すげ替えられた運命
燃えていた。
売春宿『薔薇の家』が。
数か月前から連続して起きた放火事件。
毎回、なぜかボヤ騒ぎでおさまっていたが、この夜の火事は夜天を燃やし焦がさんばかりの憤怒の炎であった。
「ああ。しまった……」
炎上し、建物の中から聞こえるエリザや娼婦たちの泣き叫ぶ声がかすかに聞こえる中、その燃え盛る売春宿の前で虚ろな目をして立っているソフィーがポツリと呟く。
「こんなにも激しく燃やしてしまったら、関係のない他の家や店にまで火が移ってしまう。私、火は起こせても、消すことはできないのに。………………まぁ、仕方ないか」
仕方ない。仕方ないのだ。みんな、リリーを死の淵に追いやったエリザが悪い。仲間のリリーが追い出されようとしているのに、誰も助けようとしなかった娼婦たちが悪い。この売春宿にいる人間たちこそが悪魔なのだ。私が悪魔なのではない。
私に魔法を授けてくれたジルダという医者も言っていた。悪魔・魔法使い・魔女が処刑されるべき悪だと聖職者たちが教え説いたのは、キリスト教の教えに都合が悪い人間たち――キリスト教が世に広まる前に正しき教えとされていた不思議な力や奇跡を迫害し、排除し、滅ぼすためにそうしたのだと。自分たちの価値観に反する異質な者を取り除こうとする正しき人間たちこそ悪魔なのだと。
私は、村人たちから魔女の子として排除された。だから、村人たちこそが悪魔だ。
リリーは、ペストだと診断されて売春宿から追い出された。だから、エリザたち娼婦どもこそが悪魔だ。
ジャネットは、魔女の母から生まれて自身も魔力を持っていたためにファンの父によって捨てられた。だから、ファンの父こそが悪魔だ。
迫害する心を持った人間こそ悪魔なのだ。私も、リリーも、そして、ジャネットも犠牲者に過ぎない。
「……この火、私の教会までいっちゃうかしら。そうしたら、私はまた天涯孤独の身に逆戻りね。……それでもいいかな」
「そうか。ならば、明日から寝床に困らないように、お前に地獄という永住の地を与えてやろう」
知らぬ間に、一人の剣士が白刃をソフィーに突きつけて背後に立っていた。ソフィーは別に驚いた様子も見せず、
「地獄に落ちるのはあなたよ」
そう微笑んで振り向くと、蒼い右目を宝石の輝きのごとく煌めく赤い瞳に変え、あの男の肉体を焼き尽くせと念じた。
「はっ……!」
電光石火の動き。
地を蹴ったバジルは、剣を突き立ててソフィーへと突進する。このまま魔法を発動させてしまうと、火だるまとなったバジルに巻きこまれ、ソフィーまで焼け死んでしまうだろう。ソフィーは、ぎりぎりで魔法の発動を止め、剣の切っ先からよけようと身を翻した。
「あがっ……」
バジルの剣はソフィーの左肩を傷つけた。どくどくと血が肩から流れてくる。肩が焼けるように痛い。
「心臓を外したか。だが、これでしばらく魔法は使えないだろう。ファン様も、剣の稽古でおのれの魔法を活かそうとしていたが、心に動揺がある時は魔法を使えなくなっていた。その激痛では、精神を集中させることなどできまい」
「……ファンさんが、あなたのことを凄腕の剣士だから気をつけろと言っていましたが、本当でしたね。でも、私はちっとも恐くないですけれど」
まだ余裕があるというのか、それともただのやせ我慢なのか。ソフィーは冷徹な笑みを浮かべたままである。
(魔女は未知の力をたくさん隠し持っているかも知れない。反撃される前に殺すべし)
バジルは、ソフィーの挑発的な言葉など無視して、剣を構えなおした。――次の一手で魔女を屠る。
「覚悟!」
剣を振り上げた。ソフィーの頭を叩き割る。そのつもりだった。しかし、鋼鉄のごとく揺るがぬバジルの殺意をわずか数秒ではあるが動揺させるような出来事が起きた。
