星月夜の踊り子
半月が空に浮かぶ星月夜。
首都ガイアードへと続く線路沿いを、ランプ片手にフィンとダスティンは歩いていた。
列車の運用が本格的に始まった十数年来、街道の利用率は大幅に減った。
都市間の交通の発達は、荷物の運搬も手軽に行えるようになり、馬車や行商の姿はめっきり見ない。かつては野盗に襲われる事件も多発し、安全面が向上したと考えれば、文明の発展は人類の英知の賜物なのだろう。
もっとも、その見返りが大きいのはセントラルの住民だ。
金のないサバーブの人間にとって、これまでの商売が衰退し、土地開発によって村々が潰される被害の影響は計り知れない。列車の運賃も考えれば、いくら路線が増えても利用する機会はほとんどなかった。
「――知っているかい、フィン君。列車や線路の技術には、片印晶が使われているって」
目的地までの道中、ダスティンが何気ない会話を始める。
線路以外には、平原ばかりの広がるガイアード平野。
遠くに鬱蒼とした森林区域が望める以外は、山脈の尾根すら付近には存在しない。他に目につくものと言えば、放牧された馬や森林湖から流れる河川ぐらい。暇を持て余すには十分すぎる景色だ。
「さあ。俺はそっち方面、疎いから」
「技術の進歩は、これから切っても切り離せない分野だからね。少しぐらい知っておいても損はないと思うよ」
「サバーブの人間に関わる機会があればな」
「フィン君は昔から淡泊なところがあるよね。キミがサルターレ流の師範になっていたことも、ボクからしたら結構な驚きなんだ」
「……まあ、これを伝えられるのが、もう俺しかいないから」
すでに見知った肉親のいない天涯孤独の身。母親も幼い頃に死別しているフィンにとって、サルターレ流の本筋を継承できるのは自分しかいないのだ。
常にサルターレの精神を忘れるな――父の最後の願いが、フィンの脳裏には昨日のことのように蘇る。
「すまない、辛いことを思い出させてしまったね。話を戻そう」
ダスティンは声のトーンを落とし、じっとランプの灯火の揺らめきを見つめた。
「よく人の叡智は火と形容されるけれど、宇宙を巡る虚空廻印晶には、ボクたちの知らないあらゆる知識が詰まっているはずなのさ。例えばそう、よその銀河系に行けばボクたちの暮らす、この惑星以外にも、知的生命体が存在するといったね」
「宇宙か。考えたこともなかったな。でも軌獣って、地球外生命体の複製、なんて話は聞いたことがある」
「おそらくそうなんだろうね。あんな怪物、この地上にはいないもの」
「つまりダスティンは、片印晶には軌獣以外も記録されているって言いたいのか?」
「実際されているはずなんだよ。技術とか、知識とか、生態系とか。今の人類には、まだまだ全容を解明できないけれどね」
宇宙の創世記からを記録した星の媒体。
話のスケールが壮大すぎて、フィンとしては現実味が薄かった。
それでも、一昔前までは列車という乗り物すら存在しなかったことも事実である。
「ふふっ、フィン君にはつまらない話だったかな」
悪戯っぽく、ダスティンは苦笑する。
年齢的に言えば、彼は十七歳のフィンの三つか四つ年上だ。それでも時折見せる無邪気さは、どことなく子供らしさが感じられる。
「そんなことはないけど、ちょっと理解は難しいかも」
「全てを識る必要はないよ。ただね、虚空廻印晶の情報を記録するという性質には、情報を転写するというものがあるんだ。それが――うん、このあとの訓練に繋がるのさ」
「俺に教えたい護身術とやらに?」
「そうだよ。さっ、あの森に妹を待たせているから、早く向かおう」
時間を惜しむように、ダスティンはやや早歩きになった。
妹を夜の森に一人で置くのは些か不用心に思える。だが、それが事実なら待たせるのは悪いので、フィンも足早々にダスティンと森林区域に急いだ。
静謐とした空気に伝播する、小動物のざわめき。
虫の音の間隙を縫って、焦燥とした足音が周囲一帯を地鳴らす。野鳥のはばたきが木々のしなりを唸らせ、舞い落ちる葉がフィンの頬に一枚張りついた。
「んー、森を怖がらせたかな」
「そうだね。動植物には申し訳ないけれど、しばしこの場を拝借させてもらうよ」
フィンとダスティンは、深緑の合間の開けた空間に到着した。
ダスティンは何度か訪れたらしく、自然にありながら土地は整備されている。といっても落ち葉や枝を取り除いた程度で、近くの大木の枝にランタンがかかっていた。
森の訓練場では、すでに一人の人物が身体を動かしている。
「――ふっ、はっ」
小刻みに呼吸をし、まるで舞踊のような体捌きを行う少女がいた。
星灯りを吸い込む漆黒の長髪が、可憐な身のこなしとともに宙を舞う。胸元と腰回りだけを覆う肌面積の広い服には、ひらひらと布地がそよいでいた。
光る汗を弾き、ランタンの輝きに映される褐色肌。
遠めに見ても麗しい美貌で、蝶のようにダンスに勤しんでいた。
「……っ」
ある瞬間、ぴたりと片足立ちで止まる少女。
二人の気配に気づいて、静かに起立の姿勢を取った。
「兄様」
「待たせたね、ニュー」
ダスティンは妹のニューに、軽く手を振った。
ニューはほんの少し微笑んでから、視線を隣のフィンに向ける。その瞬間、どことなく不安そうな翳りが滲み出た。
「……アナタが、フィン=サーニタス。サルターレ流の師範」
「やあ、久しぶり。ダスティンから聞いてると思うけど、俺のこと覚えてる?」
なるべく警戒心を抱かさないよう、フィンはゆっくりと挨拶してみる。
しかしニューは、儚げな佇まいで両肩を抱いた。
「……あまり見ないで。練習中だったから」
「えっ――わ、悪い! すごく綺麗だったから、気が利かなかったよ」
慌ててフィンはニューから視線を外した。
たしかに、踊り子の衣装は露出が多く刺激的である。特に豊かな胸元は、ついつい視線が吸い寄せられそうだ。
「……もう大丈夫」
ニューは近くに落ちていた羽織を着込み、フィンに合図する。
先ほどまでの幻想的な少女の面影はなくなり、そこには半歩ほど下がり気味の、昔の印象そのままの彼女があった。




