21
「…ふう」
雑踏に揉まれていることもあって、ノクスはほんの少し汗ばんだ体を冷やそうと大きく息を吸った。冷気に混じって果物や炭や雑踏の匂いが溢れていた。
辺りに目をやる。
ノクスにとって、街は色に溢れていた。
以前の世界では、景色はいつも灰色で、人の顔は歪んだ欲望の仮面に見えていた。
けれど今、隣で「これ、美味しいのよ」と串焼きを頬張る少女がいるだけで、軒先に飾られた花の色、石畳一枚一枚さえも、目が眩むほど鮮明に映る。
その中に、魔法陣が書いてある栞を見つけてリーリエに問う。
「それはお守りみたいなものよ。効果はないの」
本物の魔法陣を使う人はあんまりいないのよ。
そう言って寂しく笑うリーリエ。
ノクスはもう一度、栞を見る。
「お兄さん、知らないのかい?スヴァルトハイムの女公爵様が魔法陣を好んでお使いになるから、巷で魔法陣モチーフの小物が流行ってるのさ」
店員がそう教えてくれた。
道行く人を見ると、たしかに小物やレースに魔法陣のような模様が書いてあった。あれは実用品ではなかったのか。
「へえ、そうなんですか。女公爵様は人気があるんですね」
話を続けるノクスにリーリエはぎょっとして袖を引いたが彼の足はビクともしない。
店員は嬉しそうに笑ってノクスの肩を叩いた。
「当たり前だよお兄さん!見たことないのかい?この辺の戦はぜーんぶスヴァルトハイム様がカタをつけてくださったのさ!でっかい魔法陣書いて、山を半分吹き飛ばしたりしてね」
「そうそう!」
近くでエールを煽っていた男性たちも会話に混ざってきた。
「あんな火力、魔法じゃまず無理だよな」
「あの山ドラゴン5匹も住んでたのに全部倒しちまうんだもんな。山の麓の村占拠してた敵兵も全滅だよ」
「ああ、しかも村人はよくわかんねーけど魔法陣で無傷だったって話でさ」
「精霊の寵愛を受けた妖精公爵って呼ばれてんだぜ」
あははと笑い声が弾ける。
「妖精公爵ね」
ノクスが笑いを堪えながら呟くと、袖を引いてくる可愛い妖精公爵が「違うよ」とか「大袈裟」とか呟いてきて可愛い。
エールを煽りながら男が「まあ、妖精みたいに可愛いってのが本当だけどな」とダメ押しし、また笑いが広がった。
「おかげで売上も上々でしてね、妖精公爵万歳!」
店員が人好きのする笑顔を見せて諸手をあげると周りも「公爵に幸あれ」と沸いた。通りがかった花売りが花びらをまいてくれた。
ノクスは、話のあいだ自分の腕をずっと引っ張っている妖精公爵を覗き見る。
恥ずかしそうにフードで顔を隠すリーリエを眩しそうに見つめ、ノクスは若草色の栞を一枚買ってあげた。
「はい、恋愛成就」
「効かないんだってば。この陣もめちゃくちゃで・・・・・・」
言い募るリーリエの手に、ノクスは栞を優しく握らせた。
「リーリエにいい人が出来たら、効いたってことにすれば」
「そんな滅茶苦茶な」
「その話が広まったら、本当の魔法陣に興味持つ人も増えるかもしれないよ」
リーリエはフードをちょっとだけ上げて、ノクスを見た。
その海のような青い瞳に自分が映るだけでノクスは幸せを感じた。
(この人の見ている世界を、俺も見てみたいけど、無理だから。せめて同じ方向を向く人が増えたらいい)
ノクスはそんな事を思った。
リーリエは、困惑しながらも栞を受け取った。
小さく「ありがと」と言って。
ノクスはとろけるような笑顔で「どういたしまして」と返した。
ノクスが求めていた「幸せな日常」。それを今、リーリエも感じていた。




