責任
好々爺は杖をついて、ボロ屋の外に出ていた。
手の届かない距離。遥か頂を眺めるように、ガイアードセントラルを取り巻く外壁を眺めながら、深い念を込めるように独り言を募る。
「……全て、ワシの責任じゃ。すまぬ……すまぬ……」
「ご老体」
セレーネは好々爺の背後につき、その小さな後ろ姿に目を留める。
好々爺はセレーネの気配に気づいていた。しかし口にするのは謝罪の言葉と、セントラルに対し深々と頭を下げる行為だった。
「ワシが悪いんじゃ……お前さんらを、しかと育ててやれんかった……あの少年に出会わなければ、きっとアンナも同じ道を……すまぬ……」
「誰に対して謝っているのですか、ご老体」
セレーネは再び呼びかける。
そこで初めて、好々爺は正面を向いたままこちらに応じた。
「昔、ワシはある兄妹を拾ったんじゃ。年端もいかぬ、幼子らじゃったよ」
意識だけセレーネにやり、好々爺はある昔話に耽る。
「兄妹は傷だらけでのう。特に兄は、全身に痣があった。実の父親からの虐待じゃよ。どこかのサバーブで生まれた男は、夢を見てガイアードに来た。じゃが、非情な現実を知り、欲に溺れるように身売りの女との間に子を儲けた」
「……それが」
セレーネは、ある褐色肌の兄妹の顔が思い浮かんだ。
「しかし母親は病気で早死にし、残された子供らを男は目の敵にした。ろくに食事も与えることもせず、日々の鬱憤を晴らすように理不尽な暴力に晒した。そしてそれも飽きた頃に男は蒸発した。ワシが見つけたとき、兄妹は虫の息じゃったよ」
「……酷い、話だ」
「じゃが、そんなことサバーブでは珍しくもない。救えない命がそこかしこにある。それでも、ワシはこの目に映ってしまった二人に、できる限りの衣食住と教養を与えた」
「コーディの――アンナのように、ですか」
好々爺の偽善的振る舞いでも、救われた命は紛れもなく存在する。
セレーネはすでにアンナと他人同士ではない。可愛い妹のようにさえ思っている。そんな彼女のことを助けた好々爺には、どれだけ感謝してもしきれない。
それでも年老いた者の後悔は、決して先に立つことはなかった。
「じゃが、ワシは一つだけ間違えてしまった。それは兄妹が、カロンの民の末裔であることを話してしまったことじゃ。あの漆黒の髪と吸い込まれるような瞳を見れば一目で分かる。多少、異邦の血が混ざったとて、あれだけは色濃く受け継がれるもの」
「漆黒の髪と瞳……フィン?」
セレーネは好々爺の語る事実と、ピッタリ照らし合う人物の存在に気づく。
「そうじゃ。あの少年もカロンの民の末裔じゃろう。彼はそのことを知らぬのか、知った上であの思想になったのか、それは分からぬ。けれど兄妹は――ダスティンは、自らの境遇に対する復讐の道を選びおった」
「それが、ケルベロス」
セレーネは異様な胸騒ぎとともに、ガイアードセントラルの方角を見やる。
「昨日、久々にあ奴が戻りおった。そして虐げられしカロンの民の末裔として今日、成すべきことを行うと語った。このテラ王国の建国を祝う星奉祭の日に、のう」
「彼は何をするつもりなのですか」
「分からぬ。ワシにはもう、何も分からぬし、それを止める資格もないんじゃ。しかしお前さん、命が惜しいのならセントラルには戻らん方が良い」
好々爺は最後のお節介のように、セレーネに忠告を投げた。
「ルナの民は、主に金色の髪と碧眼を持つ人種。しかしその血が、祖たる王族に近しいほど美しい青髪になるらしいのう。ワシらと違ってな」
「では、貴方もルナの民……いや、何にせよ、それは昔の話だ。一介の家柄に落ち着いたウォルメリア家には関係ない」
「じゃが、ケルベロスの憎しみの対象としては十分すぎるわい。今一度言おう。死にたくなければ、ここで大人しく終末を見届けなさい。それが、お前さんのためじゃよ」
「私のため――……それは違う」
セレーネは己の胸に手を当て、その鼓動を確認しながら凛と構える。
「貴方は辛い現実から逃げているだけだ。誰かを助けるフリをして、良心の呵責を和らげている。そんな今の貴方を、コーディはどう思う?」
「アンナが、ワシを……」
「好々爺。コーディや兄妹を助けた貴方は、弱き者を助ける、それだけのために行動していたはずだ。私はそれを尊敬するし、私の目指す理想の先にある人だ。だからもう目を背けるのはよせ。己の行動を恥じるな。それが他者を助ける者の責任のはずだ」
「責任か……ワシは……それを放棄していたんじゃな」
好々爺は弱々しく、その場に崩れ落ちていく。
その姿に背を向けながら、セレーネはほど近い高架線を見上げた。
「私は行く。救える者があるのなら、これを救うことが私の使命だ」
セレーネは青い発光とともに、刻印姫の力を解放した。
列車を待つ時間が惜しい。セレーネは罅隙紋・鳥で一気に跳躍し、高架線上に上がるとそのまま線路を駆け抜けた。
「……あれぞ、まさしく……月の女神様じゃ」
これを見上げる好々爺は、日差しに輝くその姿に想う。




