13
召喚の日は、王国の歴史に偉業が刻まれる瞬間となった。
リーリエが描いた魔法陣は、塔の広間いっぱいに広がっている。その周りを騎士と魔法使いが取り囲んでいた。
広間の一段高い観覧席に座る国の要人達は、固唾を飲んで行方を見守っている。
歴戦の大魔法使いであり、建国の立役者として名高いリーリエ・スヴァルトハイムが、国のために聖者を召喚するのだ。観覧席の視線も熱くなるというものだ。
衆目の中、陣の前でリーリエは浮かない顔をしていた。
「ちょっと大きすぎたわ……」
魔法陣を前に、今日のために特別に誂えた青いローブを纏ったリーリエがため息をついた。ローブの裾にあしらわれた美しい金糸の模様がリーリエの心を気休め程度に癒したが、勿論何も解決はしなかった。
リーリエはもう一度、そろりと魔法陣を俯瞰する。
見栄を張って大きく派手な陣を書いてしまった。
途中で筆が乗って、青白く光る仕様までつけてしまった。
「・・・・・・光る必要なかったなぁ」
光を出すのにも魔力を使う。
リーリエが脳内で反省会をしている間にも式典は厳かに進んでいく。
国王の挨拶。
国歌。
開始のファンファーレ。
視線が浮かない顔のリーリエに集まる。
リーリエは小さく息を吐くと腹を括った。
やるしかない。
自分の不始末だ。この燃費の悪い馬鹿みたいに大きな、光る魔法陣を起動させようではないか。
リーリエは専用の杖を魔法陣の端に立てて魔力を流し始めた。
黒と白。均等に、並行に。時に交差してもけして交わらないように慎重に、でも素早く流す。
周りからざわめきが起こる。
魔法使いたちが目配せし、ヒソヒソとささやきあう。
リーリエはその理由を知っていた。
これは白い魔力と黒い魔力の二層構造の魔法陣だ。
白い魔力の魔法陣は術式。理にかなった数式と呪文による魔力を任意の事象にを発動させる陣。
黒い魔力の魔法陣は約束。理の外にある超常を顕現させる陣。
召喚は、この理の内と外の力、どちらも不可欠だった。
魔法陣は白い魔法だけでも描けるが、一段上の領域に達するためには黒い魔力を扱えなければならない。この魔法陣は、リーリエだけが描ける傑作なのだ。
黒い魔力が見えるように光を出した。しかし、その光は青く視界を滲ませ、観客たちには細部まで確認することは叶わなかった。
戦渦のリーリエを知らない魔法使い達は魔法陣の露骨な装飾に苦笑している。
こんな派手さを重視したような魔法陣に手こずるリーリエに彼らは冷たい目を向け「さすがは若い大魔法使い様。可愛いことをなさる」と侮った。
やはりスヴァルトハイム公は陛下の打った実力主義政策のプロパガンダなのだと噂した。
リーリエの額に汗が滲む。試算以上に魔力が必要だった。彼女の体内の魔力を半分も持っていかれた。
周りの魔法使い達がざわめく。彼らの目に映るこの魔法陣は、大きさや派手さばかりにこだわる子供が作る魔法陣に他ならなかった。
リーリエの耳に届くその雑音は、しかし彼女の集中を切らすものではなかった。
「やっぱり……光るの、余計だ………」
観客の目など、国策でなければ気にしないものを。
ヘトヘトのリーリエを他所に、眩しい光は天へと昇り、どこか遠い世界へとつながる。
フリッツは祈るように見つめ、塔の魔法使いたちは息を呑み——
リーリエは震える手でダメ押しの魔力を流した。
魔法陣の発動と共に青い光がはじけた。
そこにいたのは——
ひとりの女。
亜麻色の髪。琥珀の瞳。
白いドレスの彼女は目を見開いて座り込んでいた。
その体からは白い魔力が溢れ、辺りを純白の光で染めてゆく。
リーリエでなくとも分かる。この世に体から魔力が溢れる人間などいないのだから。
「……聖者だ!」
「聖女様だ!」
「成功だ!!」
ざわめきが歓声となり、喜びが広がる中、フリッツはその美しい聖女を見つめ、言葉を失っていた。
豊かに波打つ美しい髪、濡れた瞳にぽってりとした赤い唇。
匂い立つような美しい彼女を、フリッツは一目で気に入ったのだとリーリエには分かった。
音を発さずとも「素晴らしい」と動く彼の口を、リーリエは流れる汗もそのままに呆然と見ていた。
聖女はフリードリヒに気づき、しばし見つめ合った。
「聖女よ、よくぞ来てくれた」
フリードリヒが国王然とした態度で聖女に寄る。
リーリエは耐えられず目を背けた。
そのおかげで、彼を見つけた。
魔法陣の青白い光が消えていくその薄ぼんやりとした中で、ひっそりと男が膝をついていた。
目元まで伸びた黒髪。対象的な白い肌。黒い服を着た、ひょろりとした体。
立ち上がりもせず、聖女と沸き立つ貴族たちをぼんやりと眺めていた。
リーリエが不思議そうに見ていると、その彼がすいっと視線を泳がせ、リーリエを見た。
目が合った瞬間、深い闇色の瞳に吸い込まれるような感覚に襲われた。
背筋に悪寒が走り、リーリエは身震いしてパチパチと瞬きをした。
と、視界に異常が映る。
周囲の黒い魔力が彼の体に入り込み、どこかに流れている。
彼のいる足元の魔法陣から魔力が消失していた。魔力を混ぜ込んだ特殊な塗料で描いた線自体から魔力が抜ける事は、通常ではありえない。
その様子にリーリエは息を呑んだ。
——黒の聖人。
間違いない。
けれど、周囲の誰も黒を見ることはない。
彼に気づいた人もいた。しかし彼らの目には、召喚に巻き込まれたただの異国の青年に写った。
それならば今やるべきは聖女様に自分を売り込む事だろうと、誰もが青年に背を向ける。
聖女に群がる諸侯を、玉の汗を拭いながらリーリエは冷ややかに見つめた。杖を頼りに彼女はやっと立っていた。
「……リリ、あの男は?聖女と随分様子が違うが?」
いつの間にかそばに来ていたフリッツの問いに、リーリエはハッとして胸に杖を押し当てて答えた。
「……渡り人、ですね……彼は私が預かります」
リーリエが男に歩み寄ると、彼はゆっくり顔を上げた。
「……ここは。……君が、俺を呼んだの?」
その黒い目は優しく、その声は諦念の響きがあり。そして―――リーリエは自分の中の黒い魔力さえ、彼の中に流れていくのを感じた。




