第80話 三人一組(1)
2003年4月、20歳のヒジェ
ヒジェは大学では口数が少なかった。右を見ても左を見ても、自分より声のでかいやつばかりだった。よくもあれだけしゃべれるものだと思ったが、話題はサッカーと女のことばかりで、その中身も下品だった。
――俺だって、よそじゃクズ呼ばわりされるけど、こいつらにはかなわねえな。
その中に交じって、ヒジェも一緒に笑って騒ぎ、酒を飲み、煙草を吸った。けれど、そんな話を延々と聞いていると、そっと席を離れたくなった。
――サークル活動でもしたほうがいいのか。
入学してすぐ、周りを見渡したときから考えていたことだった。だが、高校でも特にクラブ活動をしていなかったヒジェには、何をするか選ぶのも一苦労だった。結局、入会の受付期間が過ぎ、それも流れてしまった。
「なあ、ヒジェ。今日、終わったら何すんの?」
「友達と会うと思うけど」
「いつも友達だな。俺らとも遊べよ。今日、ナイトクラブ行かねえ?」
「ナイトクラブ?」
昔からの友達とも、大学の同級生とも、一、二度行ったことはあった。ただうるさいばかりで、金ばかりかかったので、それ以来行っていなかった。
「こいつ、食いついたな。モラン市場(※牡丹市場。韓国の城南市にある市場)の辺りに、すげえ店があるんだよ」
急に近づいてきたそいつは、ヒジェの目の前で下品な手つきをしてみせた。興味を引かれたのも確かだったが、こいつらと行くのはどうも気が進まなかった。
「いい加減にしろよ。女子もいるだろ」
「誰? あいつら?」
そいつは隅にいる三人を指さした。いわゆる工学部の女神たちだったが、誰もそんなふうには扱っていなかった。
「そうだよ。そういう話は外でやれよ」
「はあ? 何だよ。別に悪い話してるわけじゃねえだろ」
ヒジェは頭を抱えた。そして、そいつに小声でささやいた。
「テーブル席?」
授業中も、しゃべり続けるやつばかりだった。ヒジェは高校でもっと勉強しておかなかったことを後悔した。
――頭おかしいだろ、こいつら。俺までおかしくなりそうだ。
まだ救いだったのは、今日の午後の授業が一般教養だったことだ。他学科の学生も同じ場所に集まるので、いつものようには騒がなかった。ヒジェは逃げるように、教養科目の講義室へ移動した。広い教室に、百数十人の学生が集まってきた。ヒジェと親しい連中は、後ろの席を陣取った。同じ学科だけのときよりは静かだったが、相変わらず授業が終わったあとの話で盛り上がっていた。ヒジェも、いつの間にか耳を傾けていた。
「四人でテーブル席は、ちょっと無理あるだろ」
「この辺なら、平日はブース席も高くねえよ。ビールを少し余計に頼めばいいんだ」
どうせ実のある話ではなかった。ヒジェは聞きながら、教室を見回した。知らない顔が交じっている光景が、大学生活でのせめてもの慰めだった。もうすぐ授業が始まる。難しい専門科目から離れ、週に一度受けるこの教養科目は〈演劇と映画の理解〉だった。映画に大して興味はなかったが、レポートのために何本か観るうちに、少しずつ好きになっていた。
やがて教授が扉を開けて入ってきた。今日は珍しく、助手も一緒だった。
「さて、レポートは皆さんの分、受け取りました。次の課題はグループで取り組んでもらいます」
学生たちがざわつき、笑い声が上がった。ヒジェは、この授業にグループ課題があることを初めて知った。
「もうすぐ中間試験ですが、この授業はレポートで代えます。筆記試験は期末だけです。初回に授業計画を説明しましたから、皆さん知っていますね?」
ほかの学生たちは、知っているというように返事をしたが、ヒジェには初耳だった。他学科の学生と組んで課題に取り組むというのは、大学に入って初めて興味を引かれることだった。
「お前ら、知ってた? グループで課題やるって」
