第78話 交流(1)
2003年4月、20歳のデヒョン
「次は、アングク、アングク駅(※安国駅。ソウル中心部にある地下鉄駅)です。お出口は左側です」
家の近くでバスに乗り、地下鉄の駅へ向かった。やがて満員の電車が乗客を吐き出し、デヒョンも待っていた人たちと一緒に乗り込んだ。毎日のように人の波に挟まれ、三十分揺られてようやく降りる。けれど、まだ終わりではなかった。そこからまたバスに乗り、十分ほど行かなければ学校には着かなかった。
――いっそ、この辺で一人暮らしでもしようか。
父は学校の近くで一人暮らしをすることを止めないだろうが、住み慣れた街を離れるのはためらわれた。友達は最近、カンナム駅を主な集まり場所にしていた。みんな学校からバスで行きやすく、家へ帰るにも便利なのがカンナムだった。授業やサークル活動で忙しく、友達とはほとんど会えていなかったが、住む場所まで離れたら、もっと遠くなってしまいそうで、踏み切れなかった。
幸い、大学生活は気に入っていた。入学してすぐに新入生オリエンテーションやMT(※学生同士の親睦を深めるための宿泊行事)が続き、勉強会の仲間とも気が合った。新入生歓迎会や飲み会、サークル活動まで重なり、それ以外の生活はすべて後回しになっていた。人間関係までつらかったら、とても耐えられない慌ただしさだった。
「デヒョン、来たか」
「こんにちは。もう少し通学が楽だったらいいんですけどね。昨日は帰らずに、サークル室で寝ようかと思いましたよ」
「だから、ここで寝るやつも多いんだよ。わはは。一人暮らしのやつの部屋に世話になるのも、結構いるしな」
授業の前に少し立ち寄ったサークル室には、授業を受けているのか疑わしいほど、いつも居座っている先輩が何人かいた。コーヒーを一杯いれ、いつもの席に座ると、緊張がほどけるようだった。
「デヒョン、今日の授業は何時からだ? 農村ボランティア(※学生が農村に滞在し、農作業などを手伝う活動)の予定を組んでるんだけど、ちょっとこっち来てみろ」
「まだ少し時間あります。どこへ行くんですか、僕ら?」
「毎年行くけどな、農村ボランティアこそRCY(※Red Cross Youth。大学生も参加する赤十字の青少年活動組織)の花形だと、俺は断言する」
先輩たちは去年の日程を参考に、計画を立てていた。いくつものキーワードが並んでいたが、その中でひときわ目を引くものがあった。
「ほかの大学と合同でもやるんですか?」
「ああ、そういうこともあるけど、連絡も取らなきゃいけないし、日程も合わせて、受け入れ先も探して。考えることが多いんだよ。毎日顔を合わせる連中と行くよりは、楽しいらしいけどな」
「らしい……ですか?」
「俺もやったことない。わははは」
豪快な先輩につられ、デヒョンも笑ってしまった。
「別の大学のRCYに友達がいるんです。一緒に行けたらいいなと思って」
「おお?」
先輩たちは、それまで書き込んでいたA3の紙を脇へやり、新しい紙を広げた。
「とりあえず連絡してみろ。俺も知ってるやつがいるし。話がまとまれば、十分いけるだろ」
「はい。でも……知り合いがいるなら、何で連絡を……」
「連絡先を知らない。わはははは」
勉強のできるヒジェみたいだ、と思った第一印象がよみがえった。
――農村ボランティアか……。
デヒョンは時計を見ると、携帯電話をいじった。
「授業が終わる頃にかけてみます。その友達、昼間はかなり忙しいので」
「いつでもいいよ。まだ先だし。遅くても五月末くらいまでに連絡がつけば大丈夫だ。でも、その頃は中間試験だから、今のうちにやっとくほうがいいな」
「はい。今日、とりあえず話を振ってみます」
「それと……」
先輩はすっと息を吸い、去年の農村ボランティアの活動記録集を広げて見せた。
「写真係が欲しいんだよな」
デヒョンには、すぐに思い浮かぶ友達がいた。
「芸術専門学校の写真科に、友達がいます」
「おお、さすがエース新入生。別に、俺らに知り合いがいないわけじゃないんですよ。知ってるやつは、それぞれいるんだけどね」
「じゃあ、何で連絡を……」
「連絡先を知らないんだよ! わははははは」
デヒョンは笑いながら、サークル室のパソコンをつけた。家では不思議と課題に必要なことにしか使わず、以前のようにネットサーフィンやゲームをすることはなくなっていた。サークル室のパソコンが空いていると、いつもサイワールド(※2000年代の韓国で広く利用されたSNS。個人ページに日記や写真を載せ、友人と交流した)を開いた。友達のミニホームページを、一つずつ見て回った。チョンウォンのアルバムには、実にさまざまな写真があふれていた。ジフンのページでいちばんよく更新されるのは日記だったが、意味のわからない言葉が並んでいて、読むのが面倒で飛ばしてしまうことが多かった。インスとヒジェのページも見てみると、最近、友達が集まって遊んだ跡がいくつも残っていた。そして、そのどの写真にもデヒョンはいなかった。自分のページでさえ、友達の写真を見るには、二か月前までさかのぼらなければならなかった。
――ああ、このときは、授業が始まる前に集まって……。
ミラとヒソルの近況も、少し見ることができた。しばらく物思いにふけっていたデヒョンは、講義の時間が近づくと、パソコンを切ってサークル室を出た。
大学での時間は、あっという間に過ぎていった。授業を受け、勉強会の仲間と会って、もうすぐ始まる中間試験の対策について話しているうちに、いつの間にか夕方になっていた。大学で過ごす時間は、高校の頃とは違った。退屈を感じる暇もなく、一日が過ぎていった。試験が近いので、夜の約束もなかった。勉強会の仲間もサークルの仲間も、飲み屋より図書館の閲覧室へ向かう時期だった。学生食堂で昼食は食べたのに、もう空腹になっていた。デヒョンは、まずミラに電話をかけた。
「あ、デヒョン」
呼び出し音の音楽がすぐに途切れ、最近よく聞く声がした。
「忙しい?」
「ううん、大丈夫。あとで図書館には行くけど、今は平気だよ」
ミラはいつも忙しかった。ソウルへ来てから入学するまでは、ときどき顔も見られたが、三月になると事情が変わった。電話がつながらないことも多く、向こうから連絡が来た日には、やっていたことを切り上げて会いに行った。会うたびに、大学やソウルで新しく経験したことが、次々と語られた。
「そっちのサークルも、休みに農村ボランティア行くの?」
「まだ計画中みたいだけど?」
「こっちもそうなんだけど、そっちの大学と合同で行けたらいいなって話が出てさ」
「合同って話も進めてるみたいだよ。そっちと一緒だったら楽しそう。ちょっと待ってね……」
ミラは何かを考えるように、少し間を置いた。
「ねえ、忙しくなかったら、うちの大学に来ない? 会って話そうよ。先輩たちに話を振っておくから」
「そんな急に?」
「考えてるだけじゃ進まないでしょ。さっさと動かないと。自分で言うのも何だけど、私、結構発言力あるんだよ。話せばすぐ決まるって」
ミラの発言力は、目の当たりにしなくても想像がついた。入学するなり学生たちの中心に立つ姿が、目に浮かぶようだった。
「わかった。バスならすぐだし。どこに行けばいい?」
「着く頃に電話して。迎えに出るから」




