15
召喚が成されてから、リーリエの日常は変わってしまった。
白の聖女ビアンカは王都中の歓声を浴び、連日王宮で祝宴が行われた。
国の重鎮だけでなく隣国の特使までもが謁見し、ビアンカの身から溢れる白い魔力に夢中になった。
宝石商やら服飾デザイナーやらが競うように新作を献上し、画家や楽団や劇作家が、彼女を題材に作品を世にだしまくった。
彼女が月に一度、城から教会に行く時などは、沿道がパレードのように賑やかになった。
そして彼女の傍らには常にフリードリヒがいた。
華やかな王宮の様子とは打って変わって魔法塔は静かなものだった。
魔法塔の回廊には、昼下がりの柔らかな光が差し込んでいた。
リーリエはその細い手でノクスの手を握り、迷路のような塔内を歩いていく。
最近、リーリエはフリードリヒに会っていなかった。理由はいくつかあった。
フリードリヒが夜会にビアンカをエスコートするので虫除け役のリーリエはお払い箱になった事。
召喚の準備と儀式から解放されたリーリエが今度はその検証、考察作業に追われていること。
塔内の魔法陣の調子が悪く、日に何度も書き直している事。
何よりリーリエがノクスと一緒にいる時間が増えたからだ。
というより──彼を放っておくとすぐに問題が起きる。目が離せなくて塔から出られないのだ。
先日、どうしてそうなったのか、聖女ビアンカの部屋から出てきてリーリエは冷や汗をかいた。
幸いビアンカしか部屋におらず、彼女は怒っていないようだったので、ノクスと一緒に頭を下げて脱兎のごとく魔法塔に帰ってきたのはいい思い出になるには時間がかかりそうだった。
彼には塔から出る時は声をかけてもらうよう厳重に注意した。
「はぁ」
リーリエはため息を吐いた。
今日だけでも三度。
彼は塔の中で迷子になり、
顔見知りでもない男性所員に「ついておいで」と手を引かれ、
挙げ句の果てには女性研究員に仮眠室で押し倒されていた。
昼休憩へ向かったはずなのに、見つけたのは午後二時。
どうしてそうなるのか。
「あなた、いい加減に 抵抗 というものを覚えなさいよ」
黒い魔力で真っ黒な仮眠室の寝台を前に、リーリエは呆れを隠さず呟く。ノクスはリーリエに見つかるといつも手を差し出されるのを待つ。今も黒い瞳で彼女の様子を伺っている。リーリエは呆れ顔で手を伸ばす。
ノクスを押し倒していた女性研究員は、上司であるリーリエに気づくと、真っ青な顔で服のボタンをしめながら謝り走り去ろうとした。
「待って」
「は、はい!」
リーリエが言うと、研究員の足はリーリエの脇でピタリと止まった。歯の音が合わず、手もブルブル震えている。
リーリエが彼女の魔力を視る。
彼女の中の黒い魔力は大分減っている。きっとノクスに流れて行ってしまったのだろう。
リーリエは青い瞳を研究員に向けた。
「ハンナ」
名前を呼ばれた研究員はたまらず泣き出した。
「すみません。すみません。私、どうしてこんなことしたのか。すみません。所長、スヴァルトハイム所長。私、私塔をやめたくない」
ぼろぼろと涙と懺悔をこぼすハンナにリーリエは優しく抱きしめ、赤ちゃんにするみたいに彼女の背をポンポンと軽く叩いた。
「大丈夫よ、ハンナ。渡り人様は少し特殊で、最近みんな変なの。あなたは少し身体が冷たいわ。私たちは出ていくから、ここでゆっくりボタンを閉めるのよ」
体を離して「いいわね」とリーリエが言うと、涙でぐしゃぐしゃのハンナはなんとか頷いた。
大魔法使いにして塔の主──彼女に逆らえる者など、この塔にはひとりもいない。恐れとは違う。皆リーリエを尊敬しており、軽蔑されたくないのだ。
なのにどうして、リーリエが身元を引き受けているノクスを皆は誘うのか。
ノクスはリーリエに手を引かれるまま、しょんぼりとした声を出す。
「……彼女、したそうだったから」
「何を?」
リーリエの足が止まる。振り返る彼女の済んだ青い瞳は真っ直ぐで、ピンと来ていないようだ。
「えっ。ええっと、」
平然とそんな質問をされると思わず、ノクスは言い淀んだ。
「君には、まだ上手く説明できない」
ノクスが咄嗟に歳のせいにすると、十五歳のリーリエは眉根を寄せた。
「なによ、子供扱いして。なにをしてたか知らないけど、女性と二人きりであんなところにいるのは、はしたないのよ」
彼女はどんな可愛らしい「はしたない」想像をしたのか。ノクスはたまらず笑った。
「あはは……。うん、気をつけるね」
その瞬間、リーリエの瞳が驚きに見開かれる。
彼が初めて声を出して笑った。
廊下の窓から射し込む光がノクスの頬に差し、黒曜石の瞳を深く輝かせていた。
「……綺麗」
思わず零れたため息に、自分でも驚く。
なんて綺麗な人なのだろう。
ずっと見ていたい。
今も彼の足元には黒い魔力が這い寄っているのに。彼だけがずっと煌めいて。
瞳の中を覗き込んで魂を探れば、その答えにたどり着くかもしれない。
その答えに私だけが。
ああ。なんだろう。この何かが抜けるような感覚。
誰も彼に触れてほしくない。
誰にも──
「ちょっ、リリ……!」
愛称で呼ばれ、リーリエはハッとした。
彼の瞳が目の前にある。
気づけば、彼の腕を掴んだまま壁へ押し付けていた。
ノクスは手の甲で口元を隠していたが、その赤く染まった顔は隠しようがない。
「あ……ご、ごめん」
パッと手を放すと、ノクスのシャツには無残なほどシワが刻まれている。
慌てて伸ばそうとするが、逆にひどくなるばかりだった。
「い、いいよ。シャツは平気だから……」
彼の赤い顔がなかなか戻らず、リーリエは再び謝る。
「本当にごめん。……恥ずかしかったよね」
ノクスはちらりと反省顔のリーリエを見る。
銀の長い髪が、光を受けて新雪のように煌めいている。
魔法塔の主、国内随一の大魔法使い。
そのはずなのに──年相応な少女みたいにうぶな言葉を言ったり、逆にこちらが息を呑むほど強引だったり。
(……なんなんだろう、この人)
ノクスは、戸惑い続けていた。
だが──このやり取りは日々濃く、頻繁に。
そしてついには、塔の外へも噂が漏れた。




