セントラルの歩き方
軌獣討伐から数日後、フィンの姿はガイア―ドセントラル駅の構内にあった。
従来、サバーブの住人がこの場に立つことはない。高価なセントラルパスの購入に加えて、出入の際に身分証の提示が義務づけられている。出自が不詳の者は、入り口で門前払いはおろか、治安保全局に強制連行されてしまうのだ。
スラム育ちのフィンは、当然そのようなものを持ち合わせていない。
しかし代わりに、出入取締官が委縮する存在が隣にあった。
「どうぞ、お通りください、ウォルメリア様」
「……その呼び方、そろそろ改めてもらいたいが」
セレーネのおかげで、フィンはすんなり駅を出ることができた。
どうやらウォルメリア家は、ガイアードでも有数の家柄らしい。しかもセレーネの父親が治安保全局の前局長だったので、その威光は十分な効果を持つようだ。
セントラル内において、フィンはセレーネの従者という立ち位置らしい。
「俺も街中じゃ、セレーネ様って呼んだ方が良い?」
「からかわないでくれ。君にそんな接し方をされると……困る」
「はは、悪かった。それで俺がセントラルに来た理由って」
「前日、話した通りだ。サルターレ流の講習をしてもらいたい」
それはセレーネからの提案だった。
スラムを掃除した男の息子――その噂は、セントラルでも広まっていた。
サルターレ流のポスターの反響もあり、街の公園ではこれを真似する者が増えたという。
そこでセレーネが声かけして、門下生の志願者を募ってくれたのだ。
稽古は午後からを予定しており、現在はまだ昼前。時間に余裕があるので、セレーネが気を利かせて、セントラルの街並みを案内してくれることになった。
いざ街に入ろうとしたとき、ふとしてフィンはログフレアの制服を着た人々が、ぞろぞろと構内に入って来るのを目撃する。
やけに物々しい雰囲気を気にかけていると、その理由をセレーネが答えてくれた。
「先日、郊外の森でスラムの組織の一党が発見された」
「え? もしかして、ケルベロス?」
「いや。ケルベロスと利害関係にあったヒドラという組織らしいが、その構成員が森で意識を失って倒れていたそうだ。聴取を試みたようだが、何かとてつもなく恐ろしいものを見たように、うわ言を繰り返すばかりだったという。組織同士の抗争があったのかもしれないので、ログフレアも警戒態勢に入っているようだ」
「ふーん。それにしては、死人が出てないのも変な気はするけど」
スラムで暮らした経験則において、マフィア同士の抗争ともなれば、死体の山が積みあがるのが自然だ。
引っかかる点は残るが、フィンはそれよりも気になることがあった。
ちらとセレーネの顔を見ると、そこにはたしかな翳りが見えた。
「……刻限まで残り二週間か」
「スラムの治安向上は一か月って期限付きだっけ。東地区だけなら、けっこう顔見知りも増えて良い雰囲気だけど」
「課題の対象はスラム全域だ。ケルベロスが蔓延っている限り、それが厳しいことに変わりはない」
「んー、それなら、そろそろケルベロスに直談判でも行く時期か」
フィンはあっけからんと口にする。
ダスティンとニューのおかげで、護身の動きはそこそこ身につけられた。刻印姫がいなくても、軌獣への対抗手段はいくつか用意できたつもりである。
「フィン、それは――」
セレーネはフィンの身を案じる視線を向けて、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「少し……歩いても構わないか?」
「もちろん」
フィンは静かに付き合った。
石畳の街並みは、荘厳として華やかなムードに包まれている。
全ての建物に煉瓦や漆喰が用いられ、吹き抜けの入る隙間もない。街頭に街路樹が舗装された道路を林立し、ゴミ一つない綺麗なストリートが演出されている。
その中でも特に目立ったのは、煌びやかな装飾だ。
月を描いた幕や、色鮮やかな花々が景色を彩っている。頭上には団子飾りが川のように、長い紐でいくつも吊るされていた。
物珍しさにフィンが目移りしていると、セレーネが飾り付けの意味を語ってくれた。
「来週〝星奉祭〟が行われる。これらはその飾りだ」
「それは、何?」
「年に一度の祭りだ。テラ王国の繁栄を記念し、人々はそれを祝う。その際、王立広場に安置される星印晶【テラ】を参拝するのが習わしだ」
「星印晶か。それなら、そのとき刻印の儀をやるのか?」
「参拝と儀式は別だ。士官学校に入る際に、国庫まで連れて行かれて洗礼を浴びる」
「へえ。じゃあセレーネもそうやって?」
「いや……私は十歳のとき、父に連れられて刻印の儀を受けた」
セレーネは当時を思い返しながら、小さく拳を握り締めた。
「世襲の基本は男児。女児が生まれた場合、貴族間の風評は芳しくないものとなる。それを払拭する意味も込めて、年端を超えた貴族の娘は洗礼の儀を受けなければならない。それが権力の誇示に繋がると思われてきたからだ」
「セレーネは自分の意志で、刻印姫になったわけじゃないのか?」
時代錯誤な貴族の風習。それがセレーネの人生を歪めているのなら、フィンとしては非常に居た堪れない気持ちになる。
そんな中、歩を進めると分かれ道に差し掛かった。
右手側が繁華街で、左手側が士官学校に続いていた。
セレーネはそこを左に曲がりながら、首を振って否定する。
「誤解はしないでくれ。私は母のような刻印姫に憧れていた。若くして退役することにはなったが、母も父と同じように人々のために尽くしていたんだ」
「セレーネの両親は、どちらも立派な人だったんだな。でも若くしてって?」
「刻印姫の任務は過酷だ。軌獣討伐の度に、母は大きな傷を負ったという。それが元となって、まだ身体が正常な内に父と婚姻して家庭に入った」
「穿士の傷ついた罅隙紋が、刻印姫に戻るってやつか」
「……そうだな」
フィンがその事実を知っていたことに、セレーネは目を伏して頷く。
そして薄暗い思考が過ぎったように、彼女はぽつりと口にした。
「私が誰にも罅隙紋を付与しないのは、それが恐ろしいからだと君も思うか?」
「ん? 別にそんなこと、考えたこともなかったが」
「そうか。私はそう思われても仕方ないと考えていた」
「何だよ、それ。俺はセレーネが、痛みを怖がる人間じゃないって知ってる。それとも誰かに、そんなこと言われたのか?」
問いかけると、セレーネは髪に手を当てて遠くを見やる。
いつしかそこは、市街地を外れた士官学校の所有地周辺だった。鉄柵で四方を囲われた広大な土地には、グラウンドや校舎、それにホールや宿舎が遠く浮かぶ。
「……周りの人間には、私をそう認識している者が多い」
「それって、学校の?」
「他人が私を疎遠する程度なら、いくらでも許容できる。だが、私が認めることができないのは、この噂を利用して私を退学に追い込もうとする親戚連中だ」
「身内が貴女を貶めてるって?」
意外な関係性を持ち出され、フィンは首を傾げる。
不意に、一陣の風がセレーネの青いポニーテールを揺らして、この場をすり抜けた。
「いつもの癖で学校に来てしまったな。そろそろ昼時だ。道を戻ろう」
「ああ……」
その場で踵を返すセレーネにフィンは続いた。




