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ノクスは拳を握った。
ファルネとは、ノクスのいた国の、王家の名前だ。
そして黒髪黒目のファルネは自分しかいない。
「カタルナの黒い至宝」とは、ノクスを欲しがる要人が、国王にノクスを求めるときに使う隠語だった。
カタルナで、国王に命じられるまま要人に接触し、何日かすると政局が大きく動き、要人はノクスの手を引きに来る。
彼らは国王に乞う。
―――あのカタルナで会った黒い宝石にもう一度会えるなら、望むものを差し出します。
その手口で、国を潤し、王の力をほしいままにしていたのだ。ノクスの父は。
「お前、何者だ」
ノクスは立ち上がり、まじまじとビアンカを見た。
豊かな亜麻色の髪も、琥珀の少し垂れた目も、赤い唇も。
ノクスは見たことがない。
ビアンカは美しく曲線を描く唇から棘のような言葉を吐いた。
「知ってるでしょ、渡り人さん」
そう、ノクスには心当たりがあった。
忌まわしい記憶が頭をもたげ、ハッとする。
「お前、お前は。ファルネを潰した召喚者か」
ビアンカなどと、偽名も甚だしい。
ノクスは怒りに満ちた黒い目でビアンカを見た。
「あら、酷い誤解だわ。私は召喚されただけよ。前回だって今回だって、私が頼んだわけではないもの」
脚を組み直して心外そうな顔をしてみせるビアンカをノクスは忌々しそうに見据えた。
「お前が、今ここでしている事を!ファルネでもしただろ!」
荒々しく問い詰めるノクスにビアンカは笑顔を崩さない。
「あぁ、カタルナでは分からなかったけど、ここでは皆見えるんですってね。この、魔力?」
私は見えないけれどと肩を竦めて見せた。
「ふざけるなよ。見えないで済むか。破滅をもたらす魔女め」
怒りに拳を震わせ、詰め寄るノクスに、涼しい顔をしたビアンカは座ったまま言った。
「でも、貴方。助かったんでしょ」
ノクスの喉がヒュッと締まる。
ノクスの脳裏にカタルナでの日々が過ぎる。
触られたくない。肌を寄せてくる誰もが狂気の眼差しで自分を見ているのに酷く虚ろで怖かった。
あの日々を終わらせたのは目の前のビアンカに他ならない。
「貴方も、私みたいに見えない何かがあるんでしょ?貴方のお父様から聞いたわ。政敵もあなたが欲しくてなんでも差し出してくれるって」
ノクスの脳裏にリーリエの言葉が過ぎる。
『この魔力の流れが証明しております』
カタルナでは誰も、自分も見えなかった。
魔力の流れ。
リーリエには見えているのだ。きっとそれが、悪い作用をしている。
「違う」
否定しないと立っていられない。
ノクスは震える口で、何とか言ったが、ビアンカの笑い声で塵と消えた。
「うふふ。私と一緒ね。自分に何が起こってるのか分からないまま傅かれて、皆壊れちゃう」
いつの間にかビアンカはノクスのとなりに立っていた。
「ねえ、それ、どうやってるの?」
ビアンカに耳打ちされてビクリと方を震わせる。長いまつ毛を瞬かせて、ビアンカは妖艶にノクスを見つめた。あの甘い香りが、ノクスを包む。
「そ、れ?」
「好きに動かしてるんでしょ。知りたいわ」
ノクスの肝が冷える。
「なぜ?」そう返すのが精一杯だった。
「だって、カタルナであんなに人がいるのに狙った人だけ貴方に夢中になるなんて、おかしいじゃない?」
ノクスは足が震え、ソファにどさりと座った。ビアンカはその横にふわりと座った。二人の足が触れる。
ノクスはビクリと体を震わせた。
自分に触れて虜にならない人間を、ノクスは見たことがない。1人を覗いては。
「・・・何ともないの?」
ノクスの言葉にビアンカは彼の手を取りながら答える。
「なんともないわ。貴方だってそうでしょ」
ほら、といつの間にか繋がれていた手を、ビアンカに見せられる。ノクスは信じられない気持ちだった。
「やめろ」
今まで生きてきて、自分に対して何も感じない人間にノクスは初めて会った。
ノクスはビアンカの手を振り払えない。
「なんでかしらね」
自分とこんな距離にいて、不敵に笑うビアンカに、不安なのに、安心する。
危険だ。この女は。
立ち上がろうとするノクスの手を、ビアンカは離さなかった。
「待って。行かないで」
微笑むビアンカの顔は、なんだか怖くて、ノクスは「君に話せることがない」と言い残して手を振り払った。
ビアンカは笑うのをやめた。
「陛下に、貴方がカタルナでしてた事、言ってもいいのよ」
ノクスが振り返る。
彼女の口元が、意地悪く弧を描く。
ノクスは戦慄した。
そんな話があの王の耳に入ったらここでも同じことをさせられる。
ビアンカが、ソファを手のひらで軽く叩く。ノクスはゆっくり座り直した。
「……卑怯者」
「なんとでも言って。私も必死なの」
「何が目的?」
「さっきも言ったでしょ?貴方がしてる事。私にも教えて」
しなだれかかるビアンカを押しのけながらノクスは怪訝な顔をした。
「その力を皆が求めてるのに?」
そのノクスの手を取り、ビアンカは指を絡めた。
「大事なことよ。国が壊れちゃうでしょ?」
貴方の国みたいにね。とビアンカはわざと淋しい声で言った。




