愛の形
気絶しているドゥドゥーとグレンはその場に放置してきた。目が覚めたら、勝手にモンテーギュ学院に戻るだろう。獅子王はというと、あれからすぐに目覚め、何事もなかったかのように走り去って行った。
ファンは、ソフィーと別れた後、聖バルブ学院へと急ぎ戻ろうとしていた。グベア博士やダミアン、エドモンが帰りの遅いファンのことを心配しているだろう。
(そういえば、ナタンの奴はちゃんとバジルの宿を見つけることができたのだろうか。俺のほうがバジルと遭遇しかけてしまったが)
ナタンは何だかんだで主人に忠実な従者だが、頼り甲斐のある男とは言い難いため、少し心配である。
「ファン様」
「ナタンか?」
聖バルブ学院の門の前に一人の男が待ち受けていて、ファンの名を呼んだため、ファンはとっさにそう言った。だが、すぐに別人であると気がついた。
「ば……バジル!」
捜していたバジルのほうからファンの前に姿を現したことに驚き、ファンは大きく目を見開いた。
バジルは、ファンに深々と頭を下げると、険しい表情でファンを叱るように言った。
「ナタンのような粗忽者に私の身辺を嗅ぎまわらせる仕事を与えるとは、少し迂闊でしたな。幼い頃より何度もお教えてしたではないですか。人間には適材適所というものがある。人の上に立つ者は、人材を上手く使いこなせなければならないと」
「俺は田舎貴族の次男坊だ。どうせ偉い人間にはならないよ。……ナタンをどうした? もしかして、殺したのか?」
「いいえ。私も、ファン様の従者の命を奪うような、出過ぎた真似はいたしません。気絶させて、いまは私の宿で眠っているはずです」
「そうか……」
「あの修道女が、カルチェ・ラタンを騒がしている魔女なのですね」
「……え?」
不意を突かれたファンは、誤魔化したり嘘をついたりすることもせず、素直な驚きの顔を見せてしまった。
「図星のようですな。私は、パリに来る前、人買い商人の妻であった女と接触し、商人がパリの施療院に子どもを捨てたという事実をつかみました。さらに、その施療院でジャネット、リリー、ソフィーという女が、トマ様によって捨てられた魔女の候補者だということを突き止めました。そして、今日、私は修道女のソフィーを午前中からずっと尾行していたのです。……あの女、人間の頭と豚の頭を魔法で入れ替えていました」
「…………!」
見られていたのか。決定的な瞬間を。
そして、ずっと尾行していたということは、ファンがバジルを目撃して酒場に隠れたあの時も、バジルはソフィーを監視している最中だったのだ。
「ファン様は、あのソフィーを私から遠ざけようとして隠れた。やはり、彼女が、カトリーヌ様が産んだ魔女なのですね」
ファンがソフィーを連れて酒場に逃げ込んだ瞬間まで見られていた。その後はファンの透視の能力で警戒していたので尾行されていないことは確認している。だが、バジルが見たいものは全て見た後だった。
バジルは大きな誤解をしている。ソフィーは魔女だが、ファンの姉ではない。しかし、それを言うと、今度はジャネットの命が危なくなる。何とかしてソフィーを庇わねばと、必死になって言い訳を考えるが、バジルを納得させられるような言葉は思いつかなかった。
「ファン様。あなたは学院で大人しくしていて、今夜起きる出来事には関わらないでいただきたい」
「ソフィーを殺す気なのか。彼女は放火でこの街を騒がせてはいるが、人殺しはまだやっていない。魔女というだけで殺すのは、あまりにも理不尽ではないか」
「……私も十代の娘の命を奪うことに抵抗がないわけではありません。ですが、これはトマ様の主命なのです。……主君が最後に下した主命を私はこの命に代えても果たさなければならない」
「最後に下した主命……? それはどういう意味だ」
「トマ様のお命は長くはありません。ファン様が旅立たれてすぐにお倒れになり、いまは自力で起き上がることもできなくなっています」
「ち、父上が……」
トマは、同年代のグベア博士に比べても二十数年は老け込んでおり、瞳には輝きが失われていた。生きているという行為に大きな苦痛を感じていたように思われる。夢を捨て、愛する妻を汚され、この世に絶望していた。
息子のファンも、父はそんなに長くは生きられないのではと感じていたのである。しかし、その最後の時はあまりにも突然やって来たのだ。おそらく、溺愛するファンが城からいなくなり、生きる気力をなくしてしまったのだろう。
「ですから、ファン様。いくらお姉様を助けたいという気持ちがあっても、こればかりは目を瞑っていてください。トマ様の最後の望みなのですから」
バジルも心苦しいのだろう。二十歳にもならぬ娘を手にかけるのは。それでも、主君のためと心を鬼にしているのだ。
(だが、バジルよ。違うのだ。ソフィーは俺の姉ではない。あなたは何の意味もない殺人をしようとしているのだ)
とはいえ、ジャネットのことを告白するつもりはファンにはない。
息子にしてみれば、死を前にした父親の最後の願いが人殺しなど、認めたくもない事実だった。
最後の最後まで母を汚した悪魔の医者に嫉妬し続ける哀れで愚かな父。ファンには父の心を救済してやれることはできない。だが、そのあまりにも汚れた願望を叶えようという気持ちにもならなかった。
「人を殺すことを望むなんて、いったいどちらが悪魔なんだ」
ファンは、バジルにそう怒鳴った。いままで絶対に口には出さなかった父への反感をぶちまけたのである。
バジルは嘆息し、「それならば、私からも申し上げさせていただきます」と言った。
「あなたは軍人になることを望んでいた。トマ様は、その望みを知っていながら、カルチェ・ラタンの学生にした。それはなぜだと思いますか?」
「それは、父上が叶えられなかった、学業で身を起こすという夢を私に実現させるためだろう?」
「違います。トマ様は……ファン様が軍人となり、戦場で死に場所を探そうとしていることをご存知だったのです。それゆえ、あなたの希望をあえて無視し、生きる道を与えたのです」
「…………」
まさか。そんな……。
ファンは信じられないと思った。父は、ファンのことを溺愛してはいたが、ファンの気持ちを理解しようという努力などせず、ただカトリーヌに向けられない偏愛をファンに注ごうとしていただけではないのか。ファンが、
「国や民のために戦って死ぬことによって無価値であったおのれの生に意味を持たせたい」
などと考えていたことなど、トマが見抜いているはずが……。
「トマ様のカトリーヌ様やファン様に対する愛情は、確かに歪んでいました。ですが、間違いなく愛していたのです。奥様とあなたを……。その事実だけは、たとえ歪んだものであっても、ファン様に受け止めて欲しい。そうでなければ、トマ様の人生は何も報われないものとなります」
「う、ぐっ……」
愛されていた。その愛が重かった。父の母に対する執念が身代わりとして自分にのしかかり、苦しかった。その愛情の形は、いま思い返してみても、ファンの心を温かな気持ちにはさせてくれない。それでも、トマはファンを愛していた。その事実をファンは否定してはいけないのだ。息子として……。
「たとえ歪であっても、トマ様の愛情と向き合うのが、家族であるファン様の宿命です。そして、トマ様の執念と復讐を背負うのは、家臣である私の使命。ですから、ファン様――」
と、バジルは言葉を切り、一瞬のうちにファンに接近して、鳩尾を突いた。
バジルの話に動揺していたファンは、魔法の両目でバジルの突然の攻撃をかわすこともできず、あっ気なく気絶してしまったのである。
「どうか、今夜はもうお休みください。次に目が覚めた時には、すべてが終わっています」