振り返って聞いたが、友達も同じだった。こいつらとしゃべっていて聞き逃したのだろうと思った。
「グループはこちらで割り振りました。同じ学科の学生がなるべく重ならないよう、組み合わせてあります。前のスクリーンに映しますので、確認してください」
スクリーンに大きな表が映った。ヒジェは目を細め、自分の名前を探した。
「前と後ろの掲示板にも貼ってあります。早く確認して、グループごとに座ってください」
学生たちは自分の名前と、グループの座る場所を確かめた。助手たちが大声で案内し、早く着席するよう指示した。
「一班から五班までは、早く前に来てください!」
スクリーンで名前を見つけられなかったヒジェは、後ろの掲示板へ向かった。十班だった。
友達とひとまず別れ、十班の席を探しに行った。
「十班の方ですか?」
ぼんやり立っているヒジェを、誰かが軽くつついて声をかけた。
「はい。ここに座ればいいと思いま……」
凍てつく冬の日に、雪を突き破って顔を出した新芽を見つけたような気がした。
「……す」
「はい、ありがとうございます」
ほどなく、もう一人の男子学生もやってきて、三人一組になった。ほかの班と同じく、ぎこちない三人は黙って教授の話を待った。
「自分の班を見つけて、全員座りましたね? 班の変更は認めません」
何人かが残念そうな声を漏らした。
ヒジェも、ため息をつきたかった。もちろん、ほかの人とはまったく違う、喜びのため息だった。
「中間試験まで、あと二週間ですね。試験の妨げにならない範囲で、同じ班の皆さんと演劇かミュージカルを二作品観てください。来週から三週間は休講ですので、時間は十分あるでしょう。今日は講義を一時間だけにします。そのあと班で打ち合わせをして、期間内に二作品を観たうえで、舞台を分析したレポートを提出してください」
長い説明が始まった。試験期間を含めて三週間も休講になるのは、ありがたかった。
「この課題が終わったら、次は映画です。計二回の課題を提出して、期末試験を受けてもらいます。質問は?」
すると、一人の学生が手を挙げた。
「映画の課題も、同じ班でやるんですか?」
「もちろんです」
教授はにっこり笑って答えた。毎年聞かれる質問なのかもしれなかった。
「課題は、具体的にはどんな内容ですか?」
「毎回配っている資料と、授業の内容を参考にしてください」
ヒジェは、しまったと思った。毎回、A4のプリントを何枚か配られていたが、授業が終わると、どれも捨てたりなくしたりしていた。
「授業のウェブページでも、資料を確認できます」
教授は資料の載ったページをスクリーンに映した。ヒジェは慌ててアドレスを書き留めた。
――とにかく、この班で演劇を二本、映画も二本観るってことか。
ヒジェは班の二人をちらりと見た。男子学生も、周りを見渡すふりをして二人をうかがっていたが、女子学生は教授の話に集中していた。そのとき彼女と目が合い、ヒジェは教授へ視線を戻した。
――ったく。何で俺、こんな初心なやつみたいになってんだ。
大学に入って、女子と何かをするのは初めてだった。それなりに女友達も多く、仲よくやってきたヒジェも、久しぶりの状況に緊張していた。一時間の短い講義が終わり、残りは班ごとの打ち合わせになった。三人は互いの顔色をうかがうばかりだった。周りを見ると、教室でやらなくてもいいらしく、出ていく人たちがいた。まだ残っている人も多く、教室はざわついていた。
「僕らも、静かなところへ行って打ち合わせしませんか?」
このままでは埒が明かないと思い、ヒジェが先に声をかけた。
「はい。あの……私」
彼女が何か言おうとしたので、耳を傾けた。
「まだ、学校の中もよくわからなくて。案内してもらえたら、ついていきます」
ヒジェにも、これといって知っている場所はなかった。外で話すのもどうかと思い、屋内の適当な場所を考えた。
「カフェに行きましょう」




