烙印
「人見知りの妹ですまないね」
「いやいや。ニュー、怖がらせたのなら悪いな」
「……別に。怖くはなかった」
「うん、ニューも相手がフィン君だから、いつもより問題なさそうだね。さて、夜が更ける前に、早いところ済ませてしまおうかな」
ダスティンはこの場を仕切るように、フィンとニューを正面に据えた。
「転写の話はさっきしたね。八大国の有する星印晶のみ行える、『刻印の儀』というものがある。刻印姫の名の由来は、烙印――元来、彼女たちは奴隷として、戦闘の道具に駆り出されていたのさ」
「嫌な響きだな、それ」
「星印晶の輝きは、人体に直接情報を刻み込む。近年では軌獣との戦いに赴くために、率先して力を宿すようだけれどね。――ニュー、見せてあげるんだ」
「ん。分かった、兄様」
ニューは、こくん、と首を前に傾ける。
瞼を閉じて、念を集中するように意識を張り巡らせた。
途端、ニューの総身を、ぽーっとした淡い光が包み始める。
どこか暗さを秘める紫色の発光とともに、ニューの背中に生じる異変。
ピシッ、とまるで亀裂でも入ったような光の筋が、幾何学的な紋様として浮かび上がるではないか。
「星印晶の洗礼をその身に浴びた彼女たちは、肉体に〝罅隙紋〟を内包するんだよ。そして八種類の能力を持ち、罅隙紋を他者に刻むことで穿士を作る」
「ニューは、刻印姫だったのか」
刻印姫であれば、ニューが戦う力を持つということにも合点がいく。
だとすれば、ニューは自らの意思で刻印姫となったのだろうか。しかし、一介のサバーブの商人に過ぎない兄妹が、なぜ――
「ところでフィン君。人はなぜ空を飛べないのか分かるかな?」
「は? 藪から棒すぎないか、ダスティン。……んー、まあ翼がないから、じゃないか」
意図の不明な質問に、フィンは怪訝に答える。
「残念、不正解」
ダスティンは、すかさず解答を用意した。
「この世界には座標があるんだよ。空にも、海にも、大地の至るところにもね」
「地図とかにあるやつか?」
「認識はそんなもので構わないよ。ただし基点を持たない者は、その座標に到達することができないのさ。空間固定できる居場所がない、とも置き換えられる」
「つまり地図で言えば、黒丸のことか」
「そうだね、理解が早くて助かるよ。黒丸は地図上のどこでも移動できる。その理論を体現しているのが、〝軌道の獣〟である軌獣なんだ。軌獣がこの世界という座標の、どこにでも顕現できるのは、そういった原理になっている」
「むう、急に複雑な話になってきたな」
「難しく捉えることはないよ。要するに基点さえ有していれば、人間が本来出しえない身体動作が可能となるんだ。その基点のことを、人は『超因子』と名づけた」
「超因子……セレーネが言ってたやつか」
彼女がフィンの八点超駆をそう評価した意味に、点と線が繋がる感覚があった。
ダスティンは、ニューに目配せする。
呼応するように、全身から立ち昇る紫炎のような揺らめき。ニューが軽く膝を曲げた次の瞬間、彼女の身体は地上から姿を消した。
ハッと上空を見上げる。
そこには、星月夜の夜闇を背景に、麗しき天女が描き出されていた。
「罅隙紋・鳥。ジャンプラインとも呼ばれる、能力の一つだよ」
鳥という表現そのままに、ニューはしばらく空に対空している。
されど、重力の影響は受けるようだ。次第に自由落下するニューは、速度を上げて地面に着地する。その様は、以前に見たセレーネと同じだった。
「ニュー」
ダスティンが名を呼ぶと、こくりと頷いたニューがセクトに近づく。
「じっとしていて」
「あ、ああ」
よく分からずフィンが待機していたとき。
おもむろに、ダスティンは懐からナイフを取り出した。異様な形状だった。三本を一組にして、ベルトのリールからワイヤーで繋がっている。
ダスティンはこれを、勢いよくフィンに投げつけた。
「何を……っ!」
フィンは目を見開き、とっさに回避行動を行う。
しかしいつの間にかニューが、フィンを羽交い絞めにしていた。少女の体躯に似つかわしくない馬鹿力で、背後から密着しガッチリとその場に固定する。そのためか、背中に尋常ならざる熱量を感じた。
フィンが驚く間もなく、三本のナイフがフィンの胸板に突き刺さった。
「いッ――たく、ない?」
切っ先がフィンを貫こうとしたとき、それは勢いよく弾かれて金属音を鳴らした。
「罅隙紋・像は鉄壁の守りを敷く、ディフェンドラインさ。今、フィン君の身体に付与させてもらったよ」
ワイヤーを引き戻し、ダスティンはナイフを回収する。
「驚かすなよ。本気で殺されるかと思ったぞ」
「口で説明するより、実際に体感してもらった方が早いからね」
「まったく、人が悪いな……それとニュー、そろそろ離れてもらっても良いか?」
「ええ」
ニューは何食わぬ顔で、フィンから距離を置く。
本人は意識していなかったかもしれないが、フィンの背中に得も言われぬ感触が直に伝わって、いかんともしがたい気分にさせられた。
「ちなみに、フィン君。背中が熱くなったのは感じたかい?」
「ダ、ダスティン、話を掘り返さないでくれ」