ソフィーが短剣を抜き、自身の心臓に突き立てたのである。
「……!? な、何の真似だ。自ら死を選ぶというのか?」
魔法を知らぬバジルが魔女の行動を理解しようとしたのがいけなかった。ソフィーは、心臓を貫いたはずなのに倒れもせず、短剣を左胸から抜いて、バジルに向けて刃を一閃した。
二人の間には短剣が届くほどの距離がなかったため、バジルにとってその一振りは無意味に終わった。……はずだったのだが、突然、発作のような痛みが胸に生じ、バジルは思わず左胸に手を当てた。
「これで、私の命とあなたの命は交換されました」
心臓を貫いたはずなのに、ソフィーの豊かな胸は無傷である。これもまた魔法の類か。
「……何を訳の分からないことを言っている。どんなにあがいても、お前がここで死ぬ定めは覆せないぞ。大人しく地獄に落ちろ!」
魔女のまやかしにはもう惑わされない。バジルは、剣を握る手に強い意志を込め、長剣をソフィーの心臓に今度こそ突き刺した。
ソフィーは、かわそうとするどころか、目を瞑り、微笑さえ浮かべながら、バジルの一突きをその身に受けた。そして――。
バジルは、死んだ。
最後の主命を果たしたという満足感を抱く間もなく、バジルは冷たい地面に伏す遺体となっていた。
その遺体を見下ろし、ソフィーが語りかける。
「この短剣はですね、魔力を探知できる力と、命ある者同士のあらゆるものを交換することができる力を持った『すげ替えられた運命』という名前の剣なんです。昔、命の恩人から譲り受けた物でして、身体の一部だけでなく、命だとかそういう形のないものまで交換できるのですよ。ただ、交換した後、その人間にその交換したものが定着するのに少し時間がかかるんです。頭や目、手足などの肉体の一部ならば、一時間ほどで大丈夫。けれど、人間の命を交換するとなると、一日以上は定着しないのですよね。たとえば、魔法をかけた私本人が死ぬなどの事故があった場合、まだ定着していなかった交換物は元の人間のもとへ戻り、再び交換されてしまうのです。だから、先ほど交換した命ですが……」
そこまで言って言葉をいったん止めると、ソフィーは剣によって穴が開いたはずの左胸をさすった。傷は塞がっている。最初からなかったかのように、白く美しい肌が破れた服からのぞいていた。肩の傷はそのままなので、後で手当てしなければならない。
「あなたにせっかく交換して譲ってもらった命……私があなたに刺されて死んだ時点で交換の魔法が解けてしまったのです。そして、命は再び交換され、私の死はあなたの死に、あなたの生は私の生になった……。お分かりいただけましたか? ああ……死んでいるから、もう何も聞こえませんか」
ソフィーはそう語り終えると、最後に「あなたが私を殺そうとしたから、こうなったのですよ。私は悪くない」と永遠に沈黙したバジルの耳元に囁き、紅蓮の炎に包まれている『薔薇の家』を一瞥してその場を去った。
* * *
その夜、『薔薇の家』は全焼し、燃え広がった火は近辺の家や店を焼いたが、結局、サン・ジェルマン・デ・プレ教会にまでは炎が届くことはなかった。
死者は、『薔薇の家』の主人のエリザを含めた娼婦たち十七人と客十二人。
不幸中の幸いと言うべきか、飛び火して燃えた建物にいた人々は何とか逃げ出して無事だった。ただ、灰燼と化した『薔薇の家』の前に一人の男が倒れていて、剣を握ったまま胸から血を流して死んでいた。
人々は、この男が娼婦と痴情のもつれから『薔薇の家』に火をかけ、自らも死んだのではないかと噂し合うのであった。
そして、翌朝の午前七時半。『薔薇の家』の焼失を見届けたかのように、リリーがジャネットに看取られて息を引き取った。
その時、ファンはまだ気絶から目覚めていなかった。




