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塔の広間の喧騒から離れ、リーリエは黒髪の渡り人を塔の客間へ案内していた。
あの聖女とは違い白い魔力を出していないこの男を、王をはじめ貴族たちは無視を決め込んだ。
想定していた聖者は一人だったため、城に整えられた部屋も一部屋しかなかった。
リーリエは魔法塔の三階、客間が空いていたので取り敢えずそこに案内することにした。
彼は何も言わずついてきてくれた。
魔法使いとは得てして研究熱心な者が多い。塔を訪れる魔法使いの客人に気楽に滞在して思う存分に議論を交わしてもらうための客間だったが、初めて使うのが召喚された渡り人になるとはリーリエも思わなかった。
「……ここをお使いください」
男は素直に頷いた。
彼は眩い白の聖女とは対照的で、どこか素朴で、穏やかな雰囲気をまとっていた。そして足元には常に黒い魔力が這い寄っていた。
そのことにも驚いていたが、リーリエを一番驚愕させていたのは彼の内側だった。
何この人。魔力が、空っぽだわ。
この世に魔力が空の人間など存在しなかった。少なくともリーリエは今まで見たことがなかった。
窓を開けて吹き込む風に目を細めている彼を、リーリエは背後から観察した。
自分の常識の外にいる、不思議な存在に興味が尽きない。
「―――ここはエルディフィア王国。私はこの魔法塔の主リーリエ・スヴァルトハイムと申します」
声をかけると男は振り返った。
リーリエは初めて彼と相対した。
リーリエより少し年上のようだが、黒い瞳の目元は涼しげで、痩せてはいるが肌はとてもきめ細かい。目元まで伸びている黒い髪も艶やかで美しかった。黒髪も黒目もこの国やかつての祖国でも見ない珍しい色だ。
男はリーリエの無遠慮な視線を気にした様子もなく返事をした。
「・・・俺は、ノクス・ファルネ」
「ファルネ様」
リーリエは手を差し出したがノクスは
その手を一瞥しただけで動かなかった。握手失敗だ。
「ねえ、どうして俺を喚んだの」
深淵を思わせるノクスの瞳がリーリエを見据えた。
「現在、この国の魔力のバランスが崩れております。打開策として聖者の力を求めました」
「聖者。それ俺じゃないよね」
あの、亜麻色の髪の女に周囲は湧いていた。王も彼女にだけ声をかけていた。
ノクスに話しかけ、ここまで連れてきたのはリーリエだけだった。
「あの方は正真正銘、聖女様でございます。しかし、私にとっては貴方も。いえ、貴方の方が重要なのでございます」
黒い魔力がノクスに流れ込み、彼には溜まらない。これはリーリエにしか見えない、彼の特異な性質だった。
白い魔力を溢れさせていた彼女が白の聖女とすれば、ノクスは黒の聖者ではないか。
「この、ま、魔力の流れが証明しております」
リーリエの声は少し震えていた。黒い魔力の話を家族以外にするのはこれが初めてだった。
黒い魔力がその身に流れ込む彼ならば、自分と同じような景色が見えているのではないか。
唇が震える。
胸が高鳴る。
ノクスはリーリエから視線を外し、ゆっくりと辺りを見回した。
そして期待の籠った瞳で息をつめるリーリエに向き直ると言った。
「魔力?」
リーリエは小さく息を吐いた。
体から力が抜けて目の前が真っ暗になったが、笑顔を崩さなかった。
自分の望みが潰えたことで、彼の事を今初めてちゃんと見たような気持ちになった。
彼はずっと冷静だった。
瞳には戸惑いの色が濃いけれど、声にハリはないし、自分の扱われ方に興味が無いようだ。
文句も質問もなしに、彼はこの部屋まで来たのだ。
リーリエはすっと頭を下げた。
「私たちは、貴方をお待ちしていました。ノクス・ファルネ様、貴方の存在がこの国の大きな力となるでしょう。強制的にお迎えしてしまい、思うところもありましょうが、なんでも仰ってください。私が力となります」
住み慣れた場所から急に連れてこられたのだ。怒りの矛先を向けられるのを覚悟して、リーリエはぎゅっと目をつぶった。
しんと静まる室内、「別にもう、どこにいても一緒だし」という呟きがリーリエの頭上にこぼれた。
パッと頭をあげると、ノクスは存外近くまで寄ってきていた。
黒い瞳に驚いた顔のリーリエが映る。
「じゃあノクスと呼んで」
彼に怒った様子はなかった。ただ、何かを諦めたような、乾いた空気が漂っていた。
「それにその堅苦しい態度もやめてほしい。仲良い人は君をなんて呼ぶのかな?」
「私は……リリ、と、呼ぶ人もいるけれど……」
「リリか。いいね。短くて可愛い」
黒曜石の瞳に少しだけ光が宿った。性質ばかりに気を取られていたリーリエは、この時初めて彼と対峙した気がした。
思った以上に彼の顔が近くにあって、リーリエの胸がどきりと跳ねた。
奇妙だった。
王フリッツから「リリ」と呼ばれても胸は昏く痛むだけなのに、会ったばかりのこの男から言われると、なぜか身体の奥が熱くなる。まるで、乾いた肌に暑い日差しを浴びた時のようだとリーリエは思った。
それが、彼が吸い寄せる黒の魔力のせいであると知るのは、もっと後だった。




