妹
空がオレンジ色に差し掛かる頃。
スラム駅で降車したフィンの前に、見慣れた顔が待ち構えていた。
「よっ、兄貴!」
「コーディ。どうした? 今日は夕方の稽古は休みにしたはずだけど」
「いやまー、なんだ。せっかく休みなわけだし、たまには兄貴と夕飯でも食べよっかなー、なんて思ったりして家に行ったらよ。兄貴に会いたいって人がいて、連れて来た」
「俺に? またダスティンが、野菜でも届けてくれたのか?」
フィンがきょろきょろ周囲を見渡すと、その人物は近くの物陰から姿を現す。
「……兄様じゃなくて、ごめんなさい」
そこにいたのはニューだった。
仕事に向かう途中だったのか、踊り子衣装に上着を羽織っている。彼女とは訓練場でしか会わないので、こうして街中で顔を合わすのは新鮮だった。
「まったく、兄貴ってば隅に置けないなー。姉貴だけじゃなく、こんな美人とお知り合いなんてよー」
アンナは締まりのない面構えで、フィンの脇腹を肘でつつく。
フィンはアンナの帽子に手を乗せ、ぽんぽん窘めながらニューに向き直った。
「俺に用事って、訓練のことか?」
「いいえ。兄様からの伝言」
端的に答えながら、ニューはちらりとアンナに視線を落とす。
「……あっ、そっか。オレがお邪魔虫ってわけだな。わりーわりー、気づかなかったぜ」
後頭部に手を当てながら、アンナは大人の気遣いを見せる。
するとニューは身を屈めて、フィンの真似をするようにアンナの頭を撫でた。
「案内してくれて、ありがとう。おかげで助かった」
「むうー、二人揃って子供扱いすんなよな。でも良いってことよ。それより、姉ちゃん、いつも兄貴に、野菜持って来てくれる兄ちゃんの妹なのか?」
「ええ。そう」
「あれ、分けてもらうんだが、すごく美味しいってお礼伝えといてくれよ。あと、人参だけ減らしてくれると嬉しいなーって」
「こらこら、コーディ。贅沢言うな」
子供が野菜嫌いなのは仕方ないが、物を頂く立場の台詞ではない。
と、ニューは別段機嫌を悪くするでもなく、アンナに言い聞かせた。
「好き嫌いは駄目。立派に成長できない」
「ちぇっ、残念。でもほんとに、あんがとな。やっぱ、同じスラムの仲間同士、助け合わねぇといけないってもんだぜ」
「……初日に、俺のこと襲った奴の台詞とは思えないな」
「あ、兄貴ぃ、それは言いっこなしだろぉ」
過去の悪行を持ち出されて、アンナはしどろもどろになる。無論、フィンは初めから気にしていないので、しきりに反省する様子を微笑ましく眺めた。
二人のやり取りが面白かったのか、ニューも口端を綻ばせている。
「アナタたち、本当の兄妹みたい」
「ちっちっち! 姉ちゃん、そいつはちげぇな。オレはGSSのリーダーだぜ」
「……GSS?」
「兄貴の腹心って意味だ。それもリーダーだから最高幹部。覚えときな」
「そう。フィン=サーニタスは、こんな子供を使役している、と」
「おいコーディ、変な誤解させるなって」
じーっと半眼を向けてくるニューに、フィンはきっちり訂正しておく。
「GSSは、サルターレ流を学んでる子供たちのことだ。おかしな意味じゃないぞ」
「どちらでも構わない。アナタが犯罪者にならなければ」
ニューのそれは冗談か本気か、よく読み取れなかった。
アンナは手を振って、フィンとニューにお別れを告げる。
「んじゃ、オレはそろそろ行くわ。今日もじっちゃんと食べてやっか」
「さようなら。好々爺に、よろしく伝えておいて」
「おう、姉ちゃん。じっちゃんにも紹介しとくわ。……って、もう知ってんなら、紹介する必要はねえか。でもオレ、そんなこと話したっけかな」
「ニューを連れて来てくれてありがとう、コーディ。気をつけて帰れよ」
「おう。そーゆう兄貴は、朝帰りでも良いんだぜ。いひひっ」
「おま、馬鹿――どこでそんな知識、仕入れてくるんだか」
ませガキを晒すアンナを見送り、フィンはようやくニューと本題に入る。
二人はスラム駅を離れた路地裏に移動した。夕闇の忍び寄る薄暗さは、子供の頃から慣れない肌寒さを感じさせる。
「それで、ダスティンの伝言って?」
「訓練はもう終わり。頃合いだから、ケルベロスに会わせたい。そう言ってた」
「なるほど……それは都合が良い。俺もそろそろ、話し合いたいと思ってたとこだ」
「時刻は今夜。酒場での仕事が済んだら、ワタシが迎えに行く」
「手間かけさせて悪い。でもダスティンは?」
「兄様は、ケルベロスのアジトで待つ。伝言は、これで終わり」
ニューは粛々と要件を伝え終えた。
あとは夜が更けるまで待つだけだが、去り際にニューからひょんなことを言われる。
「ケルベロスとの戦闘になれば、ワタシは手を貸せない。窮地になっても、アナタはそのまま死を待つだけ」
「覚悟の上だよ。だいたい、俺に手を貸せば二人の立場が危なくなる。万が一のことがあっても、俺のことは見捨ててくれて良い」
フィンの決心は、すでに揺るぎないものとしてここにある。
誰が止めても、それを実行しない選択肢はなかった。
「フィン=サーニタス。アナタは、怖くないの?」
「そりゃ怖いが、サルターレのために悠長なこと言ってられん。それに俺の父さんだって、タイタンじゃたった一人で、二大マフィアに話つけに行ったんだ。それぐらいのことできなきゃ、俺にサルターレ流の師範を名乗る資格はないよ」
「……そう」
「もしかして、心配してくれるのか?」
「いいえ。ワタシは常に兄様の味方。アナタがどうなろうと関係ない。けれど――」
否定から入るニューの心根は、僅かばかりフィンにも伸びていた。
「兄様のために行動するなら、ワタシはアナタの味方をしても良い」
「ダスティンも良い妹を持って果報者だな。うん、心がけとくよ」
兄想いのニューとは、いったんここで別れる。
フィンは一度長屋まで戻り、夕食を済ませてから出発まで待機した。




