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「待たせておけ」

 怒鳴り返す。

 だが声が震えた。

 足元の本の、自分の名を見る。 

 消さなければ。

 

 本を掴む。

 名を記されたページを破ろうと引っぱる。

 びくともしない。

 もう一度、力任せに引く。

 動かない。


「くそっ……!」


 歯を食いしばる。額に血管が浮く。

 だが紙は。

 鋼のような頑強さだ。


「この……っ」


 暖炉へ放り投げた。

 本が炎に沈む。

 薪が爆ぜる。

 火が本を包む。


「……ふん、これでいい」


 燃えれば終わりだ。

 証拠は消える。

 応接室で待たせている小癪な公爵と紅茶を飲んでいる間に、灰になる。

 踵を返す。

 ドアノブに手をかける。

 

「いたい」

 

 背後で声がした。

 咄嗟に振り返るが、誰もいない。


「なんだ?」


少しするとまた。


「……たすけて」


 暖炉だ。

 音が、そこから聞こえている。

 シュトラウスはゆっくり近づく。

―――知りたくない。

 炎の奥。

―――まさか。

 本だ。


「たすけて」


 少女の声。

 静かな。

 感情のない。

 聞き覚えのある声。

ゾッとした。


「煩い」


 脇にあった火かき棒を掴む。

 叩く。


「いたい」


 しゃがれた声で本が言う。

叩く。

叩く。

「いたい

 いたい

 いたい」

「黙れ!!」


 薪を掴んで放り込む。

 押し込む。

 炎は大きくなり、本は見えなくなった。

 それでも声は続く。


「たすけて」

 か細い声が耳の奥で響く。

「たすけて」

 脳の裏を掻く。

「たすけて」

 心臓が早鐘を打つ。

「煩い!焼けてしまえ」

 シュトラウスは逃げた。

 

―――


 

「お待たせいたした」


 応接室。

 リーリエは座っていた。

 窓から光が差し込み、銀の髪が透けている。

 妖精のようなリーリエも、シュトラウスには悪魔の化身に見える。


「突然押しかけてすみません」


「いやいや、構わんとも」


 喉がやけに乾いて、声が裏返りそうになる。

 紅茶を一気に飲む。

すると給仕が来て、流れるような所作でカップに紅茶を注ぐ。

 彼女が背筋を伸ばしてシュトラウスを見ている。

その表情に怒りや非難の色はない。

 

「侯爵様」


「な、なんだね」


「私にお願いしたいことがありますでしょう?」


「……ないが」


「そうですか」


 一拍。


「では、もう少ししたら出来ますね」


「君のようなお嬢さんに願うことなど、起こらんよ」


もう一口、紅茶を飲む。


 ――たすけて

 

 外から声がした。

 シュトラウスの手がぎくりと止まる。

 

 ――たすけて

 

 リーリエが首を傾げる。

知っている目だ。


「き、きさま」


 シュトラウスは立ち上がる。

 

 ――たすけて!!!!

 

 絶叫。

 窓ガラスにヒビが入った。

 

「旦那様!!」


 執事が慌てて入ってきた。シュトラウスに耳打ちする。


「御部屋から大きな声が ―――」


 言い終わる前に。

 

 ――たすけて!!!!!!!

 

 空気が爆ぜた。

 床が震えた。

 壁が軋んだ。

 シュトラウスの膝が折れた。体が椅子に沈む。

 

「お願いしたいことがありますでしょう?」

 リーリエが言う。

 笑顔で。

 

 ――たすけて!!!!!!!!!!!!!!

 

 屋敷が揺れた。

 天井のシャンデリアが軋む。

 何かが落ちる音。

 

 このままでは。

 屋敷が壊れる。

 騎士が来る。

 見つかる。

 終わる。

 

 シュトラウスは強く目をつぶった。


「・・・止めてくれ」


 リーリエが瞬きをした。


「では」

 静かに言う。

「案内してください」

 

 侯爵は理解した。

 自分は終わったのだ。


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