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ノクスはリーリエの寝室の扉を開けた。しかし目の前の光景に動揺を隠せず廊下で一度扉を閉めた。

扉に頭を押し付けて押し殺した声を出す。


「俺はバカだ」


また。またこれだ。


「ノクス?」


伺うように扉を開けるリーリエ。ノクスは大きく息を吐いて「これはなんだろうね」と部屋を眺めた。


床に大きな魔法陣が描かれ、その線をなぞるように放射状にカードが立てられていた。

確かに、これを誰かに見られるのは良くないような気がした。


「座って。今から説明するから」


リーリエの目は輝いていた。ソファを手でさして、ノクスが動くのを待つ。


「大事な話だよね?」


ソファに座りながらノクスは言う。


「そうよ。二人のね」


向かいに座るリーリエ。二人の間の机には、資料やらノートやらが山積みだ。そしてリーリエの傍らには、大切な魔導書があった。


「初めてなのは、もしかしてあれ?」


硬い床にどうやって立てているのか。カードには全て同じ魔法陣が記されている。


「そうよ。ノクスも初めてだもんね」


ちゃんと聞いていたわよと笑うリーリエに、カードから目を逸らさずに小さな声でノクスは「うん」とだけ言った。


では。

と言って、リーリエは魔導書を広げた。

昨日見た、何も書いていないページをめくる。


「ここにね、新しく魔法陣を描いたのよ」


リーリエの落ち着いた声。ノクスの目には白紙に見えた。


「見ていて」


リーリエが白い魔力を流す。ノクスの目にも、鮮やかな魔法陣が浮かび上がるのが見えた。そこから拳くらいの水泡がポコポコと浮いて、下からの光に煌めいて美しい。

リーリエが水泡を指で押すとパチンと弾けた。「これは水の魔法」こともなげにいい、その指を今度は魔法陣に沿わせた。


「これが白い魔力の魔法陣。魔法陣が発動しているのでノクスにも光が見えるのよ。水の魔法もそう」


ノクスは柔らかく光る魔法陣を見つめた。


「白い、魔力」


呟いた。ノクスはその言葉をリーリエからしか聞いたことがない。


「他の人は、魔力と言うね」


「そうよ。みんなにとっては魔力はひとつなの。みんなが魔法に使ったり、ビアンカ様から湧き出してるような魔力のことよ」


「俺からも、白い魔力が出ている?」


「いいえ。ノクスはこっちよ」


魔法陣の光が消えた。リーリエの手が、ページをめくる。


やはり白紙に見えるそれに、リーリエは手を置いた。


リーリエはそのまま、何もないページに指先を滑らせた。

何も起きない。

――ように見えた。

ノクスは、わずかに眉を寄せる。


「……今、何かした?」


「したわ」


あっさりと返ってくる。

けれどページは白いままだ。

ノクスは目を凝らす。 さっきのように光る気配もない。


「見えないのが普通なの」


リーリエは静かに言った。


「白い魔力は理の魔法。形にして、伝えるための力。でも――」


そこで言葉を切り、リーリエは視線を上げた。

まっすぐに、ノクスを見る。


「黒い魔力は違う」


リーリエはペンの後ろで紙を大きく2回、コンコンと叩いた。


その瞬間。

空気が、わずかに重くなった気がした。

風もないのに、机の上の紙がかすかに揺れる。

ノクスは反射的に視線を落とした。

叩いたところからインクのような黒が広がり、中から黒い蝶がひらりと舞い出た。


「……召喚?」


思わずこぼれた声は低かった。

リーリエは「あれはただの影法師」と言う。


「それが黒い魔力の魔法陣。理の外にある、願いを叶える魔法」


影法師の蝶はノクスの肩に止まった。つついてみる。蝶は煙のように指を貫通したけれど、何も無かったようにまた飛んだ。体が一回り小さくなっていた。


「術式じゃないの。これは“約束”」


静かな声だった。


「こうなれ、って命じるんじゃない。こうあるべきだって、世界の外側と取り決めるの」


ノクスは目を細めた。

理解は、できない。

けれど。

嫌な感覚だけは、はっきりと分かる。


「……気味が悪いな」


正直な感想だった。

リーリエは少しだけ笑った。


