようとしてた時期か」
「師範がカロンの民の末裔であることはすぐに分かったよ。ボクたちの漆黒の髪と目は特徴的だからね。商人として師範に接触する内に、彼には家族がいることが判明した。それがフィン君とアーウェル君だったわけさ」
ダスティンは唇を噛み締めて双眸を細める。
「キミたちが憎かったよ。ボクたちは家族に恵まれなかったのに、あんな良い父親を持ったフィン君とアーウェル君が恨めしかった」
「……サバーブでさえ、格差はある……か」
「でもね、ボクのその気持ちはあっという間になくなったよ。自分で言うのもなんだけれど、ボクは博識だったからね。アーウェル君はすぐに懐いてくれたし、知識の話に興味を持ってくれたから、いろんな本を与えたよ。師範は言わずもがな。こんな若さで、ニューと行商するボクに特別目をかけてくれた。そして、キミは――」
細めた瞳の奥に、揺れる光があった。
「覚えているかな。一度だけ、ニューがボクの前から消えたことがある。あの頃はボクも商人の仕事でイライラしていて、ニューに辛く当たってしまってね。必死で探したけれど、どこにもいなかった。でもスラム近くの川で、ボクはキミたちを見つけたよ」
「川……釣りしてるときか。そう言えば、半泣きだったニューに、釣りを教えたことがあったな」
稽古をさぼり釣りをするのが日常だったので、記憶の一端として埋もれていた。
しかしフィンにとって取り留めもない一幕も、彼らにとっては歴史的な瞬間だった。
「たった一人の肉親。最愛の妹。それがいなくなるなんて、この身を裂かれるよりも辛かった。後悔したんだ。でもキミの隣で、ニューは笑っていた。ボクはそれだけで……本当に、それだけで救われたのさ。キミたち家族に、ボクの心は洗われたんだよ」
「兄様……」
ニューはダスティンの肩に手を置き、そこに兄の存在を確かめる。
ダスティンは瞼を閉じて、妹の温もりに浸るようだった。
しかしひとときの安息もあっという間に流される。一陣の突風が三人をすり抜けると、目を開いたダスティンは、その眉間に深いしわを刻み込んだ。
「でもボクは、キミたちを引き裂いてしまった。【プルート】から出現した軌獣が、かけがえのない人たちを殺してしまった。そしてキミに、一生消えない傷を残してしまったんだ。カロンの民の末裔に生まれついた憎悪に、囚われるあまりにね」
「……ダスティン」
彼の宿業は、フィンたち家族にあった。
一歩進む道が違えば、きっと良き、本当の友人になれただろうに。
「それでも貴方に、サルターレへの道はなかったのか? 父さんだって、きっとダスティンにそれを望んだはずだ」
「すまないね、フィン君。ボクはもう止まれない。止まってはいけない。そんなことをしても、ボクの大切だった人たちは戻らない。それならもう、今ここに残されているニューが、幸せになれる方法に手を伸ばすしかないじゃないか」
「貴方の行く先にサルターレはない。どうしてそれを理解しようとしない」
「ううん、分かっているよ……けれどもう遅いんだよ。あの日から、何もかも」
ダスティンは懐から、一片の紫の欠片を取り出した。
それが片印晶であることは見た瞬間に分かった。そしてそれをどうするつもりなのか、フィンは理解した上で瞬時に飛び出していたが――
『うわぁあああああああっ!!!』
下界から人々の絶叫が轟くと同時に、ダスティンは片印晶を屋上から放った。




