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「…ふう」


雑踏に揉まれていることもあって、ノクスはほんの少し汗ばんだ体を冷やそうと大きく息を吸った。冷気に混じって果物や炭や雑踏の匂いが溢れていた。

辺りに目をやる。

ノクスにとって、街は色に溢れていた。

以前の世界では、景色はいつも灰色で、人の顔は歪んだ欲望の仮面に見えていた。

けれど今、隣で「これ、美味しいのよ」と串焼きを頬張る少女がいるだけで、軒先に飾られた花の色、石畳一枚一枚さえも、目が眩むほど鮮明に映る。

その中に、魔法陣が書いてある栞を見つけてリーリエに問う。

「それはお守りみたいなものよ。効果はないの」

本物の魔法陣を使う人はあんまりいないのよ。

そう言って寂しく笑うリーリエ。

ノクスはもう一度、栞を見る。


「お兄さん、知らないのかい?スヴァルトハイムの女公爵様が魔法陣を好んでお使いになるから、巷で魔法陣モチーフの小物が流行ってるのさ」


店員がそう教えてくれた。

道行く人を見ると、たしかに小物やレースに魔法陣のような模様が書いてあった。あれは実用品ではなかったのか。


「へえ、そうなんですか。女公爵様は人気があるんですね」


話を続けるノクスにリーリエはぎょっとして袖を引いたが彼の足はビクともしない。

店員は嬉しそうに笑ってノクスの肩を叩いた。


「当たり前だよお兄さん!見たことないのかい?この辺の戦はぜーんぶスヴァルトハイム様がカタをつけてくださったのさ!でっかい魔法陣書いて、山を半分吹き飛ばしたりしてね」


「そうそう!」


近くでエールを煽っていた男性たちも会話に混ざってきた。


「あんな火力、魔法じゃまず無理だよな」


「あの山ドラゴン5匹も住んでたのに全部倒しちまうんだもんな。山の麓の村占拠してた敵兵も全滅だよ」


「ああ、しかも村人はよくわかんねーけど魔法陣で無傷だったって話でさ」


「精霊の寵愛を受けた妖精公爵って呼ばれてんだぜ」


あははと笑い声が弾ける。


「妖精公爵ね」


ノクスが笑いを堪えながら呟くと、袖を引いてくる可愛い妖精公爵が「違うよ」とか「大袈裟」とか呟いてきて可愛い。

エールを煽りながら男が「まあ、妖精みたいに可愛いってのが本当だけどな」とダメ押しし、また笑いが広がった。


「おかげで売上も上々でしてね、妖精公爵万歳!」


店員が人好きのする笑顔を見せて諸手をあげると周りも「公爵に幸あれ」と沸いた。通りがかった花売りが花びらをまいてくれた。

ノクスは、話のあいだ自分の腕をずっと引っ張っている妖精公爵を覗き見る。

恥ずかしそうにフードで顔を隠すリーリエを眩しそうに見つめ、ノクスは若草色の栞を一枚買ってあげた。


「はい、恋愛成就」


「効かないんだってば。この陣もめちゃくちゃで・・・・・・」


言い募るリーリエの手に、ノクスは栞を優しく握らせた。


「リーリエにいい人が出来たら、効いたってことにすれば」


「そんな滅茶苦茶な」


「その話が広まったら、本当の魔法陣に興味持つ人も増えるかもしれないよ」


リーリエはフードをちょっとだけ上げて、ノクスを見た。

その海のような青い瞳に自分が映るだけでノクスは幸せを感じた。

(この人の見ている世界を、俺も見てみたいけど、無理だから。せめて同じ方向を向く人が増えたらいい)

ノクスはそんな事を思った。

リーリエは、困惑しながらも栞を受け取った。

小さく「ありがと」と言って。

ノクスはとろけるような笑顔で「どういたしまして」と返した。

ノクスが求めていた「幸せな日常」。それを今、リーリエも感じていた。


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