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戦況は、明らかに鈍っていた。

フリードリヒが率いる騎士団は、選び抜かれた精鋭のはずだった。だがその動きはどこか重い。踏み込みが遅れ、回避もわずかに甘い。決定的な一撃に至らない。


――攻めきれない。避けきれない。


その違和感に、エドガーはすぐ気づいた。

これは、一年前に自分たちが味わった感覚だ。


魔法使いの援護がない戦場。


視界が狭まり、身体が鉛のように重くなる。判断が遅れ、連携が噛み合わない。たったそれだけの差が、戦場では致命的になる。

舌打ちしたい衝動を抑えながら、エドガーは前線を駆けた。


遠方では、フリードリヒが氷の矢を放っている。狙いは正確だ。射抜かれた魔物が次々と沈む。

だが――その動きは、やはりどこか鈍い。

その背に、ビアンカがしがみついていた。振り落とされまいと必死に腕を回し、彼に身体を預けている。


(あれで魔力供給のつもりか……?)


エドガーは眉をひそめた。

確かに、フリードリヒの魔法は強力だ。だが、本人の身体能力が追いついていない。戦場でそれは致命的だ。


視線だけで二人を追いながら、エドガーは周囲の魔物を斬り伏せていく。

そのときだった。

ぬかるんだ地面が大きく跳ね、投げつけられたような衝撃が馬を襲う。

フリードリヒの身体が揺らぐ。


「っ――」


とっさに、彼はビアンカを抱き寄せた。

次の瞬間、二人は馬上から地へと飛び降りていた。


「陛下!」


思わず叫ぶ。

だがフリードリヒは振り返らない。


「構うな、進め! 外縁は制圧済みだ、怯むな!」


その声は鋭く、まだ王としての威圧を保っていた。

エドガーは歯を食いしばり、前へ出ようとする。

その足元で、泥が爆ぜた。

黒い影が跳ね上がる。

巨大なカラスのような魔物だった。泥に塗れた羽を広げ、濁った目でエドガーに襲いかかる。

視界いっぱいに迫る黒。

だがエドガーは一歩も退かなかった。

剣を振り上げる。

脳裏に、軽やかな声がよぎる。


『よく斬れるおまじないです』


――あの小さな魔法使いが、剣に仕込んだもの。

一年前から、一度も錆びていない。

振り下ろす。

手応えは、ほとんどなかった。

するり、と。

紙を裂くように、魔物の羽が断ち切られる。

そのまま返す刃で、首を落とす。

巨体が沼へと沈み、泥が激しく跳ねた。

顔にかかる泥を乱暴に拭う。

その一瞬。


「陛下!!」


女の悲鳴が響いた。

エドガーは弾かれたように顔を上げる。

視界の先。

ビアンカを庇い、地に倒れ伏すフリードリヒの姿があった。


「――ッ!」


血が逆流する。


「陛下!」


地を蹴る。

あんな女のために、陛下が死ぬなど――あり得ない。


(俺のミスだ)


剣に頼り、動きが鈍った。

怒りが、内側から噴き上がる。

自分への怒りと、状況への苛立ちを抱えたまま、エドガーは二人の元へ駆ける。

――そのときだった。


ふわり、と。

ビアンカを覆っていた白い魔力が揺らいだ。

次の瞬間、それは堰を切ったように溢れ出す。

空気へ、地へ、沼へと流れ込んでいく。


白い奔流。


それは足元の泥を侵し、騎士たちの身体を包み込み、逃げ場のない魔物たちへと這い寄っていった。

触れた瞬間。

魔物が、悲鳴を上げる。

燃え上がるように暴れ狂い、近くの騎士へと襲いかかる。


「うわぁ!なんだこれは!?」


「下がれ!様子がおかしい!」


混乱の声が飛び交う。

だが白い魔力は止まらない。

逃げ場のない魔物たちは、次々と呑み込まれていく。

じゅわりと焼け爛れ、崩れ、最後には煙となって消えていった。

その光景に、エドガーは一瞬動きを止めた。

理解が追いつかない。

それでも身体は前へ進む。

暴れる魔物を斬り伏せながら、フリードリヒの元へ。

白い魔力が、エドガー自身を包み込んだ。


――違う。


食堂で感じたものとは、比較にならない。

温かい。

それでいて、脳の奥を直接撫でられるような感覚。

疲労が消え、視界が冴え渡る。

身体が軽い。

万能感が、胸の奥から溢れ出す。


「……聖女、」


思わず、声が漏れた。

ビアンカは泣いていた。

泥にまみれ、服は濡れ、亜麻色の髪も乱れている。

それでも――その周囲だけが、光に満ちていた。


『あれで健気なところがある』


フリードリヒの言葉が、脳裏をよぎる。

そのとき。

ビアンカが、はっと顔を上げた。

彼女の腕の中で、フリードリヒの瞳に光が戻る。

血の気のなかった顔に色が差し、彼はゆっくりと息をついた。


「……ビアンカ?」


かすれた声。

震える手で、彼は彼女の頬に触れる。

泥に汚れたその頬を、確かめるように。

ビアンカの瞳が、歓喜に揺れた。


「陛下……よかった、私――」


「陛下!」


「陛下が回復したぞ!」


歓声が、それをかき消す。

騎士たちが駆け寄ってくる。


「奇跡だ!」


「聖女様が奇跡を起こしたぞ!!」


もう、敵はいなかった。

戦場は静まり返り、代わりに歓喜が満ちていく。

エドガーは、その中心で立ち尽くしていた。

胸の奥が震えている。

理屈ではない。

ただ一つの確信だけが、残る。


――今、自分は“聖女の奇跡”を目の当たりにしたのだ。

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