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「きゃあ!スヴァルトハイム様おやめ下さい!」
突然の悲鳴に、リーリエははっと目を見張る。
名前を呼ばれてしまった。
視線が自分に集中していた。
(違う、私では――)
否定の言葉が出てこない。
周囲の視線が、すべて自分に向く。
あの頃と同じだ。
理解される前に、判断される。
ビアンカは動かない。
ただ、扇子の奥で目を細める。
「まあ……怖いわ」
静かに言う。
そして。
「……あら、ねえフリードリヒ。この方、普段からこうなの?」
その言葉で、空気が凍る。
「何をしている」
低い声。
振り返る。
フリードリヒ。
威厳に満ちた若き国王に、貴族たちは皆頭を垂れた。
リーリエは助けを求めかけて――止まる。
彼の体内は半分以上白い魔力に満たされていた。
リーリエの目算では酩酊に近い。
あれで地に足が付いた状態でいられるフリードリヒに、リーリエは感心さえした。
この様子なら普通に話が出来るかもしれない。
しかし。
彼は、自然にビアンカの腰へ腕を回した。
ビアンカは、当たり前のように身を預ける。
それが、この場の“正しい形”であるかのように。
リーリエは確信した。彼はもう以前の「夜会でリーリエを守る盾」ではないのだ。
「フリードリヒ。……なんでもないのよ。スヴァルトハイム様を怒らないで」
ビアンカの、かすかに震える声。
フリードリヒの視線が壁際の花瓶に向けられる。ガラスの花瓶が割れ、赤い花と破片が床に散らばって水浸しになっていた。
「ほんの少し、お話していただけなのよ」
それで十分だった。
黄金の瞳がリーリエを射抜く。
「スヴァルトハイム」
名前ではなく、家名。
距離が決まる。そして罪の在り処も。
「ビアンカを傷つけるな」
「私は、何も……!」
「発言は許していないが?」
言葉が止まる。
彼の目には、親しみなどなかった。
一臣下を。あるいは子供を叱るようなフリードリヒの態度。
信じられなくて、リーリエは震えた。
「……少し興奮なさっているみたいなの」
ビアンカが、静かに添える。
それで、すべてが決まる。
リーリエの足元が崩れる。
貴族たちの目には、リーリエ・スヴァルトハイムには陛下の寵愛はもうないように映った。
「……ビアンカ様。失礼、いたしました」
唇を噛み、頭を下げる。
かつて戦場で、どれだけの敵を退けても。
リーリエにこの状況を打開する術はなかった。
「良いのよ」
ビアンカは微笑む。
完璧な、慈愛の聖女の顔。
その背後で。
誰もが、安心したような空気を取り戻す。
ワルツの演奏が始まる。
正しい位置に戻った世界。
リーリエだけが、そこから弾かれている。
フリードリヒはビアンカをダンスに誘った。
ホールの中央に移動する二人に衆目が動く。
リーリエは、フリードリヒに挨拶をせずに会場を後にした。
ビアンカの瞳だけがそれをとらえ、フリードリヒの手を取りながら彼女の心は愉悦に弾んだ。