「でしょう?」


同意が返ってくるとは思っていなかった顔だ。


「私も最初はそうだったわ。理屈が通らないもの。計算もできないし、制御も曖昧」


指を魔法陣から離すと、ふっと蝶が消えた。


「でもね」


リーリエは魔導書を軽く撫でた。


「これがないと、届かないの」


遠くを見るような目だった。


「白い魔力だけじゃ、世界の内側しか動かせない。外に触れるには、黒がいる」


ノクスは黙ったまま、ページを見つめる。

見えないもの。

けれど、確かに存在しているもの。


「俺が召還された時は、光ってた」


「観衆がいたから白の魔力を上乗せして光らせたのよ」


あの演出は本当に大変だったとリーリエは振り返り苦い顔をする。

ノクスはもう一度ページを見る。

その“見えない魔法陣”に。


「……俺がいたとき、変だったよね」


静かな声だった。

リーリエの呼吸が、ほんのわずかに乱れる。

覚えている。

魔法陣から魔力が消えていたこと。 黒が、流れていったこと。


「……ええ」


短く答える。

ノクスは小さく笑った。

自嘲の混じった、乾いた笑いだった。


「初めて会った時、魔力の流れが証明してるって言ってたよね」


ノクスはビアンカに群がるフリードリヒ達を思い出す。

彼の「聖女の魔力は格別」という言葉も。


「……俺も、ビアンカみたいに溢れさせてるの?」


ぽつりと呟く。

リーリエの指が止まった。

一拍だけ、間が落ちる。


「……いいえ。あなたは吸い寄せる」


ノクスは視線を上げる。

リーリエを見た。

彼女の瞳が少しだけ動揺に翳る。

しかし、彼女は勇気を出すと決めたのだ。

リーリエは息を吸い込んで、言った。


「貴方に体の黒い魔力を吸い出されると、とても気持ちが いいの」


ノクスは目を見開いた。

今、リーリエはなんと言った?

心臓が早鐘のようになる。

信じたくない。そんな話。

でも。

ずっと知りたかった答えが、今、彼女の口から―――


「……それ、もしかして、俺が誰かに手を引かれる理由……」


上手く息が吸えない。口を抑え、ノクスは小さい息を何度も吐いた。

眉間に皺を寄せ、ゆっくりと顔をあげるノクスの黒い瞳を、リーリエは真っ直ぐに見返した。


ノクスの唇が短く震えた。


ノクスの脳裏に走馬灯のように過去が突きつけられる。


召喚される前の世界。

父に用意されたあの小さな部屋。

薄暗い光。

香の匂い。


ノクスに傅く彼らの、冷たく虚ろな目。生々しい熱。

心が凍る日々。


思い出したくない。戻りたくない。

ノクスは両手で顔を覆った。


「生まれてからずっと。どこにいても、同じだった」


リーリエは何も言わなかった。

ただ心細そうに肩を震わせる彼を、見守っていた。


「……ねえ、リーリエ」


ノクスはゆっくりと顔から手を離した。

小さく呟く彼の目は、最初に会ったあの時と同じだった。

吸い込まれそうな黒曜石の、揺れる瞳。

でも今は、諦めていない。


「これ、止められる?」


部屋が、静まり返る。


ノクスはハッと口元をおさえた。

俺はバカだ。

出来るなら、リーリエはもうやっているはずなのに。

首を振るノクスに「ノクス」と声がかかる。

リーリエは立ち上がる。


「それが、大事な話よ」


彼女が力強く笑う。その心強さに、ノクスの瞳に涙が滲む。


「期待、していいの」


「うん」


リーリエは手を差し出す。

ノクスが、手を取るまで待っていてくれる。


「待ち遠しい?」

俺が、魔力に影響しなくなるのが。


「ええ、待ち遠しいわ」


ノクスが手を伸ばす。掴んだその手の儚さに彼は震えた。

黒い魔力がリーリエからノクスに流れる。

彼女はそれが見えているのに、なんでもないみたいに握り返した。


そうだ。リーリエは、いつもそう。


「初めてだから、不安だわ」


さっき聞いたセリフがリーリエの口から登る。

立ち上がるノクスの口から笑いがこぼれる。


「俺も、そうだよ」


ノクスの目から涙がこぼれた。


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