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数奇な再会

 フィンはブラックマーケットを訪れていた。

 好々爺によれば、ケルベロスと接点を持つ人物がここにいるという。まずはその者に、組織とのコンタクトを取ってもらえと教えられた。


 さすがに直接アジトに出向くのは、敵対行為そのものとして止められてしまった。

 最終的に話し合いの場を設けるにしても、まずは外堀から埋めていく。

 こちらが僅かでも害があると判断されれば、その場で処分は免れないからだ。


 その提案に、セレーネは最後まで渋い様子だった。

 仲介人との接触にも、セントラル住まいの彼女は連れて行けない。

 同じサバーブ出身者でなければ、相手も警戒するからだ。


 それがどうしても心配の種として、セレーネは終始不服そうだった。

 けれど、結局は折れてくれる形に留まり、セレーネとは好々爺の家で別れた。


『――もし命の危険を感じたら、すぐにセントラルに逃げ込んでくれ。私がこの身に代えても君を守ると約束する』


 最後には、そんな約束を取りつけてくれた。その台詞が決して大袈裟でないことを、しかと胸に刻みながらフィンは目的の人物を探す。

 好々爺が言うには、これから会いに行く相手は台車引きで、問屋稼業が専門らしい。

 昼前のこの時間なら、いつも野菜市に顔を出すという。


 フィンは高架線に沿って、人々の犇めきの間を縫って歩いた。

 商売人の活気は、やはりスラムにあっても賑わっている。

 強引な客引きなどは見当たらない。だが商品の大半は、セントラルの廃棄品を安く譲ってもらったものや、旅人などからの盗品である。

 サバーブに法はない。改めてそのことを実感しながら、フィンは八百屋に辿り着いた。


「――どうぞ、いつもの品です」


 ちょうど良いタイミングで、問屋からの引き渡しが行われていた。

 スラムでは珍しい、馬に引かせた大きな台車には、野菜ばかりでなく様々な商品が乗せられていた。八百屋の主人は愛想の良い笑顔で、商品を受け取って代金を手渡す。

 フィンが、そのやり取りをしていた人物に目を向けたとき――


「ダスティン?」


「おや? 誰かな、ボクの名前を呼ぶのは」


 儚げに向けられる、穏やかな眼差し。

 そこにあるのは、極めて眉目秀麗な容姿を持つ、褐色肌の青年だった。

 色濃い黒髪黒目の長身痩躯で、人当たりの良い雰囲気。鼓膜を優しく包むような声質も相まって、その存在はスラム街にはあまりにも不釣り合いだ。


 そしてそんな人物を、フィンはかつて一人だけ知っている。


「キミは……もしかして、フィン君かな」


 ダスティン=ウェークフィールド。三年前まで、よくタイタンのスラムに品物を届けてくれた行商である。


「やっぱり、ダスティン! 久しぶり、元気だったか?」


「サルターレ。うん、無病息災でやらせてもらってるよ」


「はは、サルターレ流のことも覚えてくれてたんだな」


「忘れるわけないよ。ボクも師範には、とてもお世話になったからね」


 三年ぶりの再会だったが、滑り出しは順調だった。


「少し待っていてくれないかな。台車を移動させるよ」


 ダスティンは馬の背を撫で、手綱を持って先導しながら台車を引かせる。

 フィンも後ろからそれに着いた。移動先は闇市を少し外れた小道。ダスティンはそこに馬を停止させると、荷台から取り出した人参を馬の餌にあげる。


「さて、本当に久しぶりだね、フィン君。どうしてこの街にいるんだい?」


「それはこっちの台詞だって。あの日を最後に、すっかり顔見せなくなったから、もしかしたら軌獣(オービスト)にやられたのかと思ってた」


 犠牲者を全て把握しているわけではないので、フィンは三年前の事件に、ダスティンも巻き込まれてしまったのかと心配していた。

 ダスティンはふっと頬を緩め、台車に背を預けながら空を見上げる。


「悪かったね、フィン君。あの事件以来、タイタン周辺で上手く商売が立ち行かなくなってしまってね。本拠を変えざるを得なくなってしまったんだよ。まだ師範とアーウェル君のお墓参りができていないことは、今でも心残りに思っている」


