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戦乱は続く。

沼に半分沈むフリードリヒの周りを騎士が囲む。


「聖女様!陛下を運びましょう!ここでは処置ができません!」


泥にまみれた魔物を切り捨てながら、やはり泥に塗れた騎士が言う。


ビアンカは汚れひとつつかない袖でフリードリヒの頭を抱いていた。


「だめよ、目を閉じないで」


震える声で「誰か」と絞り出す声が、剣戟の音にかき消される。


「フリードリヒ。……嫌よ。フリッツ」


彼を失うのが怖くて、ビアンカは彼をぎゅっと抱きしめる。このままでは彼が。


誰か。誰でもいい。フリッツを助けて。


しゃら。


ハッとした。

自分の腕のブレスレットが、ビアンカの涙に濡れた目に煌めいた。


「あ、あぁ…」


それはリーリエが、大魔法使いと呼ばれる彼女が愛する陛下に作った魔道具。

ビアンカは知らない。それがどんな魔道具なのか。

でも。

あの真っ直ぐな青い目を思い出す。

彼女は。リーリエ・スヴァルトハイムは。


『戦場って、すぐ人が死ぬんです』


これを恐れていたのではないか。


ビアンカは迷わず自分の手から指輪とブレスレットを引き抜いた。指輪は小さい。ブレスレットに通してフリードリヒに付けた。


途端に彼女のスカートは泥で汚れ、ドロの冷たさが体の芯を冷やし、腐臭が目にしみた。


ここまでしたのよ。死ぬなんて。

「許さないわよ。フリードリヒ」


フリードリヒを抱きしめ祈るビアンカ。


異変に気づいたのは魔物の方だった。

彼女の体の表面を覆っていた白い魔力がふわりと揺れた。その魔力は彼女からみるみる溢れ出し、大気に流れ込んだ。それは足元の沼を清め、騎士の体を満たし、怯える魔物に這いよった。


魔物が白い魔力に触れると火がついたように叫び暴れ、近くにいた騎士に飛びかかった。


「うわぁ!なんだ!?」


「気をつけろ!様子がおかしいぞ!」


沼から離れられない魔物たちは迫り来る白い魔力から逃れられず、飲まれた者からじゅわりと焼けただれ、断末魔を残し最後は煙になって消えていった。

騎士達はその様子にゾッとしたが、危険を察知し逃げ惑う魔物を倒すのは容易だった。


どれくらい時間が経っただろうか。

沼はかなり小さくなった。

地面は土が覗くほどになり、人ほどの大きさの黒い卵の周りには小型の魔物ばかりとなった。


そして。


「っ!―――陛下」


フリードリヒの空虚な瞳にひかりが戻り、顔には血が通ってビアンカの泥で汚れた頬を温めた。


「ビアンカ?」


白い魔力が溢れる彼女の頭に触れる。

彼女の瞳が歓喜に揺れる。


「陛下、良かった。私……」


「陛下!」


「陛下が回復したぞ!」


ビアンカの言葉は騎士たちの声でかき消された。


「奇跡だ!」


「聖女様が奇跡を起こしたぞ!!」


もう敵はいない。彼らは喜び、王に駆け寄った。


「これは、どういうことだ?」


フリードリヒは自分の体を触った。毒も抜け、傷も塞がっていた。


フリードリヒは信じられない顔でビアンカを見た。彼女は、今まで見たことがないような、気取らない笑顔でこちらを見ていた。


「陛下!聖女さまですよ!」


「ビアンカ様が陛下の命を救ったのです!」


周りの騎士たちは嬉しそうに騒ぐ。


「……君が?」


ビアンカが口紅も取れた口を開く前に、大柄な騎士がやってきた。


「陛下、卵が残っております」


「そうか」


「魔王の卵」。あれは、王家にしか壊せない不快なものだった。


「まだ魔物が残っているな」


「あの数でしたら今いる騎士達で対応可能です」


卵を壊すと今まで沼に留まっていた魔物が外に飛び出してしまう。


「いや、私が仕留めよう」


ふらつく体をビアンカに支えてもらい、フリードリヒは立ち上がった。

何故だろう死にかけたというのに体が軽い。

騎士から受け取る弓も羽のようだ。


周囲が王の一撃を見守る。


「ビアンカ。いいものを見せてやる」


金の強い瞳をビアンカに向け、フリードリヒは笑った。

ビアンカの瞳が驚きにみちる。

彼は氷の矢をつがえ、卵に的を絞ると短い詠唱と共に矢を放った。

風を切る音。軌道の下に氷の筋ができた。

卵に命中した途端、卵の周りに氷の蔓バラが生い茂り、逃げ惑う沼の中の魔物に絡みつく。暴れる間もなくみるみる凍り、魔物たちは郡の彫像と化した。


おおっと歓声が上がる中、フリードリヒはもう一度矢を放った。卵に当たると氷はパンッと魔物ごと砕け、キラキラと散った。


「卵は割れんか」


フリードリヒは、今度は騎士から剣を受け取る。自分の手足のように馴染んだ。

フリードリヒは不思議な感覚を味わっていた。

歩を進める度に体が回復していくのがわかる。

頭はスッキリし、肩は軽くなり、足元は盤石だ。

理由の分からない現象に戸惑いながらもゆっくりと卵の前まで行くと、フリードリヒは剣を振りかぶり、黒い卵に振り下ろした。


卵は簡単に割れた。安堵した瞬間、中から泥が溢れてフリードリヒは正面からそれをかぶった。


「うっ」


何かを飲み込んだような気がして咳き込んだ。

一瞬泥の感触が全身を伝ったが、汚れは足元に全て落ちていった。


「な、なんだ!?」


指輪の効果を知らないフリードリヒはうろたえたが、何も起こらなかった。


「陛下、それは」


ビアンカが卵を指さす。

フリードリヒは事も無に言った。


「ああ。中身は空なのだよ」


「嘆きの沼」は掃討された。


振り返り、フリードリヒが剣を掲げると、騎士たちは歓声を上げた。

フリードリヒが飲み込んだものは、口から出てはこなかった。




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