「うん? ボクは罅隙紋の話をしているのだけれど、他のことに思考を奪われていたかな」
「いやそれは違うというか……否定はできないというか……」
「なるほど。いきなりナイフを投げたことについて怒っているのだとすれば、すまなかったね。こういった恐怖と向き合うこともまた、ケルベロスと会う際に必要だと思って」
特にからかうわけではなく、ダスティンは純粋な考察をする素振りで、大真面目に天然を発揮していた。
「フィン=サーニタス、何を考えていたの」
そしてニューからは、ジトッとした視線が飛んでくる。
フィンがいたたまれない気分になったところで、ダスティンは話題を戻した。
「さて。ニュー、残りも見せてあげてくれ」
ダスティンはそう言って、一通りの能力をニューに披露させた。
合わせて六つほど見せてもらってから、フィンはその能力がある事実と、共通する点を有していたことに気づく。
「ジャンプラインの鳥、ディフェンドラインの象、フィジカルラインの犬、ストレートラインの猪、オフェンスラインの獅子、スピードラインの馬……なあ、ダスティン。俺の気のせいじゃなければ、罅隙紋の力って」
「うん、サルターレ流の八つの動作に酷似しているね」
ダスティンは初めから、異なる二つの力に類似性があることを知っていたようだ。
フィンは未だに信じられなかったが、ダスティンは事も無げに説明する。
「本来、サルターレ流は実践武術だったはずだよ。師範がそれを健康武術に変化させたけれど、その本質は対軌獣用の技術だったということだね」
「父さんは一度も言わなかったな、そんなこと」
戦いの技術を、後世に伝えたくなかったからかもしれない。
「ひとまず、刻印姫の能力はこんなところかな」
「八つの能力って言ってなかったっけ。あと二つあるんじゃないか?」
「残りの二つは、少し特殊でね。一つはフルラインの女王。これは刻印姫の固有する基本罅隙紋で、他者への譲渡は不可能なんだ。あと龍に関しては、その内教える機会があるかもしれないけれど、今は必要のないものかな」
「女王と龍か。〝龍の動き〟はサルターレ流にもあるけど、女王の方は〝王の動き〟に置き換わってるな」
「男は刻印姫になれないからね。多少の差異だと思うよ」
「へえ。ちなみに、どうして男は無理なんだ?」
「男が星印晶の洗礼を浴びると拒絶反応が起きて、そのまま廃人になるらしい。罅隙紋に肉体が耐え切れず、五体がバラバラになった事例もあるそうだ」
「恐いな、それ」
刻印姫に女性しかなれない理由が、末恐ろしさとともに理解できた。
ダスティンはパンと手を叩き、この場を締める。
「罅隙紋をフィン君に付与するのは次回にしよう。今日はもう遅いからね」
「ああ……でもダスティン。仮に俺が穿士の力を使いこなしたところで、刻印姫が傍にいなかったら護身も何もないと思うんだが」
「罅隙紋は、超因子というきっかけを与えるだけだよ。元来、人間は安全なパフォーマンスしか引き出せないように脳が制御している。けれど常人離れした八点超駆を極めたキミは、生身で穿士に迫れる可能性があるとボクは見立てている」
「いくら何でも、サルターレ流で空は飛べないが」
「空は飛ばなくたって良いのさ。いざというときの抑止力さえ秘めていれば、キミの身の安全は堅いものとなる。――たとえ、身の丈を超えた力を行使せずともね」
「…………奥義」
意識せず、フィンはそんな言葉を呟いていた。
何はともあれダスティンの言う通り、フィンが鍛える理由はケルベロスと話し合うため。
万が一、軌獣と戦闘になった際、対抗できればそれで良い。
かつて父が、命を賭して人々を守ったような力などなくても――
「……っ」
解散の時刻を迎えたとき、フィンはニューの様子に違和を覚えた。
「ニュー、どうした? ずいぶん、身体の動きがぎこちないが」
「……気にしないで。ワタシの問題」
ニューは片手で制し、フィンの介入を拒むようだった。
しかしフィンは、彼女の体調が気がかりだ。額からは汗が滲み出ており、時折硬直したような筋肉の異変が見て取れる。
その様子はまるで、以前セレーネが引き起こしていた症状のようだ。
「なあ、ニュー。もしかして、刻印姫の力には何か代償があるんじゃないか?」
「アナタには……関係ない」
取り付く島のないニューは、ランタンの後始末をしていたダスティンに呼びかける。
「行こう、兄様」
「うん、戻ろうか。フィン君もそれで良いね」
「俺は構わないんだが……」
彼女が気がかりだったので、余計かもしれないがフィンはお節介をかけておく。
「ニュー、帰ったら身体を柔らかくしてから寝た方が良い。前に貴女みたいになった子も、それで少し楽になったって言ってくれたから」
「……フィン=サーニタス」
ニューはやや複雑そうな表情で、フィンから視線を逸らしていた。
途中まで帰路を兄妹と共にし、スラム駅でフィンは二人と別れる。
去り際、兄妹の足がスラムの西区画方面に向けられる。
その場では何も言わなかったが、フィンは胸騒ぎのようなざわめきを覚えるのだった。




