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凱旋パレードが終わり、自室に戻ったビアンカは、ノクスを呼び出していた。

ノクスは馬車で迎えに来られて城に来ると、そのままビアンカの部屋に向かった。


扉を開けると、疲れた顔のビアンカが椅子にもたれていた。

薄いカーテンから差し込む光が、彼女の艶やかな琥珀の瞳を一層妖しく輝かせている。


「見送りにも来なかったし、出迎えもしてくれないのね」


ビアンカの第一声は、甘い棘を含んでいた。

ノクスはその言葉には答えず、ただ小さく「おかえり」と呟いた。


ノクスはソファに腰を下ろし、膝の上で手を組む。その仕草には、以前のような緊張はなく、どこか静かな落ち着きが宿っていた。


「ビアンカも、一度リーリエと話した方がいい。彼女、魔力の制御の具体的な方法を知ってる」


ノクスは、リーリエを想うように、静かなトーンで言った。

ビアンカもまた、自分と同じで、制御できない白い魔力が周囲を狂わせ、酩酊させることに悩んでいると言っていたからだ。

ビアンカは、リーリエの名を聞いた瞬間、瞳の奥に冷たい感情を走らせたが、すぐに取り繕うように笑った。


「そうね、スヴァルトハイム様には会いに行かなくちゃいけないわ」


彼女の本当の目的は、フリードリヒが身に付けているあのブレスレットを自分用に作らせることだ。あれがあれば、自分の魔力の排出量を、自由に、そして完璧に調整できるはず。


「私が魔力を扱えるようになったら、私がフリッツに、あなたの力の事、話しちゃうかもしれないわよ?」


それは、召喚される前、カタルナで王に言われるまま、政治的な道具として要人を黒い魔力に狂わせていたノクスの秘密。王家の末席であったノクスが、その「価値」によって生きながらえてきた事実。

ノクスは、静かに首を振った。


「うん。もう、平気なんだ。俺はもう、克服したから」


ビアンカは瞬きも忘れ、その言葉を理解するのに時間を要した。

彼女もまたノクスと同じで、魔力の循環が見えない。だから、彼が嘘を言っているのか、それとも本当に制御できるようになったのか、判別がつかなかった。

ノクスは続ける。その胸の奥には、ビアンカではなく、別の女性がいる。


「それに、もう城には来ない。リーリエと結婚するんだ」


部屋の空気が、凍りついた。


(結婚……?)


自分が戦場で泥にまみれ、死地に立たされた陛下を抱きしめ、馬車の揺れに体を軋ませながらどうでもいい英雄たちの武勇伝を延々聞かされている時に。

お前たちは。

恋愛ごっこにうつつを抜かして。

結婚?


