第9話 幻想の国 (1)
2001年5月、18歳のジフン
ジフンは朝早く目を覚ました。日曜日のこんな時間に起きたのは、いつ以来だろう。週末の朝にしかやっていない番組を、久しぶりに見た。
昨夜は十二時になる前にベッドに入ったのに、何時間も寝返りを打っていた。いつも聴いているラジオまで消した。ラジオは、合間合間に何度も時刻を知らせるからだった。いつの間にか眠ったらしかったが、耳をつんざくような目覚まし時計の音で起こされた。
疲れが抜けないまま、ぼんやりテレビを見ていたジフンは、勢いよく立ち上がると洗面所へ駆け込み、歯を磨いた。
「ふん、ふふん」
鼻歌が出た。冷たい水が顔に触れると、少し頭がはっきりした。今では一日一度はひげを剃らないと、すぐに黒く伸びてくる。いつもより丁寧に剃り終え、コンタクトレンズを入れた。
初めてつけたときは異物感がひどく、その後は使わずにいた。けれど、ジュミョンに、
「眼鏡ないほうがずっといいよ。めちゃくちゃかっこいいじゃん」
と褒められてからは、眼鏡よりコンタクトでいる時間のほうが長くなった。レンズを入れるのも、今ではだいぶ慣れたものだった。何度かまばたきして具合を確かめ、鏡の中の顔をあちこちから眺めた。
「よし!」
部屋へ戻り、化粧水と乳液を探した。いつもの場所に見当たらず、あたりを見回した。
「おっかあ! 俺の化粧水と乳液、どこ行った?」
母は居間でテレビを見ながら、ちらりとジフンをにらんだ。
「あんたの化粧水なんか、知るわけないでしょ!」
ジフンは兄の部屋へ走った。兄はパンツ一枚で、ベッドに埋もれて眠っていた。平日も週末も関係なく、日が高くなるまで寝ている人だった。大人の男の酸っぱいにおいが鼻をついた。
「うわ、くそ。何だよ、このにおい」
鼻をつまんで部屋を見回すと、机の上に化粧水と乳液があった。やっぱり兄だった。ジフンは兄の尻を蹴飛ばし、怒鳴った。
「俺の使うなって! 自分の使えよ!」
兄は薄く目を開け、まだ寝ぼけたまま悪態をついた。
「この野郎……」
兄と言い争っている時間はなかった。
服は前の晩に選んでおいた。
インスとトンデムンへ行ったときに買った、古着のリーバイスのジーンズとポロシャツだった。ポロシャツは本物か偽物かもわからなかったが、店員とやり合い、値切りに値切って買ったものだった。ちょうどいいスニーカーがなく、ヒジェに頼んであった。
「はあ? くそ、なんで急に靴貸せとか言い出すんだよ。いつもの革靴履けよ! これ貸したら、俺は何履くんだよ」
もちろん、すんなり貸してくれたわけではなかった。
「お前、靴いっぱいあるじゃん。これじゃなくていいんだよ。気軽に履けるスニーカー、一足あればいいんだから」
革靴しかないのかとジュミョンに言われ、スニーカーを買おうとはした。だが、気に入ったものは、すぐに買うには高すぎた。
ヒジェは「そう? オッケー」と靴箱を探った。そして、なぜ捨てていないのかわからない古いスニーカーを、ジフンの前に放り出した。
「これさ、中学んとき、めちゃくちゃ大事にしてたやつで、まだ捨てられねえんだよ。お前にやる」
薄汚れ、靴箱に押し込まれていたせいで形までゆがんだ靴を見て、悪態をつきたくなった。
「おい、冗談じゃねえんだよ。ちゃんとしたの貸してくれって。きれいに履くから」
「何だよ。女でもできた?」
ジフンの妙に真剣な顔を見て、ヒジェはようやく靴箱からまともな一足を取り出した。
「白のエアフォース」
靴箱に置いておくと兄に履いていかれそうで、机の引き出しに大切にしまっておいた。そのスニーカーを取り出し、足を入れた。一度も履いていないのではと思うほど、傷一つない真っ白な靴だった。
空は澄み切り、遠くのナムサンまで見えそうな朝だった。五分も歩けばインスの家だった。家へ向かいながら電話をかけた。
「準備できた?」
「当たり前だろ。待ってろ、下りるから」
ずいぶん待ってから出てきたインスと言い合いながら、カンナム駅へ続く坂道を足早に駆け下りた。
「馬鹿野郎。早く寝ろって言っただろ」
「早く寝たよ。起きるのが遅かっただけ」
二人の悪態と笑い声が、建物の間で、明け方の静けさを破った。走るように下りてきた大通りの向こうに、見慣れた姿があった。ジフンは大きく手を振った。向こうからも、応えるように手が上がった。
ジュミョンとセハが、そろって両手を振っていた。
「夢で見た不思議な世界、誰もが来たかった場所〜。冒険とファンタジーがいっぱい、ここは愛の楽園〜」
ジュミョンは、地下鉄の中で周りの人などおかまいなしに、ロッテワールドのテーマソングを歌っていた。
「ちょっと静かにしろよ。そもそも、どうやって歌詞覚えたんだよ」
「なんで知らないの。スパイなの?」
ジフンがロッテワールドへ行くのは、小学生のとき以来、何年ぶりかだった。テーマソングがあることさえおぼろげだったが、浮き立つようなメロディーだった。
地下鉄の窓に映る自分を見ながら服を整え、短い髪を何度もなでた。
――髪、切らなきゃよかったかな。
セハの黄色いカーディガンが、車内の蛍光灯の下でひときわ明るく見えた。耳の下で切りそろえた短い髪によく似合い、少し前に咲いたレンギョウのようだった。
四人は向かい合い、地下鉄の振動に体を揺らされながらおしゃべりした。話を進めるのは、たいていセハとジュミョンだった。ジフンも何か話したかったが、二人きりのときのようには言葉が出なかった。
「ねえ、一番売れてるときに解散って、ありえなくない?」
九十年代を席巻した人気男性グループの解散の話に、ジュミョンは熱くなっていた。
「SECHSKIESも解散したじゃん。なんとなく、そうなりそうな気はしてた」
セハはそう言って、舌をぺろりと出した。
「それはそれでしょ。ねえ、去年の今頃だったかな。この子、ジェッキが解散するって泣いて大騒ぎしたの、知ってる? 世界が終わったって、あんなには泣かないってくらい」
セハは慌ててジュミョンの口をふさごうとした。
「私は、むぐっ! さすがに泣きはしなかったけどね」
四人そろって大笑いしてしまい、周囲の目が気になった。ちょうど着く頃だったので、ジフンは「降りよう。もう着くよ」とみんなを促した。それでもジュミョンのおしゃべりは止まらなかった。
四人は開園と同時に中へ入った。セハは乗り物が落下するたび、ぎゅっと目をつぶって悲鳴を上げた。降りてくると、そんなことはなかったように、真っ先に次の列を探した。
ジフンはそんなセハを眺めながら、今日という日を楽しんだ。




