家族ゆえに
どれだけこの場所にいたのだろうか。
薄暗い部屋でフィンは手を縛られていた。ぎりぎり横になるスペースがある狭い室内で、雰囲気としては牢屋のようである。
正面に扉があり、背後には少し高い位置に格子の窓。
最初に目が覚めたのは、外から陽の光が差し込み始めた頃合い。
おそらく早朝だろう。しばらく状況を把握して、自分がダスティンに眠らされたことを思い出した。
それからほどなく扉が空き、ニューが食事を持って入ってくる。
彼女は無言でフィンの縄を解き、食事を促した。
こちらが抵抗することを考慮していなかったのか、あるいはフィンが何もしないという確信でもあったのか。
どちらにせよ、事実フィンは無抵抗で朝食のパンを食べ、それから再び縄で縛られる。
あとは定期的に、昼、夜とニューがご飯を持ってくるだけ。
その繰り返しの回数からして、おそらく三日の時が経った。
青空道場を無断で休み、門下生たちは呆れてしまっただろうか。GSSもフィンのことを見捨てたかもしれない。せっかく賑わいを見せてきたのに、一人、また一人と離れていく光景が脳裏を過ぎる。
スラム街の治安向上のために始めたサルターレ流の稽古。継続してもらわなければ、その効果は一気に落ち、再び陰鬱な日々がやって来る。
皆の心から、笑顔は失われるのだ。
これまでフィンが関わった全てに対し、謝罪の念が湧き上がって来る。
「……ほんとに。俺は、どうしようもないな」
フィンはケルベロスを、ダスティンを止められなかったのだ。
意識を失う前、彼が言っていた言葉を反芻する。
キミは家族に会いたい。ボクたちが生きる理由になる――それは、フィンが死にたがっていると解釈したのかもしれない。
たしかに、フィンは何度も死を受け入れる機会があった。
この天涯孤独から解放されるなら、それも良いと頭の片隅で思っていたことも事実。
それゆえに、あの世で待つ家族の下へ、フィンは――
「フィン=サーニタス」
四度目の朝を迎えたとき。
いつものように朝食を持ってきたニューは、久々にフィンへと呼びかけた。
「兄様に従う気になった?」
「……俺は何かも中途半端な人間だ。こんな奴、ダスティンだっていらないだろ」
「アナタはまた……自分を、見失う気?」
ニューは失意に駆られるように、床に座るフィンを見下ろす。
すでに縄は解けているが、フィンはその場で微動だにしなかった。
「本当の俺って、何なんだろうな」
消え入る寸前の自嘲交じりの悔恨。
「俺の言葉はいつも父さんの受け売りだ。以前、俺はこのスラムにサルターレを根づかせるって言ったが、それも結局は父さんの真似。本当に自分がやりたいことなんて、実は一つもないんじゃないかって思えてきた」
「そう。アナタがそこで止まるなら、それもいい。ワタシには関係のないこと」
ニューは冷ややかに突き放す。
フィンから顔を背けながら、ささやかな余分を漏らした。
「でも兄様が認めたアナタは、他の誰でもない。フィン=サーニタスだった」
「どうしてそこまで、ダスティンは俺を気にかける?」
「知らない。気になるなら、直接聞けば良い。兄様が呼んでる」
「そっか……なあ、ニュー」
フィンは、ふっと浮かんだことをそのまま口にした。
「貴女はダスティンが間違っているとは、一度も思ったことないのか?」
「……っ!」
それは、触れてはならない部分だったのかもしれない。
髪を逆立てるかの如く、ニューは理性を欠いてフィンの胸倉を掴んだ。
呼吸を荒く、カッと瞳孔の開いた双眸がフィンを捉える。その鋭い瞳の奥底に浮かぶ黒い輝きには、純粋な怒りとは違った感情が垣間見えた。
「ワタシは……っ、ワタシには、兄様しかいないの! もう誰も家族のいない、アナタにワタシの気持ちは――」
口にしかけた台詞は、彼女の最後の理性に押し留められる。
ニューは手を離し、その場で何度も深呼吸していた。
そのとき、フィンはニューの心根に触れた気がして、目を逸らさず言葉を紡ぐ。
「そうだよな。貴女には、どうしようもないことだ。今のは俺が悪かったよ」
「いえ……ワタシの方こそ、とても酷いことを……」
「気にするな、ただの事実だ。でも今ので、ちょっと頭が冷えてきたかな」
「え……?」
小首を傾げるニューをよそに、フィンは今日の分の朝食に手を伸ばす。
「たしかに、俺の言葉は父さんからの受け売りだ。でも俺の目指すサルターレは、他の誰でもない俺が、この目や耳で感じた果てにある」
フィンはパンを頬張りながら、添えのスープを一気に流し込む。
腹が減っては戦ができぬ。その精神を実行するように、満たされた胃は静止しかけたフィンの頭に刺激を送り出す。
「さっ、行こうか。ダスティンの元に連れてってくれるんだろ?」
「フィン=サーニタス……ええ、案内する」
ニューは頷いて、フィンを部屋から連れ出した。
そのときの彼女の表情に、不安とも取れない翳りが見えたのを、フィンは複雑な想いで受け止めるのだった。