「ダスティンが謝る必要はない。サバーブじゃ、誰だって生きるのに必死だ。それに貴方にはたしか、妹がいたはずじゃなかったか?」


「うん、ニューも元気にしているよ。たまに酒場の踊り子で稼いでいてね」


「踊り子? へえ、意外だ。引っ込み思案だった記憶があるけど」


「ふふ、そうだね。いつもボクの後ろで泣いてた頃が懐かしい。けれど時間は経つものさ。ボクもニューも、それにキミだって。三年の月日は人を変える」


「それはそうだ。……それでさ、ダスティン」


 話題が落ち着いた頃を見計らい、フィンは俯き加減に切り出す。


「俺は今、このガイアードスラムのためにサルターレ流を普及させてるんだ」


「街でポスターを見かけたよ。あれはやはり、フィン君の仕業だったんだね」


「人々の健康のためにやってることだが、この街にはケルベロスっていう妙な連中がいるらしい。そいつらにとって、俺の活動は目障りになるかもしれないようだ」


「スラムにゴロツキはつきものだよ。彼らは不安定という安定を求めたがるのさ」


「なあ、ダスティン。貴方は……ケルベロスと、取引してるんだろ?」


「……」


 ダスティンは無言で、荷台から背を離した。

 タイタンにいた頃から、ダスティンは商売相手を選ばなかった。生きるために、非合法な商品を取り扱うこともあり、フィンもそれを純粋悪だとは思わない。


 ただ、貴重な取引対象として、ダスティンがケルベロスと懇意にしている事実。

 それがフィンにとって、否応ない裏社会の現実を突きつけられる気分だった。


「……片印晶(アカシックプリズム)を少し、ケルベロスに卸しているよ」


 ダスティンは荷台の木箱を僅かに開き、その内部の煌めきをフィンに見せる。

 フィンは表情を曇らせながらダスティンに訊いた。


「軌獣(オービスト)の処理はしてあるのか?」


「もちろん。どれも一度は倒されているよ。再復活まで一年は堅いはずさ」


「一週間前、未処理の片印晶(アカシックプリズム)の騒ぎがあったことは?」


「あれはボクの商品じゃないよ。安全面の配慮は決して怠らない」


「それでも万が一――いや、悪い。商売のことに口を出す気はないんだ」


 直前に好々爺から聞かされた話もあり、フィンは軌獣に関して神経が尖っていた。

 つい咎める調子になっていたことを、フィンは反省する。


「フィン君。何かボクに、用事があるんじゃないのかな?」


 そんな折、ダスティンから放たれる、安心感を含んだ問いかけ。

 心地良い響きに、フィンは昂っていた気が収まっていくのを感じた。ダスティンの黒い瞳に見つめられると、力が抜けるような安らぎが満ちてくる。


「ああ、実は……」


 いつしかフィンは、ガイアードを訪れた目的をダスティンに打ち明けていた。


 事情を聞き終えたダスティンは、ふとして荷台から何かを取り出した。


「昼食はまだのはずだね。まずはこれをどうぞ」


 ダスティンは紙袋に入ったパンを手渡してくる。

 唖然としてフィンは受け取るが、すぐに首を横に振った。


「気持ちはありがたいけど、あんまり持ち合わせが……」


「再会の印さ。それに東の居住区に住んでいるんだよね。それなら数日おきに、野菜でも差し入れするよ。余ったら子供たちにあげれば良いからね」


「……どうしてだ? ダスティンにそこまでしてもらう義理はないが」


「人の縁は数奇なものだよ、フィン君。例えば、他人に与えた恩が、自分に返るとかね」


「無償の愛か。よくタイタンの牧師が言ってたが、俺には分からんかったな」


「なに、久々に知人と会えたボクの嘘偽りない気持ちだよ」


 心なしか、嬉しそうに言うダスティン。

 フィンに渡した紙袋からパンを一つ抜き出し、これを自分の口に頬張った。


「失礼。ボクの昼飯も兼ねているのを忘れていたよ。うっかりしていたね」


「なんだよ、それ……まったく、少し天然っぽいところは変わらないな」


 フィンは愉快な気分になりながら、ダスティンと一緒にパンを食べた。

 ほんのりバターの効いた素朴な味わい。見知った顔と食べるそれは、ここ一週間の内に一人で済ませていた、どのご飯よりも美味しく思えた。


「ケルベロスに会わせてあげても構わないよ」


「ほんとか、ダスティン?」


 食後、少し間を置いてからダスティンから提案を受ける。


「ただし、条件があってね。フィン君には、護身術を身に着けてもらいたい」


「護身? これでも、今はサルターレ流の師範を務めてるが」


「そうらしいね。しかし師範は――キミのお父さんは、武の心得があったけれど、キミにはない。違ったかな?」


「それは、まあ。父さんが爺ちゃんに教わったのは本格的な武術だったけど、自分の代で健康武術に方針転換したからな」


「うん。だからフィン君には、より実践的な戦い方を覚えてもらいたいのさ。そうでなければ、まかり間違ってケルベロスに襲われたとき、キミは無残に殺されてしまうからね」


「……そんなにまずい相手なのか?」


 逃げ足には自信のあるフィンだが、真に迫ったダスティンの台詞に不安が過ぎる。


「ケルベロスは軌獣を使役しているんだよ」


 ダスティンは思いがけない事実を明かした。


「できるのか、そんなこと」


「普通は無理だね。軌獣は片印晶という記憶媒体を保持するための怪物だから、敵とか味方とか関係なしに、周囲の生物を根絶やしにする性質を持っている。だけどケルベロスは、何らかの方法を見つけ出し、それを可能にしたっていう情報があるんだよ」


「軌獣を操る……まさか……」


 フィンは三年前の事件を想起する。

 こちらの思考を読み取ったように、ダスティンは声を潜めた。


「あくまでも噂だけど、用心するに越したことはないからね。キミに本当にケルベロスと対峙する覚悟があるのなら、きちんと力は身に着けておいた方が良いと思うんだ」


「武術は他人を傷つける力じゃない。父さんはそう言ってたが」


「この条件が呑めないのなら、残念だけどボクは協力できないかな」


「……戦う力と守る力は違う、とも言われたっけな」


 フィン個人としては、誰かを傷つけるだけの力を欲しいとは思わない。

 けれど、一度軌獣と相対したとき、フィンは己の無力さを痛感した。健康武術だけでは誰かを守ることはできない。

 目の前で、誰かが襲われるのを満足に助けられないのだ。


「ダスティンが戦い方を教えてくれるのか?」


 フィンは己の戒めを解くように、力への筋道に手を伸ばす。


「ううん、ボクに戦う力はないよ。でも妹に、ちょっとした能力があってね」


「ニューに?」


 以前会った限りでは、ずっとダスティンの背後に隠れていた。当然、戦う力など持っていたとは思えないし、踊り子として人前に出られる性格でもなかったはずだが――


「今夜、空いているのなら迎えに行くよ。詳細はそのときにでも」


「……分かった。頼む、ダスティン」


 フィンはダスティンから提示された条件を受け入れ、取引に応じる。

 美しき青年から差し出された右手に、戦いの本髄を知らぬ少年は固く握手を交わした。


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