こんな、呪われた性質を持った私たちが。普通の人として生きるなんて、無理なのに。

あなたには、私しかいないのに。


「それは―――残念だわ」


ビアンカはノクスを見ずに、視線を空へと逸らした。

平静を装おうとしたが、上手く表情が作れなかった。

絶望に手が震える。


「お互い、体質に依存しない、唯一の気が許せる相手だったけど。ビアンカもフリードリヒと仲が良さそうだし、お互い、離れる時―――」


ノクスの言葉は、ビアンカの突然の口付けに遮られた。

それは、慈しみのない、狂気と執着の混ざった口付けだった。


「だから!」


ノクスは弾かれたようにビアンカを押しのけ、口元を手の甲で乱暴に拭った。


「こういうの、もうやめてくれ」


ビアンカの瞳から、大粒の涙が零れた。

彼女は今、自分と同じ呪いを共有し、自分を壊さない唯一の「同類」を失ったのだ。


「酷い人。あなただって、苦しい事になるわよ」


ノクスは、涙に濡れたビアンカを真っ直ぐに見つめた。

その瞳には、確固たる覚悟が宿っていた。


「そうだね。でも、リーリエがいない方が、苦しいから」


「……そんなに愛しているの?あの、眩しいほど真っ白なお嬢さんを」


「そうだよ、愛してる。清廉なところも。そうじゃないところも。全部、大好きなんだ」


柄にもないことを言うと、顔を赤くしたまま、ノクスは「さよなら」と部屋を出ようとした。


「あなたは初めてだから、そんな甘っちょろいことを言うのよ」


ビアンカの声音が、急に低くなった。

今まで聞いていた、甘くて艶っぽい声ではない。少し低くて、余裕のない、世界のすべてを呪うような声。


ノクスは少しだけ開いた扉を閉め、振り返った。

ビアンカは、ノクスをバカにしたように笑うと、小さく、しかしはっきりと呟いた。


「あなたもきっと、私と同じ」


「だから、性質のことなら……」

「召喚」


ノクスの言葉に、ビアンカは被せるように言った。その言葉は、ノクスの動きを止めた。


「カタルナで召還された時……」


ノクスの黒い瞳の奥まで見透かすような、ビアンカの琥珀の瞳。


「あなた、きっと」


ノクスの脳裏に、カタルナでの最期が、鮮明な映像となって蘇る。

国は滅んだ。王がビアンカを召還し、白い酩酊によって王族も官僚も、誰もが使い物にならなくなった果てに起きた政変。

ノクス・ファルネは王家の末席。見逃されるはずがなかった。

彼は、王の首の前で、銃で頭を撃たれたのだ。

そして、死んだと思った瞬間、気がつくと、ここにいた。


ノクスの呼吸が、荒くなる。胸が締め付けられるように苦しくて、服をぎゅっと掴んだ。

ここの生活があんまり穏やかだから、夢だと思って忘れていた。


「な、なんで」


喘ぐようにビアンカを見る。彼女は確か、捕まったけど釈放されたと聞いたはずだ。自分と同じ?


「爆発に巻き込まれたの」


彼女は「今回は中々死ねなくて辛かった」と、まるで他人事のように言った。


「…こ、今回?」


ノクスは信じられなかった。彼女は―――カタルナにも召還されたのではなかったか。

ノクスは震える口で息を小さく吐いた。

ビアンカは、秘密を打ち明けるように、不敵に囁いた。


「そうよ」と、それだけ言った。


ノクスは吐き気がした。

自分もビアンカのように、死んでは召還で生き返るというのか。

この穏やかな時間が、いつかまた、死によって断ち切られるというのか。


「う、」


嘘だ。否定したいのに言葉が続かない。

ノクスはビアンカから目を逸らした。

とても信じられない。

信じたくない。


「親切で教えてあげてるのよ」


ビアンカの声が耳に響く。聞きたくない。

怖い。

何を言われるのか。

自分は、何を知らないのか。


「あなたの可愛い妖精さんのいない世界が、必ず来るのよ。妖精さんが死んだら、この世界で。あなたが死んだら、別の世界で。あなたは必ず彼女のいない人生を送る」


呪いのような言葉に、ノクスは震えた。

リーリエと幸せになる未来が、一瞬にして、砂のように崩れ去っていく。


「やめてくれ……!どうして、どうしてこんな事……」


ノクスは強く目を閉じた。

ビアンカは、スンと鼻をすすって涙を指で拭った。

その表情には、勝利の愉悦はなく、ただ虚無だけが浮かんでいた。


「ずっと、一人だったから」


ビアンカのか細い声に、ノクスはハッとした。


「どうして、今頃こんな話を?」


「だって……」


言葉を詰まらせるビアンカの、次の言葉をノクスは待った。

部屋に、時計の刻む音だけが、やけに大きく響いていた。


「だって、あなたは。あなたはずっと。……私の味方じゃなかったから」


止まらない涙がドレスを濡らしていた。

震える肩が、なんだか心細くて。

ノクスは、初めてビアンカという人間を、ありのまま見たような気がした。

彼女の悪意は、ただ一つの、救われない孤独から生まれていた。


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