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華々しいファンファーレの残響が、かえってフリードリヒの胸の奥にある空洞を際立たせていた。
白馬に跨り、銀の甲冑を陽光に反射させるフリードリヒの姿は、民衆の目には理想の王そのものに映っていた。
「掃討完了は近い!」
その宣言に地を揺らすような歓声が上がります。しかし、手綱を握る彼の指先は、不自然なほど強張っている。
(……なぜ、あんな真似をしたんだ。リーリエ)
脳裏に焼き付いているのは、ビアンカの部屋の、あの異様な光景。
ビアンカの脇にあったあの不格好な白い氷塊は「魔法」だった。
以前、城の回廊で「霜、霜」と呟いて出していたあの失敗作を思い出す。
あんなお粗末な魔法制御を、ビアンカに向かってリーリエが?
フリードリヒは首を振る。
「あれは、明確な悪意だったのか? それとも……」
答えの出ない問いが、泥のように足元に絡みついた。
咄嗟に彼女の襟を掴み、床に叩きつけるようにして引き剥がした時の、掌に残る手応え。あの時、彼女のローブの留め金が弾け飛ぶ音が、今もフリードリヒの耳の奥で嫌な音を立てて響いていた。
「陛下……? お顔色が優れませんわ」
隣で白馬を駆るビアンカが、心配そうに声を潜めた。
彼女の琥珀色の瞳は、恐怖の名残か、それとも別の感情か、潤んで細く震えている。
そのせいだろうか、彼女から溢れる白い魔力はいつもより控えめだ。
フリードリヒは努めて穏やかな笑みを浮かべた。
「案ずるな、ビアンカ。……少し、風が冷たかっただけだ」
「……はい。陛下がいれば、私は。でも、リーリエ様は……あんなに恐ろしい事をなさるなんて」
ビアンカが風になびいた亜麻色の髪を抑えながら微笑んだ。
その言葉に、フリードリヒの心には「失望」という名の冷たい楔が打ち込まれていった。
あんなに理知的で、誰よりも王国の安寧を願っていたはずの友が、嫉妬に狂い、あまつさえ聖女に危害を加えようとした。
その事実を認めなければ、自分が行った「拒絶」を正当化できない。
知らず、彼は手綱を強く握った。
遠征軍が城門をくぐり、王都の喧騒が遠ざかっていく中、フリードリヒは一度だけ、背後にそびえ立つ魔法塔を見上げました。
(……リーリエ。お前は今、何を思っている)
「去れ」と言った自分の声が、呪いのように自分自身に跳ね返る。
彼はまだ知らない。
ビアンカが握りしめているその小さな手の中に、リーリエが徹夜で編み上げた「守護の指輪」が、皮肉にも彼女の震えを鎮めるように熱を帯びていることを。
―――
出征の軍列が進むにつれ、王都の喧騒は遠ざかり、馬の蹄が立てる乾いた音だけが周囲を支配し始める。
ビアンカは、フリードリヒの隣で静かに馬に揺られながら、外套のポケットに深く差し込んだ右手の感触を確かめていた。
そこには、先ほどリーリエから投げつけられた「指輪」と、そしてもう一つ――本来ならリーリエからフリードリヒに手渡されるはずだった、重厚な魔石をあしらった防御のブレスレットが握られていた。
(……これを、陛下に渡すわけにはいかないわ)
ビアンカの指先が、ブレスレットに施された精密な細工をなぞる。
それはリーリエが心血を注いで作り上げた、王を守るための盾だ。
本来なら、リーリエが自らフリードリヒの腕に嵌め、「お気をつけて」と一言添えるはずだったもの。あるいは、渡しそびれたのを知ったビアンカが、善意を装って「リーリエ様からです」と彼に届けることもできたはずだった。
だが、ビアンカにはそれができなかった。
フリードリヒがリーリエを拒絶し、自分を庇ってくれたあの瞬間。
彼の金の瞳に宿った、リーリエへの激しい怒りと「失望」。
その濁った光こそが、今のビアンカにとっては唯一の安らぎだった。
もし、このブレスレットを渡してしまえば、彼はリーリエを思うだろうか。
いや。
彼は、きっと何も考えずに受け取る。
そして、何も考えずに使うだろう。
リーリエからの加護は、フリードリヒの当たり前なのだとビアンカは気づいていた。
あの時リーリエが、指輪を握る自分の手を包み込んだ手の温かさが過ぎる。
あの、自分を真っ直ぐ見つめる空色の瞳。
ビアンカは目を伏せる。
長い睫毛が影を落とす。
「……私のものよ」
つぶやきは行軍のざわめきにかき消された。
ビアンカは、指輪を自らの指に深く嵌め込んだ。そしてブレスレットも。
「ビアンカ、どうした。……やはり、先ほどの衝撃が響いているのか」
フリードリヒが馬を寄せ、痛ましげに彼女を覗き込む。
その瞳に宿る純粋な心配に、ビアンカは愛らしい笑みを返した。
「いいえ、陛下。……少し緊張しているだけですわ。でも、陛下がお側にいてくださるので平気です」
「そうか。心配するな、私も騎士達も戦場を勝ち抜いた精鋭揃いだ。その美しい肌に傷一つ付けさせないと約束しよう」
フリードリヒは力強く頷き、自らの腰に差した剣の柄を叩いた。
だが、彼はまだ気づいていない。
かつての戦場であれば、彼が意識せずともリーリエの魔術が彼の五感を研ぎ澄ませ、目に見えぬ盾となって彼を包んでいたことを。
今、彼の腕にあるのは、ただの剣だけだ。
リーリエが用意していた「万全」は今ビアンカの腕で白い魔力を存分に吸っている。
行軍は進み、いつしか「嘆きの沼」から、湿った、腐ったような風が騎士たちの間を吹き抜ける。
リーリエのいない出征。
彼女の守護を自ら投げ捨てたことに気づかぬまま、フリードリヒは意気揚々と軍を進める。
ビアンカは、指に嵌めたリーリエの指輪が、自分の体温を吸って微かに熱を帯びるのを感じていた。
その熱は、まるでもう一人の自分――本物の「聖女」が、自分の偽善を嘲笑っているかのような、奇妙な不快感を伴っていた。
「……行きましょう、陛下。私たちが、この国の闇を払うのですわ」
ビアンカの声は風に乗って騎士たちに伝わり、彼らは鬨の声をあげた。
彼女の手の中にあるリーリエの「善意」は、守るべき王に届かぬまま、ただ彼女のために力を使っていた。




